二十二 佐々木秀義
八月八日、平井久重から届いた書状で、景親は自分の予想した通り、頼朝方が例の噂に翻弄されていることを知った。
工藤・土肥・岡崎・宇佐美・天野・佐々木・加藤らは、頼朝本隊の中核をなす武士たちである。
その彼らに詳細ないくさの説明ができないということは、未だいくさの日取りを決定できていないことを示している。
……それなら、早期挙兵を促すために、とっておきの策を講じるとしよう。
景親は、簡単な書状をしたため終わると、家人を呼んだ。
「渋谷のところにいる佐々木秀義殿に使いをせい」
書状には、久方ぶりに一献傾けたいゆえ大庭館へおいで願いたい、とだけ記してある。
渋谷重国の領地は、大庭御厨の北隣りにあり、重国とは長年の付き合いである。
佐々木秀義は、元々近江出身で、保元の乱の際に同じ義朝方として一緒に戦った。
平治の乱の時も義朝方についたが、敗戦のため近江の所領を取り上げられてしまい、東北に落ちのびようとした。
奥州の藤原秀衡が秀義の伯母の夫だったからである。
逃避行の途中、相模に立ち寄った際、渋谷重国は、勇者として名高い秀義を引き留め、自館への逗留を懇願した。
以来、二十年間も秀義は渋谷館に居候を続けた。
その間、重国の娘との間に男子を儲けている。
実はこの秀義が密かに頼朝と気脈を通じているらしいことを、景親は渋谷から耳打ちされていたのである。
翌日八月九日、佐々木秀義は大庭館へやってきた。
「やあ佐々木殿。久方ぶりですな。ご健勝でなにより」
「大庭殿、宇治のいくさではご活躍でしたな。お噂は耳にしておりますぞ」
酒肴が用意され、二人は上機嫌で、たわいない話に打ち興じた。
「時に大庭殿。五月終わりに宇治合戦の論功行賞後の宴で、太政入道清盛殿より源氏追討の将軍を仰せつかったという噂を耳にしましたが、まことですかな?」
景親は、にこやかさを保ちつつ心中で、探りを入れてきたな、と直感した。
「いやいや、太政入道殿には、以前、馬を献上いたしましてな。そのお礼を申されたのでござるよ」
確かに景親は、関東八か国随一と評判の名馬を手に入れ、清盛に献上していた。
全身が真黒なのに額のところだけ真白なので、望月という名前が付けられた。
清盛がこの馬を大変珍重していることは誰でも知っている。
「なるほど、左様ですか……」
秀義が心なしか、がっかりした様子に見て取れた。
そこで景親は、ぐっと秀義に顔を近づけ、さも密談風に声の調子を落として話しかけた。
「実は、佐々木殿。我ら関東武士が京を離れるみぎり、太政入道が、とある武士に帰国次第、早々に頼朝を討ち取るべしと命じたらしいのです」
「ほう」
秀義が、体を乗り出してきた。
「入道が申されるには、頼朝と北条時政とが謀反を企んでいる。きゃつらが油断しているところに、いくさを仕掛け頼朝の首を上げよ、との仰せだったそうで」
秀義が、話に食いついてきた。
「そのお話は、大庭殿はどなたにお聞きになったのでござる?」
「佐々木殿、この話を明かしてくれた武士のお名前はご勘弁いただきたい。一応、某を信頼してお話し下されたのでの……」
景親は、一段と声を押し殺し、
「……とは申せ、佐々木殿。どうやらその御仁は、この八月の半ばには、箱根路を下って一気に頼朝殿に襲いかかるおつもりらしい。
佐々木殿のご子息は、頼朝殿に出仕しておられるのでしょう?
お気をつけなさるがよろしかろうと存じますぞ」
この話をした後、秀義は用事を思い出したとかで、近々また一献傾けましょうぞ、と言い残して急いで帰って行った。
景親は、その後姿を見送りながらにんまりした。
今日の話はすぐに頼朝に伝わるであろう。
今、伊豆を席捲している噂が真実であったと判断するはずだ。
……頼朝よ。山木に首を取られるなよ。




