第二十二話 十戒のナンバーファイブ
“十戒”、“不敬”ラビス・アンレ。その本質は圧倒的な戦闘能力と身体能力だ。
権能や魔法も、理不尽なほどの暴力の前では意味をなさないんじゃないか。そう、思わず不安になる。
でもこっちは原初の神の力なんだ、必ず勝てる。たとえどれだけ不安だろうと、どれだけ怖かろうと、無理にでも己を鼓舞するために自分の心を騙す応援をし続けた。
でも現実は非情である。
振り下ろされたラビスの拳は、間一髪のところで地面に激突。ラビスの拳ではなく地面が木っ端微塵に。
服と髪の毛が一部千切られた。拳の周りにも、まるで空気を切り裂くかの如く闘気が纏ってある。
かするだけでも大ダメージになりかねない。
ラビスは両手両足を巧みに使い、その鍛え抜かれたパワーで俺をノックダウンさせようと執拗に攻撃を仕掛けてきた。
正拳突き、裏拳、鉄槌、フック、アッパー、回し蹴り、掛け蹴り、飛び膝蹴り、踵落としと、これだけでもバリエーション豊かで凌ぐ側は怖いっていうのに、その速度が尋常じゃない。
イメージで言えば、身体の前に突き出された拳が瞬き一つの間に背中を強打するようなものだ。
とても目で追える速度ではなく、かろうじて避けているもののこれは【一望千里】とタルタロスの補助をフルパワーに活用してこの結果である。
たとえ攻勢に転じることができても、まだ壁はあった。
魔法を避けるのだ。どういう仕組みなのか、魔法をことごとく躱す。
【破滅之光】をいくら撃っても、連射や大砲、速射、乱れ撃ち、掃射、囲い撃ち、どんな攻撃をしても、まるで軌道が予測されているかの如く避けられる。
いや、そもそも魔法の発動から読まれているのかもしれない。俺がどのタイミングで魔法を撃つか、何の魔法を撃つか、何処を狙って撃つか。それら全てが手に取るように見えていてもおかしくはない。
そもそもの問題、ラビスの攻撃を避けるだけでも精一杯なのだから、それに加え魔法を撃つなんて無理である。でも魔法を撃たないとこの戦いは永遠と続き終わらない。
ラビスの体力が消耗するのを待つ持久戦だと、俺の敗北は目に見えていた。
ラビスの体力は超人的だ。その破壊力、運動能力と合わせて、人間の範疇を超えた実力を持つ。
【諸行無常】を使ってみたものの全く動きが衰えることはなかったので、これは長く厳しい研鑽の末に手に入れた力なのだろうと、永遠に思える数分のうちに理解できた。
《まずいね……私の制御でも手一杯なんて、強すぎ》
本当に。
タルタロスが白旗を振るほど、両者は互角であった。ということは、ラビスの身体能力は神に匹敵、いや神をも超えるというわけである。
俺には一応、最後の切り札が残されてるのだが……
《許すと思う?》
だよね。使わせてもらえないよね。
やっぱり、暴走状態は駄目かぁ。あれなら、人間辞めてるほどの力を存分に振るうラビスを何とか止められると思ったんだが。
《ほんとに、そんな軽い気持ちで奥の手に頼ってたら、いつかごしゅじん破滅するよ?》
……破滅しないように頑張ります。
暴走は禁止。タルタロスからドクターストップが出されたため、使えない。
現在防御結界を幾重にも張り巡らし、ラビスの思い一撃をかろうじて受け止めているところだ。
逃げて、魔法を撃っても躱される。
余裕綽々な態度で悠然と歩いてくるラビス。それに対し、もう既に満身創痍で自身の有限の魔力をかなり消費した俺。
気づいたら、周りの人々は居なくなっていた。あの人混みも、通りの脇に並ぶ建物からも、人っ子一人いない。亀裂が至るところに見える通りでは、武骨な男が一人の子供を容赦なく虐めている図が出来上がっていた。
だがしかし、ラビスを責める者はいない。誰もいないのだから。
「逃げるのか?逃げられるとでも思っているのか?
