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源頼朝挙兵物語  作者: 中野掘門
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十九 平井久重からの書状

 相模にある大庭景親の(やかた)は、大庭御厨(みくりや)内の小高い丘陵に建っている。


 その一角にある弓道場は広くしつらえてあり、(まと)までの距離は半町(五〇米)ほどもある。景親は遠矢の稽古を行っていた。


 大肩脱ぎにて三人張りの弓に十三束三伏の矢を(つが)え、よく引堅めて放つと矢は放物線を描いて、ずんという音をたてて的に命中した。


 先ほどから十数本の矢を放っているが、一尺二寸径の霞的(かすみまと)から外れるものは一本もなかった。


 おそるべき腕前といってよい。


 三人張りの弓とは、二人がかりで弓を(たわ)ませて、一人が(つる)を掛ける強弓のことで、十三束三伏の矢は、長さが拳十三個分と指巾三本分のことで通常より長い。


 この弓と矢の組み合わせにより、威力のある矢を放つことできる。霞的は同心円が描かれた的である。


 もうふた昔のことになるが、保元元年に源義朝に従って上京し、白河北殿の西門にて合戦した折り、敵の鎮西(ちんぜい)八郎源為朝(ためとも)が繰り出す五人張りの弓勢(ゆんぜい)のおそろしさに目を()いた。


 武士の装甲二人分を射抜く力と射撃の正確さは、寄せ手を恐怖感で膠着させたのだ。


 為朝の強弓ひとつのために、清盛も義朝も西門を突破することができなかったのである。


 兄景義は為朝の矢を膝に受けて、戦場から離脱せざるを得なかった。


 景親は弓というものの戦闘力の高さをその時に再認識した。


 以来、弓の稽古を怠らないようにしている。




 家人が、弓道場に入って来て景親に書状を手渡した。


 それは伊豆の平井久重からで、弓を置いて、その場で書状を開いた。


 久重の報告は、淡々と事実を述べているだけの文面であった。


 大庭殿ご依頼の箱根社の芝居は、ご指示通りに実施した。


 その結果、当日のうちから三島宿では大変な噂となり、四方八方に広がっている。


 北条館にいる台所の女から、八月四日には北条時政の耳にも届いているという。


 また、女が頼朝の居室に薬を服用するための水を持って行ったところ、頼朝と時政の間に大きな絵図が広げられていて、それがどうやら山木館を描いたものではないかと思ったということであった。


 女は子供のころ付近の山に登り、そこから見た山木館によく似ていたからだと理由を説明した。


 もう一つの依頼については、景親が平井館に参られる日が判れば、それに合わせて調整する、としていた。


 ……山木館だと?


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