百 頼朝と景親 二
「縛めは解かぬ」
景親が捕らえられた後、素直に自供した山木館、石橋山両合戦前後の詳細な戦術や工作のすべてを書面で知っていた頼朝は、策士の景親をまだ畏怖していた。
「お構いなく。本日のお出ましは、いかなる所存でございますかな?」
景親が笑顔で言った。その様子は、既に覚悟を決めた男の晴れ晴れとした姿に感じられた。
「汝の疑問に応えてやろうと思ってな。真鶴貴船神社にて、放った矢が我れの胸に命中したにも関わらず、こうして生きていることを不思議に思っていたであろう」
景親は、こくりと頷いた。あそこに命中したにも関わらず、存命していることがどうしても理解できなかったのは事実だった。
頼朝は、烏帽子を脱ぎ、髻を解いて、生々しく一部が抉られた正観音像を取り出して、景親の前に置いた。
「懐に入れた以仁王の令旨の書状の中に入れてあった」
「なるほど…… 頼朝殿が良き運に恵まれていたことがよう分かりました」
頼朝が再び正観音像を髻に収めて、烏帽子をかぶり直す様子を見ていた景親が言った。
「それだけではございますまい?」
「うん?」
頼朝は、一瞬きょとんとした。
「我れに正観音像を拝ませるためだけに、お人払いしたのではないでしょう?」
頼朝が破顔した。
「かなわぬな。さすがにこの頼朝を死の寸前まで追い込んだ者だけある。その洞察、大したものじゃ」
景親が促した。
「して?」
頼朝が笑顔を引っ込めた。
「単刀直入に言おう。助命したいのじゃ。汝の持つ類稀なる頭脳は惜しみて余りある。我らは、まだまだこれから知恵を絞って、平氏に立ち向かわねばならぬ。汝さえ承諾してくれれば、処分は形だけの配流とし、すぐに赦免して我が御家人に迎えたい。いかがじゃ?」
景親は、笑顔で頷きながら、
「折角のお申し出ながら、ご辞退させていただきたく」
「その理由を、聞かせてもらえぬか?」
「頼朝殿と相対した敵将の意地とでも言いましょうか…… 我が大庭一族は、勇猛果敢な鎌倉権五郎景正の末裔であり、その名誉を汚さぬようありたい、というのが我れの望みです。敵の大将として戦った者が助命されれば、その汚名は存命している限り付きまとうことでしょう。最後は、潔ようありたいと存じます」
「ほう。武芸自慢の者ならいざ知らず、謀に長けた者にはそぐわぬように感じられるが?」
「頼朝殿は、謀に長けた御家人を側に置いて不安ではありませぬか? この者がいつか自分の頸を掻くとは考えませぬか?」
頼朝はちょっと息を飲んだ。景親は、この頼朝が小心な性質であることを見抜いているのだ。
「我れもそろそろ五十路に届きまする。この人生の仕舞いどきに、こたびのような面白きいくさができたことに満足しております。それをはなむけとして極楽浄土に参りたいと存じます」
頼朝は、惜しいが説得するのは無理そうだと観念した。
「あい分かった。最後に何か望むことはないか?」
景親は、少し考えた。
「しからば、お言葉に甘えてお願いしたき事がござります」
「聞こう」
「我が大庭一族が、代々下司職を務めまする大庭御厨を、兄懐島景義に安堵し、さらに今後、大庭御厨への乱暴狼藉を禁止していただきたく存じます」
「その願い叶えてつかわそう。他には?」
「されば今一つだけ。我が処刑を梟首にしていただきたく」
梟首とは、斬首された後、晒し首にされる刑のことである。
名誉ある武士の死に方とは程遠い。
頼朝には、景親の言う意味が分からなかった。何を好んで自ら梟首を望む?
「その理由を聞かせてもらおう」
「頼朝殿は、配下の武将の方々とやさしさの絆でつながっておられる。それはそれで良きことではありますが、何千何万という配下を持つようになった今日では、それだけでは軍は保てますまい。殿の勢いに押されて仕方なく参陣しておる者もござりましょう」
「そこで破れた敵の大将を梟首する事によって、頼朝殿の軍に信賞必罰が貫徹しましょう。軍が強く結束しなければ、平氏には勝てませぬ。殿が負ければ、せっかく安堵していただく大庭御厨が没収されてしまいますゆえな」
頼朝は、この深慮遠謀の持ち主に圧倒されていた。ここまで見抜かれていたか。
「分かった。ではそのようにしよう。だが」
頼朝は、立ち上がって部屋を出ようとしながら言った。
「生まれ変わって、お互い会う機会があったなら、その時は我れの味方であって欲しいな」
景親が笑いながら応えた。
「いえ、この次こそ矢の狙いは外しませぬ」
「あっははは」
笑いながら、頼朝は退出した。
その三日後の十月二十六日、大庭景親は、極楽浄土に旅立った。
――完
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