第二十五話 大海魚
〜前回のあらすじ〜
アクロの南に位置する街、ノティに着きました。
◀ ◇ ▶
新しい朝が来た
希望の朝だ
喜びに胸を開け
大空仰げ
とまあ懐かしきラジオ体操の歌を歌いながら、俺は清々しい朝の光を浴びて目を開けた。
字面から見たらなんと優雅な朝だろう。だが、現実は非情だった。
「うっ!?」
意識が夢の中から舞い戻った瞬間、網膜を鋭い刺激が貫く。ノンレム睡眠中で羽を休めていた脳みそまでその刺激は到達し、強制的に覚醒させられた。
簡単に言えば、朝起きて急に眩しすぎた。昨夜カーテンを閉め忘れたためか、すっかり空に昇った太陽の光がベッドの上に差し込んでいた。
光に慣れていない寝起きで、目に光が入ってくるのを遮るために強く目を瞑る。手でも遮りながら、ベッドから起き上がってペタペタと裸足で歩いていく。
朝のルーティン紹介。なんてのは誰得だよって話したがら、紹介はしない。
数十分かけて朝の支度を終えて、俺はしゃっきりとして部屋のドアを開けた。
人気のない廊下。俺の住んでいる屋敷とは違い、品位なんてのはない。薄汚れて歩くたびに軋む木の床、変色している木の壁、汚れで僅かながら霞んだ窓ガラス。
ここはノティの宿屋。民営の宿屋の中では比較的いい方ではあるが、やはり民営。だが、野宿したことある身からしたらさほど気にならなくもなってきた。
俺は足を踏み出すたびにギシギシと音を立てる床を歩きながら、階段を降りて一階へと向かう。
小さな食堂とフロントがある一階だが、人があまり泊まっていないような閑静な雰囲気。そしてその中で優雅にコーヒーを嗜むイケメン。絵面としてはなかなか映える。
趣のある風景。古びた木の机と木の椅子。その椅子に座って膝を組みながら、湯気の立つコーヒーをゆっくりと味わっているセト。イケメンがイケメンなことしてるとかっこいい。
「おはよう、セト。」
「いい朝だな、ソラ。」
コップを机において立ち上がるセト。
その後フロントにて二人でチェックアウトを済ませ、宿の外に出る。
さて、どうしようか。
「セト、とりあえず昨日聞いた漁村に向かってみるか?」
「そうだな。」
というわけで、海の神を祀っているという漁村に向かってみることにした。
その為に俺たちは、肌寒く日差しの強い静かな街を歩いていく。行き先は西門だ。南西に存在する漁村に向かうためには、西門から出発する馬車に乗って向かわないとたどり着けない。
二日かかるらしいが、もとより長旅を想定して準備をしてきたので、寧ろ短く感じられる。
暫く歩いて、西門に到着。脇に経っていた建物がどうやら馬車の受付らしいので、ここは馬車の予約に慣れているセトに全てやってもらうことにした。
「セト、馬車予約してきてくれよ。」
「我が?いや、それこそ数ヶ月前は我がやっていたが、一応冒険者なのだからソラがやったらどうだ?」
「いや、俺そういうの苦手なんだよね。コンビニのレジとか緊張する。」
「こんびにのれじ……?よく分からんが、ソラは出来ないのか?」
「うん。」
「じゃあ仕方がないか……」
全て丸投げされて任せられることに不満げなセトだが、ブツブツ言いながらも予約をしに受付へと歩いていった。
コンビニのレジは伝わらなかった。まあよく考えてみればこの世界で伝わらないのも当然のことだし、いくら神といったところで全知ではない。そういえば初めて会ったときも“トラック”と“中学生”が通じなかったから、俺が異世界人だとわかったんだよな。懐かしい。
そんなことを考えながら、西門の前でセトの予約を待つ。西門の門番は俺のことを不思議そうな目で見ているが、別に何もしてないからな?まあ、別に不審者とか補導対象とかだとは見ていないようで、怪しむというよりただ「何がしたいんだ?この子供」みたいな感じなんだと思う。
数分待っていると、セトは帰ってきた。
「もうすぐ馬車が来るらしいぞ。後五分もあれば、我が予約したやつが門の前に来るだろう。」
その報告を受け、俺はさらに五分待つことにした。暇だが、近くのベンチに座って杖のクリスタルをじっと見つめて時間をつぶす。
