十四 悲しい思い出
七月に入って厳しい夏の暑さが続いている。
北条館の自室に隣接する持仏堂の中は、風通しが悪く、蒸し風呂状態であったが、頼朝は日課とする法華経の読経を欠かさなかった。
読経をしていると心が落ち着いてくる。
だが時によっては、亡くなった姉の姿が去来し、頼朝の心を悲しくさせた。
姉の他に、もう一人頼朝が成仏を願う人物がいた。
それは頼朝が初めて儲けた男子で、まだ政子と知り合う前、伊東祐親の三女の八重姫との間に生れた千鶴丸である。
しかし千鶴丸は、三歳の時に大番役で京から戻って来た祖父の祐親によって殺されてしまったのだ。
「源氏の流人を婿になどできぬ。平家の咎めを受けるは必定じゃ」
祐親はそう言って、郎党に命じ千鶴丸を柴です巻きにして水死させた。
頼朝は、それを聞いた時、千鶴丸の最後を思って、心が張り裂けんばかりだった。
……この不甲斐ない父をゆるせ……
いくさの敗者ゆえの宿命が、頼朝を苛んでいる。
むざむざと息子を殺され、何もできないことに絶望し、自暴自棄になって何もかも放擲したくなった自分を救ってくれたのが読経であった。
姉が亡くなって、この伊豆に来てまもなく頼朝は、読経の中に心の救いを見出し、それがいつしか日課となっていった。
千鶴丸を失った時も読経に埋没することで、かろうじて心の平静さを保つことができた。
頼朝にとって生きることと読経することは、切っても切り離せないものであったのである。
無意識のうちに神仏にすがり、日常生活の中で寺社を見つけると必ず詣でる習慣が自然と備わった。
……だが、いつまでも読経三昧でいるわけにはいかなくなってきたようだ。
先日の懐島景義との話から自身の可能性を見出し、今、目の前に迫ってきている平氏との対決に集中するため、しばらく読経から遠ざかろうと考えた。
七月五日、頼朝は、伊豆走湯山権現の文陽房覚淵を呼び寄せ、法華経の読経一千部を中断して、八百部で仏に供える可否について相談した。
表向きには平氏追討の祈願としている。
覚淵は、法華経八百部の読誦を終えたご加護がきっとあると頼朝を激励した。




