三十 討ち入り直前
八月十六日の夕刻あたりから、北条館に伊豆・相模の各地から続々と武士が集まり始めた。
各武士たちには、北条館に参集するにあたって、山木館の近くを通ったり、三島宿から北条館に至る大通りを来ることを厳禁した。
また武具は馬や荷車に乗せて、平服で来るように伝えてあった。
山木館は伊豆山地の山裾に立地していて、館から北に広がる三島平野はよく見渡せる。
特に三島宿の方向は、山木館からは丸見えとなってしまう。
それに本日は三島社のお祭り前夜で、周辺の村々から大勢の人々が三島宿に集まって来るため、武装した一団が通ったら、たちどころに噂となって山木に知られてしまうだろう。
そのため皆、迂回して北条館の南側から入ってきた。
この日は朝からずっと雨が降り続いていて、甲冑や武器など重い荷物を運ぶ者は、道のぬかるみや水溜りに足がとられて、なかなか思うように進めない。
通常よりずっと時間がかかってようやく北条館にたどり着いた面々は、いくさを前にしてかなり疲労していた。
頼朝は、彼らを館の中に迎え入れ、食事を給し、服を干す場所を与え、休息させることに気を使った。
一息ついたところで、頼朝と時政は、主要な武士を広間に集め、いくさの段取りについて説明を始める。
武士たちは、大手門に向かう組と搦手門に向かう組とに分かれ、それぞれ自分の役割を頭の中に入れた。
だが、深夜になっても、佐々木定綱・経高・盛綱・高綱の四兄弟らが姿を現さない。
この四人は搦手門から攻める組の中核をなす者たちであるため、彼らが到着しないと討ち入りできないのだ。
今現在、北条館に集まっている兵は六十名。これに佐々木兄弟ら二十五名が加わって、総勢八十五名となる。
……どうした? 佐々木兄弟はなぜ来ぬ?
頼朝は、やきもきした気持ちを押さえつけて、ひたすら待った。
すでに子の刻を過ぎて、十七日に日付が替わり、夜明け前の討ち入りの時刻まで、二刻あまりに迫ってきている。
討ち入りを佐々木兄弟なしに決行するか、四人が来るまで待っているべきか、頼朝を悩ませた。
……たったの六十名で討ち入るか? それで勝てるか? いや、六十名では少なすぎる。
こういう時は、気の弱さが前面に出てくる。
……もしや佐々木兄弟は渋谷に逆に篭絡されてしまったのではないか? もしや本当に寝返ったのか?
渋谷重国への書状自体は単に味方になるのを期待している、とだけ当たり障りなく書いたものだったが、それが佐々木兄弟の寝返りを連想してしまうほど、この時の頼朝は精神的に追い詰められていたのである。
とうとう寅の刻を迎え、あたりが薄明るくなってきても、佐々木兄弟が到着する様子が見られないため、頼朝は断腸の思いで、明け方の討ち入りを取りやめた。




