十六 平井久重
平井久重は、伊豆山中の零細な所領しか持っていない武士である。
景親の大庭御厨に比べれば猫の額に等しい。
久重は、長らく平らな土地を渇望していた。
今回のいくさの勝利の暁には、伊豆北条の地をそっくりもらえる約束が景親とできている。
それには景親の秘密裏の工作を支援する役目を果たさねばならない。
北条の地は、狩野川が平野に出るところにあり、美しい水田が広がる沃地である。
山と谷のみで耕作地がわずかしかない今の所領に比べて、なんと魅力的であることか。
天と地ほどの違いがある。
久重は、それがもうすぐ自分のものになると思うとうれしくてたまらない。
そのためなら何でもする。
……大丈夫だ。大庭殿に従っておれば、必ずこのいくさに勝てる。
そう思いつつも、景親から受け取った書状の文面は、まことに奇妙な依頼が記されてあった。
芦ノ湖のほとりに箱根の社があり、そこは旅の安全祈願をするために、箱根路を往来する多くの人々が常時参拝に訪れる。
その社の前で小芝居をせよ、というのである。
関東からやって来た商人と西からやってきた商人が、たまたま社の前で出会い、世間話をするという筋書きで、こんな具合である。
東からやってきた商人が、西の商人に声をかける。
自分は武蔵相模を通ってここにやってきたが、多くの武士が軍備を整えて西に向かおうとしている。だから今東海道を行くのは止めた方がよいですぞ。
その武士とは、どのような方々なのですかな? と西の商人が尋ねる。
関東の平氏にお味方する武士たちで、八月の半ばに箱根を越えて伊豆北条におわす源氏の御曹司を討ち果たすとか。と東の商人が返す。
それは物騒のお話ですな。それでは東海道を避けて内陸の道を行くことにいたします。貴重なお話ありがとう存じます。と西の商人。
自分も伊豆三島の宿の者たちに、このことを知らせたいと存じます。お互い道中気をつけましょうぞ。と東の商人。
――この小芝居を明日と明後日の二日間、朝昼夕の三回、合計六回、役者はその都度替えて、特に人が集まっているところで大声で行え。
書状を読み終えた久重は、すぐに自館の郎党と家人を呼んで、段取りを整えた。
もう一つ、景親からの依頼があったが、それは少し後のことになる。




