二十八 時政の思い
八月十三日、佐々木秀義の嫡男定綱は、使いのため北条館にきて留まっていたが、本日帰国する旨、頼朝に伝えた。
「本日、帰国いたしまする」
「うむ。ご苦労であった。父秀義殿に、こたびの知らせを頼朝が大変喜んでいたと伝えてもらいたい。汝ら四兄弟は討ち入り前日の十六日には、必ずこの北条館へ参集せよ。それから渋谷重国殿に書状をしたためたゆえ、渡してくれい」
「はっ、承り候」
佐々木秀義には、六人の男子がいるが、そのうちの嫡男定綱以下、経高・盛綱・高綱の四人が頼朝の味方となっている。
後の二人は、義清と厳秀で、母が渋谷重国の娘である。義清は大庭景親の娘を嫁にしているので、景親に従っている。
定綱を見送った後、頼朝は自室に戻り、時政を呼んで談合を始めた。
「山木討ち入りの手順について先日検討したが、本日は、そのおさらいがてら、詳細を詰めることといたそう」
頼朝は、時政との間に、例の山木館の絵図を広げた。
館の周囲には壁と堀が巡り、大手門と搦手門の位置、建物や櫓の配置、また各門に接続する道とその周囲の地形、山や田・畑などが記されている。
「まず、軍勢を北の大手門に回る組、南の搦手門に回る組の二つに分け、各組に配置する武士は先日決めた通りだ……」
「山木館と北条館との距離は半里と少し。大手を攻める組は、北条館を出発して、狩野川沿いを北上し、八坂神社のところを右に曲がって、土手和田まで直線の道を一気に走る。土手和田から山沿いに館の大手門にたどり着く……」
「搦手を攻める組は、守山を南に回って直線の道を竈神社まで走り、山裾を回って御嶽神社を通り、搦手門にたどり着く……」
「そして、卯の刻を期して、大手の組が鬨を上げ、搦手に合図する。大掛矢で門を破り、内部に突入し……」
頼朝は、扇子で要所要所を指しながら説明する。
時政は、黙って聞いていた。
作戦の立て方としては普通であり、特に変わった手法を取るわけではないのだが、頼朝は細かなところにまでこだわる。
時政からみれば、いくさはおおまかの段取りだけ決めておいて、後は出たとこ勝負とするのがよい。
あまり細かいところまで決めていても、いくさの流れはその時々によっていくらでも変わっていく。
むしろ計画にしばられない臨機応変さが必要なのだ。
いくさの場数を踏んでいれば、自ずと体得できることなのである。
頼朝は保元・平治の乱以降、いくさの経験がない。
……このような細かさは、小心さの現れなのであろうな。
時政にとっては、大将は細かなことは気にせず、配下の者にすべてをまかせてくれる方がやりやすい。
実は、時政は心の内は、もっと冷ややかである。
……いくさの勝負とは、つまるところ運なのだ。
いくさで死ぬか死なぬかは運次第。
どんなに防備を固めていても流れ矢に当たることもあれば、何かの拍子で落馬して命を落とすこともある。
また、どんなにこちらが優勢でも、何かの偶発的事情によって敗退を余儀なくされることもある。
時政は、常々、いくさに勝つために必要なことは、大将の運と兵の武勇に恵まれた時だけであると思っている。
こたびのいくさ、我らの武勇が試されることはもちろんであるが、大将としての頼朝の運も当然試される。
もし、いくさに敗れることがあれば、大将は責任を取って腹を切る。
だから大将は、こまごましたことは気にせず配下に任せ、自身は鷹揚としていればよいのだ。と思っていた時、
「……と、ここまでの段取りはよいな?」
急に頼朝に話しかけられて、時政はハッとして我に返った。
「申し訳ございませぬ。今朝がたから頭痛がして物に集中できませぬ」
「いくさの前じゃ。大事にせよ。それでは続きは後にいたそう」
頼朝は、そう言って絵図を畳み、時政は退出した。




