第二十話 西側諸国防衛戦(後編)
最強と称された魔法使いの前に、大軍を率いる白馬の騎士がいた。
両者は暫し見つめ合い、やがてお互いの腹の探りあいのために会話を始めた。
「お前が、攻めてきた野郎だな。悪いことは言わない、さっさとテロスに帰れ。」
「貴殿の名は?」
「俺はカイル・ドラコニス。今じゃ眉唾もんの称号だが、一応プロタ王国最強の魔法使いだ。」
「カイル、貴殿の丁寧な対応に敬意を評す。私はナノイ・エルゲニス。テロス王国の騎士にして、“十戒”の“安息”。」
「十戒……こりゃ、まためんどくさいもんが絡んでるな。
ナノイ、お前の仲間にミテスって男がいるだろう。」
ナノイはその名を聞いた途端、少しの動揺を見せた。兜の向こうに隠された表情は僅かに歪む。
全身甲冑だが、ナノイのその僅かな反応を見切ってカイルは話を続けた。
「その様子じゃ、多分そうなんだろうな。
今から三年前、先代国王だった時に王城に何者かが忍び込んだ。それを捕らえたのが、俺たちのパーティだったんだよ。確か、“強盗”だったっけな、男は自分のことを十戒の一人だと言っていた。
まあ当時は十戒について分からなかったが、調べてみて理解した。」
カイルが饒舌に話しているうちに、ナノイの苛立ちは加速していく。それはカイルの態度ではなく、内容がナノイの気に障るものだったからだ。
「お前の所属は、テロスにあるっていう真光騎士団じゃない。偽善の棺桶だな。」
その名が出た途端、ナノイの手は無意識に剣を掴んでいた。小刻みに震える身体、それと連続してカチャカチャと音を立てる鎧。自分の腰に差している剣の柄を握って、今にも抜剣しそうになっていた。が、ナノイは感情を抑えて平静を保つ。
「図星か。“偶像”、“禁句”、“安息”、“不敬”、“虐殺”、“情炎”、“強盗”、“偽証”、“大金”。この九つがあるのは知っているが、字面からして恐らくトップがいるんだろう?
そしてお前は組織のナンバーフォー、“安息”のナノイ・エルゲニス。合ってるな?」
「―――ああ。」
「そして、“強盗”と“大金”はもう既に死んでいる。これも、正解だろう」
「―――まさかそこまで言い当てるとは。素直に脱帽したくなる。」
「そんなことを言ってもらえて嬉しいが、要するにお前は誇り高き騎士なんかじゃない。犯罪に加担したただのバカだ。」
ストレートな暴言に苛立ちが一気に高まるナノイだが、必死に高ぶる感情を押し殺していた。
「四番目に強いとか、そんなことどうでもいいんだよ。犯罪者の時点で、お前に騎士を名乗る資格はない。」
それがきっかけとなり、遂にナノイの怒りのパラメーターは臨界点を超えた。自分のあり方を真正面から否定され、遂に堪忍袋の緒が切れた。
隠し通してきた憤怒を解放して剣の柄を握ったが、攻撃が早かったのはカイルの方だった。
「【地獄之業火】。」
魔法が発動し、ナノイの背後に待機していた軍勢は吹き飛んだ。
空高くまで伸びる六つの炎の柱が現れ、更にそれが六角形となり内側に囚われた者たちを一気に消し炭に変えた。
背中を焼く熱気にナノイが気づき、抜いた剣を振ろうとした腕を止めて後ろを振り向いた。ナノイの鎧越しの目には、燃え盛る業火が映し出される。
兵士の断末魔、混沌とした騒ぎ声、焼け付くほどの熱風、昼間をより明るく照らす赤銅色の炎、タンパク質が焦げ、炭になっていく嫌な匂い。
多数の兵士の死に様が、五感でナノイの脳に流れ込んだ。
「これでも、必死で特訓したんだぜ?あいつに負けないように、短い期間で。寝る間も惜しんでこの技を磨き続けたさ。
やっぱり、自分が得意とする魔法は幾つあってもいいな。」
何千もの兵士を一瞬で葬り去ったにも関わらず、カイルは表情一つ変えず話し始めたのだった。
幾ら犯罪者組織と言っても、表面上誉れ高い騎士を演じ、心の内では誇り高い剣士を目指すナノイにとって、その態度は異常としか言いようがなかった。
(この男……これほどの極大魔法を撃っておいて殺気が感じられない……
これほどの大軍の命を刈り取ろうと、顔色一つ変えない……
単に殺人になれただけ?それとも、人を殺しているなんて思ってもいない?いや、他に何かあると……?)
