二十五 雑人と台所の女
平井館に大庭景親が姿を現したのは、佐々木秀義と話をした翌々日の八月十一日のことであった。
景親は、今回のいくさに臨むに当たって、頼朝の性格に関する詳細な情報を自身で直接確認したかった。
今後のいくさの進展に合わせて策を案出する際にどうしても必要と思い、書面のやり取りではなく、自ら出向いて伊豆平井まで出てきたのである。
挨拶もそこそこに済ませると、平井久重が言った。
「二人は、別室で控えております」
「うむ。手間をかけたな」
「とんでもございませぬ。山伏の衣装の準備をしてありますゆえ、お着替えをどうぞ」
古びた山伏の衣装を一式、整えておいてほしいと久重に書面で伝えてあった。こちらの正体を隠すためである。
着替え終わると久重に言った。
「貴殿の同席は控えていただく。相手が緊張すると困るでな」
「承知仕りました」
久重は、部屋へ案内し終えると下がって行った。
景親は、できるだけにこやかな顔を意識しながら、部屋の戸を開けた。
「やあ、お待たせして済まぬ」
部屋にいた男と女は、とたんに弾かれたように平伏した。
普通なら山伏ごときに平伏などしないものだが、領主の知り合いと聞いていたので、身分が上だと思っている。
男は山木館の雑人であり、女は北条館の台所の女である。
二人とも今日は平井久重の要請で、それぞれの勤め先に言い訳をうまく繕って、ここに来ていた。
「まあまあ、お気楽に」
廊下から足音がして、戸を開けて料理と酒が運ばれてきた。
三人の前に膳が置かれ、男と女は、膳の上の料理を無言で見つめている。
「まあ、おひとつ……」
そう言いながら景親は、二人に土器を持たせ酒を注いだ。
男と女は互いに目を合わせてから、酒を干した。
「さあ、食事をしながら話をしませぬか」
景親に促されて、遠慮がちに箸を取り上げた。
酒をすすめると、女は自分は弱いのでと言って辞退し、男の方は酒好きと見え、勧めるたびに干していく。
景親は、柔らかく話を始めた。
自分は関東を渡り歩く山伏で、この館の主の平井殿とは昵懇の間柄である。
実は知り合いの武家が、今は平氏にお味方しているのだが、内心は頼朝殿に心を寄せている。
近いうちに頼朝殿の元に馳せ参じたいと思っているが、正直なところ、仕えるにふさわしいお方なのかどうかが気にかかって仕方がない。
それを是非、見極めたいと願っている。しかし自分は動ける状況にない。
そこでこの某が依頼を受けて、平井殿に相談したところ、お二人が頼朝殿をよくご存じだと教えられたので、こちらに来ていただいたのだ、と説明をした。
男はその説明に頷いた。
男が通う館の主、山木兼隆は、国守平時忠の権威を笠に着て威張り散らし、館内の者からとても嫌われていた。
検非違使という京の警察出身らしく、腕は立つのだが、有無を言わせぬ上意下達で他人を従わせる体質が身に染みついている。
仕え甲斐のある主かどうかを事前に見極めたいという、その武士の思いは納得できた。
「どうであろう? 頼朝殿についてお話し願えぬか?」
男はすでに手酌を始めていた。
男と女は目を合わせ、男は促すような目を向けたが、女は下を向いたままだった。
そこで景親は、もうひと押しすることにした。
懐から拳大の巾着袋を取り出し二人の前に置いた。
じゃらっ、という音がして二人にはその中身が何かすぐにわかった。
銭である。
今から百六年前の承保元年、中国の北宋が宋銭の輸出を解禁してから、宋銭は洪水のように日本に流入し始め、中国貿易を通じて巨大な利益を上げていた平氏によって、一気に国内流通が活発化し、伊豆のような片田舎でも、急速に普及が進んでいた。
二人は今、目の前に置かれた銭の価値がどれほどのものか、良く理解できていた。
男が巾着袋に手を伸ばそうとすると、女はハッとして男に取られる前に、かっさらうように取って自分の膝の上に置き両手で守るようにした。
男が不満げに睨んだ。
それを無視して女がおずおずと切り出した。
「何をお知りになりたいのでございますか?」