これが、スキルにかまけて弛みきったお前の力と、ただひたすらに己の肉体だけを磨き上げた俺との圧倒的な力の差だ。」
「力の差?ハッ、そんなもん、どうだってなる。ラビス、お前は自分の力を過信しすぎだ。」
「まだ十代前半のお前が舐めた口聞いてんじゃねえ。自分が信じられるからこそ、こうして思いっきり振るえるんだよ。」
ハッタリをかましてみたものの、ラビスは全く動じること無く俺に向かって引き続き攻撃をしてきた。
助走からの跳躍。真っ直ぐ前に、空気を切り裂くようにして飛んできたのはラビスの右膝だった。
このままだとまともに膝蹴りを食らい、俺は戦闘不能に陥ってしまう。何とか逃げないと―――
と思ったその時だった。
バキバキバキと木の繊維が砕ける音がして、目の前まで迫っていたラビスの身体が左に飛ぶ。
俺の右側から山積みの木箱を破壊して来た何かが、ラビスを押しのけた。
俺はその先を見る。壁に衝突したラビスと誰か。背中を強打したはずのラビスは、少し顔をしかめてから自分の体に覆いかぶさっている誰かを無理やり払い除けた。
その誰かは、ケントだった。
ケントが俺を助けるためにラビスに振るった剣はラビスが人差し指と中指で挟んで受け止めてしまった。
「ッ……なんだお前?ああ、脱走した奴らの一人か。」
「逃げろ!ソラ―――ッ!」
ラビスの拳が、地面に横たわったまま動けないケントの顔に迫る。
だが俺が動くより先に、ラビスの拳を阻止した存在があった。それも、二つ。
ケントの前に滑り込んでその拳をあろうことか手で受け止めたのは、シノブだった。
「おい、少佐ごときが逆らってんじゃねぇ。神之権能持ちだからって調子のんなよ。」
「調子に乗っているのはあなたの方。あなたたちの思惑は分からないけど、あたしは争いなんてしたくない。」
「じゃあ黙ってみてろ。」
掴まれた腕を横に振ってシノブを払い除け、再びケントを始末しようと拳を伸ばす。
だが、二の腕から突然血が噴き出した。
「クソッ……」
「いくら上官だからって、いくら強者だからって、仲間は見捨てたくない。」
血で濡れた剣を携えてその場に現れたのは、ヨツキ。
ラビスは明らかに怒りが滾った様子で四人をそれぞれ一瞥すると、立ち上がりぶっきらぼうに言い放った。
「そんなに死にたいか。いいだろう、四人同時に、このラビスが相手してやる。」
その瞬間だった。起き上がったケントとシノブ、そして剣を構えたヨツキに音速を超える攻撃が放たれた。
左からの回し蹴りでケントの脇腹をえぐり、勢いに乗ってシノブに裏拳で殴りかかった。二人を仕留めた後、ラビスの攻撃を警戒しつつも見切ることができず硬直していたヨツキの腹に、アッパーを叩き込んだ。
ケントは彼の右側に吹き飛び、木箱の山に衝突。シノブは裏拳の衝撃で頭を地面に叩きつけられ、ヨツキは胴体を折って腹を押さえ、悶えた。
「残るはお前だ、ソラ。」
そして、逃げようとする俺に追いついて正面に回り込んできたラビスは、俺の顔面にその拳を叩き込もうとしてきた。
タルタロスによって引き伸ばされた思考と、【一望千里】による直接感知の効果で、視界がスローモーションになる。
俺の眼前に、歴戦の風格がある大きな拳が。それが俺の鼻っ面から顔面を砕く直前、“何か”が割り込んだ。
それは、白く小さな子供の手だった。
あたりに凄まじい衝撃波が、同心円状に巻き起こる。
一歩引いた俺と、俺を殴れなかったまま先ほどの姿勢で硬直しているラビス。そして、ラビスの拳を受け止めているのが―――ヒナタだった。
「なんだクソガキ、お前もぶち殺されたいのか?」
明らかに不機嫌そうに、ラビスが目下のヒナタに唾を飛ばす。
一方ヒナタの方は―――
「―――わたしのあるじに、てをだすな」
怒っていた。
喋っていた。
様々な情報と驚きが、俺の中に流れ込んでくる。正直色々と考えたくもあるが、今のはそんな状況ではないので一旦頭から追い出す。
「あ゛?いいからさっさとどけ、さもないと―――」
それが、ラビスの最期の言葉となった。
一瞬だった。俺があれほど苦戦した相手だというのに、一瞬で、いとも容易く片が付いた。
ヒナタの絶対的な攻撃。それは、陽光の収束だった。
遥か彼方の空から差し込んだ、一筋の光。それは生半可な日光などではなく、石も、金属も、人間も、等しく焼き焦がし貫く殺人兵器だった。
まず最初に、ラビスは突き出した右手の手首をその光線により焼かれ、手首から先がちぎれ落ちるより先に新たな光線により肩口から吹き飛ばされる。
その現象に驚愕したのか、それともヒナタの膨大な殺気に気圧されたのか、はたまた焼き貫かれた痛みなのか、真相は定かではないがラビスは一瞬目を見開いた。
ラビスの残りの寿命は、その一瞬だった。
瞬きする間に両足を付け根から焼き切られ、残った左腕も切断される。
超高温のレーザーのため、傷口は焼かれて出血はない。それどころか、出血する暇さえないのだ。
四肢を失ったラビスは、胴体が地面に落ちる直前に大量の光線に一気に身体を貫かれ、終いにはこめかみを貫かれて絶命。
余すこと無く焼かれ、無数の穴が開いたラビスの胴体と、絶命した後首を焼き切られ更に無数の光線によって貫かれた人間の頭部だったもの、そして根元から焼き切られた四肢は、血の代わりに焦げた組織片を辺りに散らし、ドサッと音を立てて散乱した。
「…………」
一同、唖然としていた。
一人の少女が放ったその攻撃は、余りにも残酷で強力な光の乱舞だったから。そして、あれほど苦戦したラビスを一瞬のうちに葬ってしまうという隔絶した力の一端を見せつけられたからだ。
よく見れば、ヒナタの白い肌は僅かに血色を取り戻し、その瞳は薄く虹色に輝いていた。
大人一人を惨殺した少女は、へたり込んでいる俺の元へと静かに歩いてくる。
「………」
俺はまだ声が出せないほどの光景を目に焼き付けてしまったため、ヒナタの動きを見ていることしかできなかった。
でも、俺の横へと歩いてきたヒナタが取った行動、それは―――
「よし、よし」
俺の頭の上に小さくもほんのりと温かく、泣いてしまいそうなくらい懐かしい感じがする手が置かれ、頭を撫でられた。
「あるじは、わたしがまもるから、ね。」