数秒の間に考えを巡らせるナノイだが、それでもカイルの本質を見抜くことはできなかった。
「んじゃ、これも試してみるか。」
カイルがそう言うと、彼の杖に付いているクリスタルが黒い光を発し始めた。あからさまに何かが起こる反応にナノイは防御のため自身のユニークスキルを発動させる。
ナノイの周囲を四枚の半透明な金色の盾が回り、完全隔絶領域を作り上げた。
「【反力之万華鏡】」
カイルの杖のクリスタルから放たれた黒い光の奔流は、混乱に陥った兵士を取り巻いた後一つの環となった。
そして時空の裂け目に変わった黒光りする漆黒の環は、内側にいる兵士たちを次々と葬っていったのだ。
名の通り、それは万華鏡だった。空間内を八等分し、それぞれをもとある場所から少しずらす。それによって数千を超える兵士が身体を空間ごとずらされ、次々と死んでいったのだった。
上半分は右回転、下半分は右回転。空間同士を切り離したため、当然それに巻き込まれたら無事ではいられない。
万華鏡は回り続ける。しぶとく生き残っている者を残さず葬り去り、積み重なる死体の山さえも砕いていくのだった。
そして生存者も軒並み息絶え、死体も細切れになったところで、周囲を囲んでいた裂け目の環は凄まじいスピードで縮小していき、内側に残っていた全てのものを時空の裂け目に引きずり込んで最終的に消滅した。
目の前で起こっていた悪夢に、兵士たちは耐えられず心が折れた。業火によって一瞬にして炭に変えられた者たちや、万華鏡で理不尽にも引きちぎられた者たちは、運が良かったと言える。なにせ、なにも感じることなく死んでいったのだから。
心が折れ、壊れた兵士たちは、明らかにその行動に異常を来たし始めた。膝から崩れ落ちて泣き始めたり、天を仰いで狂ったように笑いだしたり、抜け殻のように立ちすくんだり、操り人形の糸が切れたように崩れ落ちたり、もうまともに戦えるものは、ナノイだけしか残されていなかった。
「ありがとな、お前の権能もすぐに理解できた。
世界から三秒、その存在をずらす。それによってどんな攻撃でも防げるんだろう。
だがな、俺が最近やっと使えるようになったこれの前じゃ無意味なんだよ。」
そう言って、カイルはナノイに杖の先を向けた。
クリスタルは紫色に点滅している。ナノイは逃げることはできたが、白馬が怯えてしまって動けず、重い鎧を着た状態では乗り降りも困難なのでどの道もう間に合わなかった。
向けられたクリスタルの先端から白い光が放出され、明滅する紫色の光は次第に強さを増していった。
「じゃあな、ナンバーフォー。
【冥王之祝福】。」
ナノイは紫色のオーラに包まれた。周囲一帯に高濃度の魔力が撒き散らされ、ナノイの網膜には見えるはずのないオーロラが焼き付いた。
ナノイは意識が破壊される寸前、目に焼き付いたオーロラと強い光、そして圧倒的な強さを見せたカイルに対して柔らかな笑みを浮かべ、一言呟いた。
「美しい……」
刹那身体のすべての器官が魔力に侵され、一瞬で機能を停止した。
騎士もどき、“安息”のナノイ・エルゲニスの意識、理不尽に散っていった兵士たちの命とともに天に昇っていったのだった。
ナノイの完全隔絶領域は、空間攻撃には弱かった。
空間を全て魔力で満たし、対象の身体を蝕み破壊する核撃魔法、【冥王之祝福】はその点では実に理にかなっていると言える魔法であった。
情報を得てから一瞬でその魔法を使う判断を下したカイルは、内から湧き出す恐怖を必死に抑え込んでいた。
大陸を、全国を股にかける巨大闇組織のナンバーフォーを相手取り、幾ら実力があろうと緊張してしまうのは当然だった。
あえて挑発の姿勢を取り、先に後ろの兵隊たちを無残に葬っておくことで自分の強さを示し、威嚇したのだ。
それにより権能を見破って、更に殺すことができたのはカイルにとって僥倖であったわけだが。
こうして、西側諸国の一つの脅威は去った。だが、デティク王国の他にもテロス王国の国境に面している国はある。それら全てに軍隊が送り込まれているわけなので、カイルの仕事はまだ終わっていなかった。
西側諸国防衛戦は、まだその幕を下ろさない。