五 京の情勢
以仁王の令旨の後、頼朝の元に京から書状が頻々と届きだした。
――五月十日。
下野小山の出身で、今は摂津にいる下河辺行平から、源頼政が挙兵準備中であることを知らされた。行平は頼政の与党である。
頼政は、以仁王から平氏追討の令旨を引き出した張本人で、平氏全盛の時代にありながら、平清盛の覚えめでたく従三位という好待遇を受けてはいるものの、平氏の傲慢さが耐え難くなっていた。
――五月十五日。
だが、早くも挙兵計画が平氏方に露見してしまう。
それをいち早く察知した以仁王は、三条高倉邸から逃走し、三井寺に入られた。三井寺とは近江大津にある園城寺のことである。
この段階では、挙兵計画に頼政が参画していることは、まだ平氏も知らない。
――五月十九日。
自身の露見は近いと見た頼政は、京の自宅に放火し三井寺の以仁王に合流する。
――五月二十六日。
以仁王と頼政が三井寺を出て南都に向かった。
当初三井寺と共闘するはずであった延暦寺が、切り崩し工作であっけなく平氏に下ってしまったので、三井寺単独では対抗できないと判断しての事だった。
だが途中の宇治で平氏方と交戦となり、頼政は自害、以仁王も討たれたという。
以仁王と頼政による平氏打倒計画は、寺院勢力を中心として開始し、それに東国源氏が続々と参陣していくというものであったが、あまりに時期尚早だったため挫折してしまった。
……これは容易ならぬ事態だ……
この騒乱は自分にも早晩波及してくるだろう……
今まで伊豆守の官職は、頼政とその子息仲綱にあった。
彼らが謀反人となれば官職が剥奪され、替わって平氏方の者が就任し、自分に対する圧迫を強めてくるはず……
……事は風雲急を告げている……もう、これまでのように静観は許されない……




