四十九 台所の女の失踪
八月二十二日の夕刻、北条館の留守居から、頼朝の元に書状が届いた。
それによると、二十一日は、北からも南からも来襲するはずの軍勢が全く見られなかったし、その噂すら、まったく耳にできないのは奇怪なことである、と記していた。
なお些末なことではあるがと前置きして、北条館の厨房にいた下女が二十日の夜にいなくなった。
館の誰も聞いておらず、家人が翌朝女の家を訪ねたが、普段の状態のままだった。
隣の家に尋ねても知らないという。
館内の女どもは、神隠しかと騒いでいる。
一つ気になることとして、その厨房の女が、軟禁されていた雑人の納屋に近づこうとしているところを見られて慌てて立ち去ったらしい。
もしかすると、雑人と厨房の下女は何か関係があったのかもしれない、と結んでいた。
八月二十三日の夜明け前、頼朝は湯河原の土肥館を出発した。
ようやく昨日夜に予定の武士の合流を終え、出発を翌日の夜明け前と定めていたのである。
土肥館を出て東に進路を取り、海沿いの吉浜村から真鶴岬の西側を通る。
ここらあたりは山の中の道でうねうねしており、しばらくすると真鶴の岩村という漁村の近くを通る。
実平の郎党の七郎丸兄弟の家は、このあたりにある。
実平から聞いた話では、この岩村と磯崎村の二つの漁村が真鶴岬の北側で漁を行なっていて、時には交易のため三浦半島や房総半島の方まで行くという。
岬には真鶴貴船神社があって、漁民からの尊崇を集めているという話も聞いた。
神社と聞くと頼朝は素通りできない性質なのだが、行くとなるとかなりな遠回りを強いられるので、急ぎ鎌倉に向かうということもあり、残念ではあるが通過することにした。
一方で、頼朝は、北条館の留守居からの報告が、心に引っかかっていた……