この杖は、勲章授与式にて授かった代物だ。まだ紹介をしていなかったな。前代の杖は、先が三日月方になっていて中央に赤い宝玉が有った。
これは、正方形の枠組みのようなものが幾つも集まって出来た立体型の幾何学図形の中に、これまた正方形の紅いクリスタルが宙に浮いて収まっている。
前代はメグさんの店で買った杖で、素人目から見たら何処がいいのか全く分からなかった。だけれど、幹部による連戦や要塞都市イリオスの攻略、果ては魔王討伐にまで連れて行った道具。さすがに戦闘が激しかったのか、魔力の消費効率が悪いとカイルは言っていた。なので今は超がつくほど高性能なこっちの杖を使っているのだが、如何せん前代の杖には思い出が詰まっている。故に捨てることなど到底できず、かといって保存するには邪魔。そこで、三日月の内側についていた赤い宝玉だけを飾っている。杖の心臓部は寧ろこの部分なので、これだけ保存しておけば杖の代わりになるかなと思った次第だ。
この杖はこの杖で使い勝手は凄くいいんだけどね。
思い出を頭に浮かべながら時間を潰していると、いつの間にか馬車が到着したようだった。セトが西門の向こうを見ながら立ち上がるのを見て、俺も立ち上がる。
そして到着した場所に乗り込んで、いざ出発。
馬車はゆっくりと進み始め、やがて速度を上げていく。馬車が一定の速度になったところで景色を見てみると、既にノティから大分離れていた。
いよいよ、打倒南の魔王の旅が本格的に幕を開けることとなったのだ。
◀ ◇ ▶
南の魔王討伐旅日誌。
日誌と言っても旅自体は三日くらいのもので、片道で二泊三日。日誌を書くほどのこともないだろうとも思ったのだけれど、何故かリュナから借りたカバンの奥に羊皮紙の束とペンとインクがあったので、特にやることもない暇な時間に書いていこうかなと思ったのだ。
要は徒然草みたいなもの。つれづれなるままに、日暮し、硯に向かいて、心に移り行くよしなしごとをそこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
つまりは、特にやることもないのでぱっと浮かんだことを適当に書いてみようと、そういうわけなのだ。特に意味のない行為ではあるものの、後で読み返してみたら旅の様子をリュナたちに伝えられるかなぁと思って。
というわけで、旅二日目から始まる旅日誌。
今日は馬車に乗って、中継地点であるノティから出発した。南の魔王城は南の海の島に建っているらしく、そこに行くには海の危険が多すぎる。そこで、海の神を祀っているという漁村に一度向かってみることに。
多分セトの友だちではないかと俺は睨んでいる。ただ、祀っているというだけなので何か海を渡る手がかりがあるのかも不明だ。
馬車で二日かかる距離で、多分暇が続く。いつまでも揺れと移ろう景色を眺めているわけにもいかないので、早めに馬車の移動から脱却し、ノアたちのためにも早く帰ってあげたいと思っている。
そのためには手っ取り早く南の魔王を倒すことが必要だ。まあ、二人とも神之権能持ちだから多分大丈夫だろう。
おっと、ここでタルタロスから指摘が入った。どうやらタルタロスは原初之権能らしい。前にそんなことを言っていた気もするけど、あまり覚えていない。
とりあえずこんな書き出しでいいだろうか。明日は明日で何か起こりそうな気もするけど、気合入れて頑張ろう。
三日目。
ガタンという大きな揺れによって、一度身体が空中に投げ出されて起こされた。起こされ方は最悪だけど、どうやら御者さんは完徹で馬を操っているらしい。馬も完徹だ。小窓からありがとうございますと精一杯のお礼を言って、今日も朝から一日中馬車の旅。
あまりにもやることがない。仲間とは言え、イケメン男子と同じ空間にずっといたら気が滅入ってしまう。せめてこれが美少女だったらなぁ……っと、私欲が漏れてしまった。
精霊に性別があるのかどうか気になるところだけど、まあこの際男として仮定させてもらう。仮定したところでどうなんだという話でもあるんだけれど。
とにかく暇。東の魔王のときは賑やかでまだ良かった。暇を紛らわすために、時間をつぶすために、こうして日誌を書く。
