三十四 山木館討ち入り
大手門から攻める兵を率いているのは北条時政で、搦手門の方は佐々木定綱であった。
時政軍は、六十名。
北条館を出て狩野川沿いを北に進み、八坂神社前の道を東に行こうとしたが、昨日の雨で道がぬかるみ、行軍できる状況にないため、さらに北に進み、原木あたりから東に折れ、水田の間の大畦道を伝いながら、山木館大手門を目指した。
時政は走りながら思った。
……やはり、計画通りには進まぬものよ。
一方、定綱軍二十五名は、打ち合わせ通りに、北条館の南の守山を回って東へ走り、竈神社から山裾沿いに北に向かい、搦手門を目指す。
本来は、時政軍の方が早く到着し、館の周囲を事前に偵察するはずであったが、迂回を余儀なくされたため、定綱軍の到着とほぼ同時となった。
時政は、即座に討ち入りを決断し、配下に命じた。
「よし。鬨をつくれ!」
「うおーっ!」
六十名の鬨の声があたりに響き渡り、山木館内から驚いた気配が伝わってきた。
「門を破れ!」
大掛矢が二つ、門を敲き始め、あっという間に板が破られて門が開いた。
すかさず中に突入するが、向かって左側の建物から、矢が雨あられと殺到してきた。
「掻楯をつくれ!」
掻楯とは、木製の楯を並べて、矢や礫などの飛来物から防御するものである。
味方数人が敵の矢に斃され、急いで立てた掻楯に音を立てて矢が突き刺さる。
こちらからも掻楯の間から矢を放ち、建物内にいる人を次々と倒していく。
敵は突然の攻撃のため、具足を身に着ける暇がなかったようで、皆平服のまま弓矢や刀を構えていた。
搦手門を破る音が聞こえて間もなく、建物の裏から火の手が上がった。
定綱軍が放火したのである。
作戦としては、裏から定綱軍が建物に放火し、敵を大手の方にいぶりだす。
大手の時政軍は、火に追われて飛び出してきた者たちを矢で倒す。
そして頃合いを見計らって建物に突入し、山木兼隆の首を上げる、というものだった。
敵の正確な人数はわからないものの多くはない。
事前の調べでは通常時五十名ほどで、三島神事のため数を減じているはずで、多くて三十名程度ではないかと思われた。
と、その時、意外なところから矢が飛んできた。
大手門から見て右手に櫓があり、そこから矢を放っている者がいる。
掻楯は建物に向けられていたため、櫓がある右上方からの防備はなく、掻楯の内側にいる武士が数人斃された。
急いで掻楯をそちらに向け、防御する。
建物の火は、だんだん激しくなる。
いぶりだされた数名の敵は、こちらに向かって決死の突入をし、掻楯を蹴倒し、刀や長刀で激しく攻撃してきた。
味方は一旦引いて、弓矢で応戦する。
甲冑を身に着けていない敵は動きが軽快であったが、矢に当たるとすぐ倒れた。
だんだん夜目に慣れてきた敵は、建物から突入する者と櫓の弓矢が連動し始め、突入を援護するように櫓から矢が殺到してくる。
敵は突入しては一旦引くという波状攻撃を繰り返して、大手の時政軍は苦戦していた。搦手でも戦いが起こっているようで、なかなか建物内に突入することができない。
その時、大手門から人影が現れた。
さては敵の伏兵かと時政はヒヤっとしたが、よく見ると頼朝の側にいたはずの加藤景廉と従者数名であった。




