第十一話 隠密作戦
翌朝。
決して気持ちのいいとはお世辞でも言えない不快な朝に欠伸を一つ。
こんな朝はノア特製の朝食が食べたくなるところだけど、残念ながらこの薄暗くカビ臭い牢屋にそんなものはない。
あるのは今俺の膝掛けと化しているザラザラの分厚い毛布と、半地下の高い位置にある明かり取りの窓のみ。勿論その窓は鉄格子がハメ殺しにしてあるため、開けることは不可能。たとえ開けたとしても、爆発でもさせないと狭すぎて子供の俺でも出入りは不可能だ。
つまりはどういうことかと言うと、この牢屋からはまず出られないということだ。
別に破壊が不可能というわけではない。俺をこの牢屋に閉じ込めている鉄格子は爆発でもさせれば壊れそうだし、なんならこの要塞のような施設自体【紅月之黙示録】で吹き飛ばしてしまえばそれでおしまいなのだ。
じゃあ何故それをしないのか。理由は簡単。この要塞には、不確定因子であるラビス・アンレが常駐している。あの男をどうにかしない限り、ここから脱出できそうにないというわけだ。
ラビスと戦ってみれば、案外勝てるという可能性もある。だがタルタロスの見立てに俺は従う。
そして、ラビスを気にしながら俺は今日何をするのか。勿論言うまでもなく、脱出の準備だ。
昨日一日訓練等を体験してみて、俺は一つ思った。
できるだけ早くここから出たい、と。
そのためには、まだ圧倒的に情報が少なすぎる。この要塞がどんな構造をしているのかも、どれくらいの兵力が集結しているのかも、これから勃発するであろう戦争の目的は何なのかも、何もかもがまだ不明なままだ。
「というわけで、今日はこの要塞を探ってみようと思う。」
「どういうわけなんだよ。」
鋭いツッコミをしてくれたのは、向かいの牢屋に閉じ込められているケントだ。
彼も乗り気かと思ったんだが……
「一刻も早くここから脱出して帰りたいからさ、そのための準備だよ。」
「なるほど。ちなみに今日は訓練なしで、一日中広場で自主練だからね。」
「つまり?」
「抜け出しても、バレなきゃ問題ないってわけだ!」
嬉しそうに、且つ見張りの衛兵に気付かれないように小声で叫ぶケント。やはり彼も脱出したいらしい。
そりゃそうだ。こんな不潔で狭くて堅苦しいところ、よほどの物好きじゃないと好まない。
「それで、まずどうするんだ?」
「考えてないの?」
「まあ、なんせ昨日来たばっかりだしさ。」
「仕方ないなぁ。実はね、僕今までにちょこちょこ調べてたんだ。流石に脱獄をする勇気はなかったけど、ある程度の情報は持ってる。」
「ほんと!?教えてよ!」
その情報をぶら下げられて俺が思わずそう言うと、ケントはあっさりと、自慢げに教えてくれた。
「まず、この要塞のことについてね。
範囲は縦八百、横六百の長方形。敷地に沿って高い塀が設けられていて、四隅には監視塔、塀の上には高電圧フェンスと有刺鉄線、敷地内には国がある北西以外に向けた砲台が多数設置されてる。この砲台は、弾にもよるけどだいたい小さな集落を吹き飛ばせるくらいの威力を持つと考えていい。
敷地内の話だけど、まずは中央棟。ここには大多数の兵士が集まってて、主にここで生活をしてる。寮も完備されてるから、日本の自衛隊基地と同じ感じだね。
次に、僕たちがいる南東棟。ここにはラビス――教官と、衛兵たち、そして僕たち異世界人が収容されてる。主に異世界人を兵力として調教するための施設だ。
その次が北西棟。ここには砲台がない分、国から運び込まれてくる食糧を貯蓄する倉庫や、戦争が始まった際にこの基地で使われる兵器をしまった倉庫、それと金庫がある。全体の五分の一くらいの兵士と、武器に長けた長官が在籍してるって話だよ。
