二十一 頼朝と時政の苦慮
その噂を聞いてからの数日間、頼朝と時政は苦慮していた。
八月中旬といえばあと十日ほどしかない。
その頃に山木館に討ち入るとなると、味方の武士が集まらない。
集まったとしても、せいぜい百に届くかどうか怪しい。
そんな数で討ち入りが可能なのか?
噂は単に噂でしかない。
だからそんなものは信用せず、当初の計画通り九月下旬のいずれかの日に決定することもできる。
しかし一旦、疑心暗鬼になってしまうと、もし噂通りの大軍がこの伊豆北条館に攻めかかってきたら万事休すという不安に苛まれてしまう。
噂を否定したい気持ちと、もし真実だったらという思いと、この二つが堂々巡りして、いつまでたっても結論を下せないでいた。
噂は、だんだんと話が大きくなり始め、攻めてくる軍勢は一万を越えるとか、いくさを始めるにあたって、はるか遠くの三島宿にも放火し、北条までの途上にある村々はすべて焼き払われてしまうとか、とめどがなくなっている。
二人は、堂々巡りに決着を下せず、考えることに疲れてしまった。
そこである妥協案を考え出した。
八月十七日に三島社で神事がある。
この日は、前日の夜から当日深夜までお祭り騒ぎで、三島宿をはじめ近隣の村々から人々が大勢集まってくる。
武士たちもこの日ばかりは羽目を外すので、当然、山木館内の守りが手薄になる。
それを狙って十七日の早朝に討ち入りを決行すれば、勝利できる確率は高い。
これを第一案とする。
だが、もし例の噂が虚報であると判明したなら、当初の作戦通り九月下旬に決行することに変更する。
これを第二案とする。
当然、動員する武士たちに召集の触れをださねばならないから、両案のいずれかとするかを、いつまでに判断を下すかを決めておかねばならない。
二人はそれを八月十日とした。
実は今日、八月六日は、山木館討ち入りを説明するため、例の噂が広まる前に、主要な武士に召集をかけてしまっていた。
工藤茂光・土肥実平・岡崎義実・宇佐美助茂・天野遠景・佐々木盛綱・加藤景廉らである。
本来は広間で、これらの武士たちに山木館の討ち入りの決行日と討ち入り手順を説明する予定であったが、両案いずれかにするか未決のため説明しずらい。
中途半端な説明は、武士たちの混乱と反発を招く。
そこで頼朝は、武士一人ひとりを自室に呼んで、計画は説明せずに、近々いくさをするので奮励努力せよ期待しているぞ、と激励するに止めておくことにした。
しかし集まった武士たちは納得していなかった。
例の噂を頭から信じ込んでいたので、敵が攻めてくると言うのに、何故いくさの段取りの説明がないのか、彼らにしてみれば不可解そのものだったからである。
頼朝の前を下がった面々は、今度は北条時政に怒りを露わにして食ってかかった。
「貴殿は、今般のいくさをどのように心得ておるのだ?」
厳しい追及を時政は、のらりくらりとかわして武士たちをなだめすかし、なんとか帰すことができた。
しかし、時政は気が付かなかったが、武士たちとのやりとりの中で彼らの名前を、何度も口に出してしまっていた。
大声でのやりとりは当然、北条館内の人々に聞こえ過ぎるほど聞こえていた。
その中には台所の女も含まれていた。