だんだんと馬車に吹き付ける風は冷たく強い風に変わってきて、雨も降りやすくなってくる。
海岸に近づいている証拠だ。
簡単な昼食を馬車の中で済ませ、ただひたすらに景色を眺めていく。すごいスピードで右から左へと流れていく景色を目で追おうとすると、動体視力が鍛えられるのでこれもいいトレーニングである。
日がな一日馬車に揺られて移動を続け、とある時馬車は動きを止めた。
沿岸部特有の強く吹き付ける風が気になるが、目の前には目的地の景色があった。
いかにも漁業を営んでいそうな、緩やかな坂になっている海岸の上の地に、何棟もの家が建ち並んでいた。
造りは粗末ではあるが、村としてはこれ以上ないというほどイメージ通りの光景にある意味びっくり。
そんなイメージは捨てたほうがいいだろうか。よし、捨てよ。
約二日かけて目的地の漁村に到着。現地の人に海神について聞くと、海岸を指さす人がほとんどだった。
海の中?かと思ったが、よく見てみると波打ち際ギリギリに何か石碑のようなものがあった。
それを視認し、俺は小走りでその石碑らしき石に向かっていく。
見てみると、かなりすり減っていたり昔の文字で見えづらくもあったが、何とか読め―――ないわこれ。なにこれ。
よしこんなときは。
「セト、これなんて書いてあるか読めるか?」
「これか?えーと……
創世之一柱、海神之大海魚尾裏須那洲、此之地於祀。」
そうだ。オリゾタスだ。俺がど忘れしてたやつ。
確か果てしなく続く海を創ったんだっけ?大海魚オリゾタス。
それが、祀られていると。正直この文だけじゃホントかどうかも分からないし、心もとないが裏取りのために村人に聞いて回って―――
ザッパーン
「お、ヤミじゃないか。無事だったか?」
ん?
見知らぬ声が後ろからした。後ろからといっても、俺の背後には少々荒々しく押し寄せてくる波打ち際しかないはず。
となると―――
「おお、オリゾタス!久しぶりだな。もう復活してたか」
「お陰様でな。ヤミこそ、仕えるやつが現れたのか?イペリオスから聞いたぞ?セトって名前をもらったんだってなぁ。」
「まあな。今じゃヤミなんてのは封印すべきだ。この名前、結構気に入っているんだぞ。」
「お前、随分角が取れたよな。」
鮫がいた。後ろに、鮫がいた。人語を話す鮫がいた。鮫と言ったら誰もがイメージとして思い浮かべるであろう、某映画の殺戮生物であるあの鮫。生物学的にいうと多分ホホジロザメに分類されるような、見た目からして危険な、かなり大きい鮫が砂浜に打ち上がっていた。
その光景に村中は騒然とする。勿論俺も騒然とする。ただ唯一、セトは違った。まるで昔の友と話すかのごとく――ああ、そうか。友達なんだもんな。
「そんじゃセト、お前がここにいるってこたぁ、一体どういう了見だ?」
「コウのところに行きたくてな。」
「ああ、遂に決着つけに行くのか。いいぜ、そういうの。応援してるよ。
俺はお前ら二人を向こう岸まで送り届ければいいのか?」
「話が早くて助かるな。感謝する。」
「いいってことよ。ま、借りにしとくがな。」
ガッハッハと、鮫が豪快に笑う。鮫とイケメンが会話している絵面は異様そのものだったが、事情を知っているためかそこまで忌避感はなかった。
流れで背中に乗せてもらう。不思議と濡れてはいない。
鮫肌と言うけど、頭から尻尾にかけて撫でるとツルツルで、逆から撫でるとザラザラだ。鮫なんて初めて触った。
「じゃ、しっかりつかまってろよ!うっかり振り落とされでもしたら、あっという間に海の藻屑だぞ!」
鮫の肌のどこにつかまればいいのか分からない。それに脅し文句が現実味があり過ぎて逆に怖くなってくるので、とりあえず振り落とされないように必死にしがみついた。
すぐに鮫は出発。水中には潜らなかったが、上がり下がりが激しい振動と前から来る凄まじい風にどれだけ耐えられるか、怪しいところだ。
だが振り落とされるまいと必死にしがみついた結果、少し生まれた余裕でとあるものを目撃した。
それは、水平線の彼方にある、島と巨大な城だった。