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源頼朝挙兵物語  作者: 中野掘門
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四十八 談合

 八月二十二日の早朝、大庭景親は、軍勢を率いて大庭館を出て、東海道を西へ向かい、平塚、大磯、二宮(にのみや)国府津(こうづ)、そして酒匂(さかわ)川を越えて、早川に近い山沿いに同日の夕刻に到着した。


 早川を南に越えなかったのは、万一の頼朝軍による奇襲を危惧してである。


 景親の到着と前後して、続々と武蔵・相模の各地から軍勢が集まってきた。


 景親は、幔幕(まんまく)床几(しょうぎ)を用意し、主だった武士を(まね)いて明日のいくさについての談合を行なった。


 事前に景親は、頼朝軍の動向を探るための斥候(せっこう)を放ち、早くもその報告が届いている。


各々(おのおの)方、斥候によると頼朝は昨日二十一日には、まだ湯河原の土肥館に留まっておるようじゃ」


「敵の総勢はいかほど?」


「三百ほどと思われる」


 集まっている武士たちから、おーっ、という声が上がった。随分少ない。我らは三千。彼我の差は十倍ではないか。


 このいくさ楽勝じゃ、という雰囲気が早くも(ただよ)い始めた。


 とある武士が発言した。


「頼朝は、まだ味方が増えるのを待っておるのだろうか?」


「おそらくそうだろう。だが頼朝は、さる筋から八月二十四日までには鎌倉に入る予定を立てていると聞いている」


 景親は、味方の武士たちにも書状による謀略の件は明かさなかった。


「二十四日とな? あと二日ではないか。とすると、もう間もなく出立するということじゃな」


 別の武士が聞いた。


「三浦の動きはどうなっておるのだ? 頼朝に参陣するのではないか?」


「そちらの方にも斥候を放っておる。三浦義明は当初、船を仕立てて相模湾を横断しようとしたが、波が高くて断念したらしい。

 次男の義澄が陸路を伝ってこちらに向かっているが、途中の川が増水して足踏みしているとのことじゃ」


「三浦の総勢はいかほど?」


「同じく三百」


 ここでも武士たちの、おーっ、という声が上がった。


 頼朝本隊と合わせても六百にしかならず、味方の優勢は揺るがない。


「して、我らの明日の陣立てはいかに?」


 景親が応えた。


「明日二十三日寅卯の刻(午前五時)を期して、早川を渡河する。

 早川から土肥館の湯河原までは、西は山が迫り、東は海。その海沿いの街道は一本道となっている。

 我らは渡河した後、その道を南下する。そして街道で頼朝軍と遭遇したなら、その時点で兵を止め、山側に兵を配置し敵を包囲する。

 また、伊東祐親殿が頼朝の後ろを進んで、我らと呼吸を合わせて挟撃する。

 もし、頼朝がそのまま湯河原の土肥館に居続けるのであれば、館を包囲してから(すき)を見て突入することとなる」


 聞いていた武士たちは、景親の説明におおむね納得した。


 だが、彼我の兵力差に安心して緊張感を解かれてはならぬ、と景親は思った。


「各々方、いくさとなる地は、頼朝家人の土肥実平の領地でござる。

 土地勘は彼らにあり。どんな奇抜な手を打ってくるかわからぬゆえ、いくさ支度、心構えに抜かりなきよう御心得あれ。

 それでは渡河の順序につき談合いたそう……」


 と言って、各武士の渡河と行軍の順序を説明し始める。


「先陣は俣野景久、二番は渋谷重国殿、三番は……」


 談合後、武士たちはぞれぞれの陣所に戻っていった。


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