それと兵力だけど、国全体の数は分からないけどこの位置にはおよそ三万がいる。近くの基地も何万も抱えてて、隣接してる西側諸国とかにいつでも攻め入れる状況にあるんだ。
これが、僕が掴んでる情報の全て。どうかな。」
「どうかなって……正直言ってすごいよ。オレが今欲しい情報のほとんど今聞いたもん。」
「へへへ。」
思わぬ収穫だった。これからコソコソ集めようとしていた情報を、まさかケントが持っているだなんて思いもしなかった。その努力は計り知れないけれど、今俺が欲していた情報のほぼ全てをこれで得ることができた。ケントの努力には悪いけど、この情報、有意義に使わせてもらう。
だが俺には一つ、まだ腑に落ちないことがあった。そう、それは『この戦争の目的』だ。戦争の目的が一体何なのか分からない限り、この先の行動が制限されてしまう。いっそ食い止められるものなら、どうせなら今からでも行動に移したいところだ。
「この戦争の目的ってさ、何か分かる?」
「目的?いや、流石にそこまでは……
いや、待って、心当たりがあるかも。」
「ほんと!?」
ダメ元で聞いてみたが、どうやらケントが何か知っているようで、ケントは眉間にシワを寄せて必死に何か思い出そうとしている。
そして深く息を吐き、言った。
「だめだ、思い出せない。」
「思い出せないかぁ……」
「テロス王国で聞いたことがある噂なんだけどね、」
「ケントってテロスが本拠地?」
「うん、そうだけど。言ってなかったっけ。」
「てっきりプロタ王国かと……」
どうやらケントの本籍地はテロス王国らしい。そのことに関して一切会話の中で聞いておらず、てっきり俺はプロタ王国の同郷かと勘違いしていた。テロス王国なら、この要塞に出入りする物資に見当がついても何ら不思議じゃない。
「プロタって……テロス王国が敵対してる国じゃん!」
「そうなの?」
「うん、なんならそれが目的で戦争が始まったと言っても過言じゃないよ、テロスは覇権主義だから。」
「マジか……」
そう言えばカイルたちが覇権主義どうのこうの言っていた気がするが、あまり覚えていない。だが少なくともテロス王国の狙いがプロタ王国だということは初耳だ。
戦争、この世界では王の首を取れば終わりみたいな戦国時代や中世の時代みたいな考え方なのだろうか。いや、世界観が中世のヨーロッパだからそんな考え方が主流でもおかしくはない。むしろそっちのほうが可能性あるんじゃないか。
動機については色々と謎な部分も多いけれど、ケントも思い出せないとしたらどうやってその情報を埋めれば良いのだろうか。
「こんなときは……」
「こんなときは……?」
「その自由時間に脱出して、どうにか動機に関する情報をかき集めよう。」
「僕も付き合うよ。この建物の構造はほぼ熟知してるからね。」
何度も何度も自由時間に抜け出し、ケントがここに連れてこられてから今日までのおよそ一ヶ月の間、彼は隠密作戦を決行してきた。その成果か、今俺たちが閉じ込められているこの棟だけでも構造を把握しているのだろう。
案内役となってくれるケントが一緒ならば、これほどまでに心強い仲間はいない。
俺はしっかりとケントにお礼を言い、来る自由時間を待つのであった。
体感で二時間後。それまでの時間小声で作戦を練っていたが、ラビスが地下室に入ってきて低い声で全員に呼びかけた。
「お前ら、今から自由時間だ。新参以外は分かっているだろうが、いつも通り広場で自主練だ。
道具は貸し出してやる。せいぜい自分たちの弱いところを打ち直せ。」
その後牢屋から出され、連れてこられたのは昨日の訓練で使用した広場だった。
見張りの衛兵は数人いるが、ラビスは何処かに行ってしまったのでバレなければ抜け出せそうである。
(何処から抜け出せるんだ?)
