四十三 新たな間者
八月十九日、頼朝は深夜に起こされて以降は眠れなかった。
しかし、北条館を出立する前にやるべきことは山ほどある。あくびをしている暇さえない。
まず、妻の政子と娘の大姫を避難させる。行き先の走湯山で、覚淵の坊にしばらく逗留させることにした。
そして、伊豆下田にある蒲屋御厨で山木兼隆の縁戚の中原智親の乱暴を停止させる文書を出したり、
土肥から北条に向かう街道を通行する者が走湯山の近くを通るため、狼藉が増えたと走湯山衆徒が訴えてきたので、頼朝はなだめるために荘園の寄進を約束したり、
伊豆国内の政務に忙殺された。
些末なことだがこれらは、伊豆国の主権が頼朝にあることを知らしめるために重要なことである。
北条館内では、時政と実平が手分けして出発の準備を行っていた。
山木館討ち入りで破損した武器や防具の補修、消費した矢の補充を大急ぎで行っている。
頭を悩ませたのは兵粮である。
兵粮は米を一度炊いた後、天日干しにして水分を抜き重さを元の半分くらいにしたもので、これを干飯と言う。
稲刈り前なので米の備蓄量が少なく、なんとかある分だけをかき集めても、せいぜい四日分ぐらいの量にしかならない。
今回の場合は、鎌倉入りに四日を想定しているのでギリギリの量であった。
時政と実平が、兵粮を巡って話をしていた。
「行軍の途中で何が起きるか分からぬゆえ、もう少し持ちたいところですな」
と、実平が言う。
「鎌倉までの行程は四日。それ以上の兵粮を持つとなると今度は荷車が必要となろう。すると行軍速度が落ちてしまう」
と、時政が応える。
その時、門番の武士が近づいてきた。
「門に商人が参っております。何やら、山木館に出入りしていた筆商人とのことで、そちらが焼けてしまったので、こなたに参ったと申しておりまする」
横から頼朝側近の安達盛長が口を挟んだ。
「筆商人か。ちょうどよい。書状を書く筆が足りなくて困っていたのだ。中に入れよ」
と門番に言った。
筆商人は、案内された建物に向かって歩きながら、館内で出陣支度が急いで行われている様子を横目で見ていた。




