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源頼朝挙兵物語  作者: 中野掘門
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五十三 霧の中の敵 二

 大庭景親も、早川の対岸から頼朝軍を視認した。


「ほう。案外速かったの」


 血気に(はや)る一部の武士は、すぐに早川を渡って頼朝軍を追撃しようとする。


(あわ)てるな。頼朝の後方には、伊東祐親殿三百の軍勢がおる。きゃつらは逃げられん」


 景親は、弟俣野景久に命じた。


「景久。物見を放て。頼朝の行方を追わせるのだ。我らは渡河に時間がかかる。

 南に逃げれば伊東殿が抑えるが、万一、北の湯本に逃げようとするなら、そちらに追撃せねばならん」


 そして景親は、各諸将に渡河を指示した。


 当時の早川は、流路が幾筋にも別れ水量も豊富であった。


 馬と徒歩とが渡河できる場所は、どうしても限られてくる。


 また一部隊が通過した渡河地点は、馬や兵の足によって軟弱な土がぐちゃぐちゃにかき回され、次の部隊が通過する(さまた)げとなってしまい、渡河地点をまた新たに探す必要がでてくる。


 従って、三千の兵がすべて早川を渡り切るのには、二刻ほどもかかった。時刻はすでに午の刻(昼十二時)をとうに過ぎている。


 物見からの報告では、頼朝軍は石橋村と米神(こめかみ)村の間の丘陵上に陣を張ったという。


 大庭軍は渡河後に街道を進み、石橋村の北の丘陵上に兵を展開させて陣を張った。


 さらに米神村の南の丘陵には、伊東祐親軍が陣を張っているの見える。


 頼朝軍は、北に大庭軍、南に伊東祐親軍に挟まれた格好となっていた。


 しかし、頼朝軍を南北から攻めようとすると、一旦谷底にある石橋村や米神村を通って、丘陵の斜面を登らねばならない。


 頼朝軍から矢を射かけられれば、こちらが不利になる。うかつに全軍攻撃はかけられない。


 箱根の方から黒い雲がでてきて、時折ひやっとした風が吹いてきた。もう少ししたら雨が降り出しそうである。


 既に時刻は申の刻(午後四時)となっている。あと一刻もせず日没を迎える。


 曇り空なので、あたりはすでに薄暗い。


 また、先ほど三浦に貼りつかせていた斥候からの報告で、三浦軍三百はすでに小田原手前の酒匂川の東に達しているが、河川の増水のため渡河できずにいるという。


 景親は思った。


 酒匂川は、早川よりずっと川幅が広くて水量が豊富である。三浦は本日中の渡河は見合わせるだろう。日暮れ時の渡河は危険すぎるからだ。そして明朝一番で渡河しようとするだろう。


 ……すると我らは明日、背面に敵を背負うこととなる。


 それを避けるためには、このまま頼朝軍との戦闘に入るしかない。


 ……しかし日没を迎えて、頼朝を取り逃がす可能性が高い。土地勘は敵側にあり、味方は不利である。


 頼朝の首を上げねば、勝利したことにはならない。


 ……それなら、明日北からの三浦と南の頼朝の二方面での戦闘を行う方が良いか?


 どちらがより確実に頼朝の首を取れるか?


 ……やはりここは、本日中に頼朝軍を潰しておくべきだろう。


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