(そこの壁に雨樋があるでしょ。それを登って、上にある排気口から中に入れる。幸いにもそこは衛兵たちの死角だから、音さえ立てなければ上手く入れるはずだよ。)
(オッケー。)
ケントが小声で指さした金属製のパイプに目をやる。そして、衛兵たちの視線を確認してから俺はそこに駆け寄った。後ろからケントもついてくる。
そこから建物の壁の陰に隠れて衛兵たちの姿は見えなくなったので、恐らく向こうからも俺たちの姿は見えないのだろう。たとえ死角といってもバレる可能性は十分にあるので、神経を研ぎ澄ませながら雨樋に手をかける。
雨水受けにあった木の樽を踏み台にし、俺は音を立てないように細心の注意をしながら雨樋にしがみついた。俺の身体は小さく、その分体重も軽いので、腕の筋肉は足りないもののスルスルと登ることができた。
ケントも、苦戦しながらも常習犯の経験のお陰で音を立てることなく登ってきて、屋根に到達。そこに排気口のような入り口があった。後ろでケントがそれを指さすので、入り口はここで間違いなさそうだ。
四つん這いになりながら、排気口の中を進んでいく。ところどころ下から光が見えるので、そこと部屋が繋がっているのだろう。
(ここからどうすればいいんだ?)
(今から衛兵の詰め所に行く。足音立てないようにね。僕の案内に従って進んでいって、目的の通気孔があればそこで止まって。基本的に中で噂話してるから、もしかしたら必要な情報が得れるかも。)
(なるほど。)
そこからは、極力足音を立てないようにしながら四つん這いの姿勢で進んでいく。ケントが後ろから案内をしてくれるので、迷いなく目的と思われる場所へと着いた。
中からは何人かの男の声が聞こえてくる。幸運なことに丁度俺の必要としていた噂話をしていたので、二人して息を殺してその話を盗み聞いた。
「おい、聞いたか?」
「何を。」
「まさかまたお得意の噂話じゃねえだろうな。」
「そのまさかなんだよ。文句でもあんのか?暇なんだからしょうがねえだろ。」
「まあ確かに。それで、その話ってなんだ?」
「遂に例のお告げが出たってよ。」
「お告げって……あれだろ?国の姫が聞く天の声だろ?なんだっけ、祈祷で聞くんだよな。」
「そうそう。そのお告げなんだけどな、俺たちがいま起こそうとしてる戦争があるだろ。その戦争も、天のお告げが『プロタを滅ぼせ』って言うのを姫が受け取ったから、始まったらしいんだよ。」
「そう言えばそんなことも言ってたな。それで?」
「この戦争、遂に始まるらしいんだ。」
「マジ?」「やっとかよ」
「そう、どうも天啓がやっと来たらしくてな、一ヶ月も待ったけど遂に進軍開始なんだってよ。今この要塞のお偉いが本部の方に招集されてるだろ?あれがその証拠さ。」
「じゃあ、やっと俺たちの出番ってわけだな。腕が鳴るぜ!」
「せいぜい死なないようにな。こっちには強いやつらがうじゃうじゃいるんだ、たとえ俺たちが負けようとな、この戦、勝てるぞ。」
「終わったら飲みにでも行こうぜ。」
「おう。」「そうだな。」
天啓?お告げ?姫?天の声?まさか祈祷で出た結果で戦争始めようって言うのか?冗談だろ……そんなので巻き込まれたのか?俺たち。腹立たしくなってくる。
(そうだそうだ、思い出した。確かテロスの最上層では、国の姫が神様にお祈りを捧げ、そこで賜ったお告げが政治において絶対なんだって。その姫の名前は……ええと、確かロアだった気がする。よく覚えてないんだ、そこら辺は。)
(なんてイカれた政治体制だよ……)
と、その時。俺が知らず知らずのうちに通気孔の上に手を載せていたせいで、通気孔からガコッという音が聞こえてきた。
あ、まずい―――と思った時にはもう遅く、四角い通気孔は外れて派手な音を立てて落ちていった。
それと同時に、重心が傾いた俺は体勢を立て直す前に通気孔と共に下へと落ちてしまった。
派手な音を立てて、床に落ちる。身体を数カ所打ったけど、何とか立ち上がった俺は必死に周りの音を拾った。
「おいなんだ!」
「し、侵入者!?」
「今すぐ上官に報告しろ!」
そして俺が何とか起き上がって辺りを見渡した頃には、目の前に一人の男が立っていた。
「お前、自主練から外れて何やってんだ。」
相変わらずの黒ずくめの服装の男、ラビスだった。