第二十一話 逆襲の刻
ソラは西門を出て、ひたすら真っ直ぐに歩き続けた。
カマエルが何処に行ったか全く情報は無い。街を出たら後は草原が広がるだけ。【虚無之神】の権能を持ってしても、カマエルの位置を特定することはできない。
あてもなくただ闇雲に進み続けるソラ。一言も発さず、一度も止まることなく、無表情を崩さずひたすら歩き続けた。
何百メートル、何キロ、何十キロ、とにかく途方もない時間で途方もない距離を歩き続けた。心なしかそのスピードは速く、疲労が蓄積している様子もない。ただただ無感情な目で前方を見据え、足を交互に前に出して進むのみだった。
無表情で機械的な動作、虚ろな目、これだけ見たら無感情で機械めいた得体のしれない子供だ。だが、その瞳の奥では憤怒の炎が燻っていた。
仲間三人を重傷に追いやった、怨恨の仮面に復讐するために。怒りで染まった思考回路で、ソラは前進していく。
―――そして、時は来た。
◀ ◇ ▶
ソラを殺したと思い込んでいるカマエルは、背中の一対の漆黒の羽を使って悠々と遊覧飛行を楽しんでいた。
彼の次なる目的は、王都に滞在している三人の世界最強。
“世界最強の魔法使い”、カイル・ドラコニス。
“世界最強の剣士”にして“剣聖”、リオン・ウィルト。
“世界最強の射手”、イヴァナ・デッドアイ。
彼が絶対的な忠誠を誓っていた魔王を殺した、大罪を負うべき三人だった。
ところが、膨大な力を手にして増長し、マーク、ミホ、ソラを殺したことで有頂天に達しているカマエルに天罰が下った。
それと同時に、カイルたちにも不幸は訪れる。
カマエルの前に、アクロへと向かう馬車が通りかかった。
本来ならば見逃していたであろう、ありふれた馬車。だがカマエルは自らの感覚に従ってその馬車を襲撃した。
理由は、馬車の内部にあった反応だ。大きめの馬車の中には、七つの聖なる気配があった。
神がこの世にもたらしたとされる、十三の神器。カマエルはそのことを知らないが、馬車から溢れ出す明らかに異質なオーラに反応し、卑怯な先制攻撃を仕掛けた。
黒と紫の斑模様のタマゴがカマエルの手のひらの上に生成され、カマエルは空に浮かんでいるままそのタマゴを馬車に落とした。
タマゴは馬車の天井に当たって無残にも砕け散る。そこから召喚されたのは、異形の悪魔。
その姿はまさに異質。触手と表現してもいいほどで、自在に動く長い手足で馬車を拘束する。
御者は慄き、馬は荒ぶる。触手の悪魔に縛り付けられた馬車は制御不能となり、その場に停まった。
だが刹那、悪魔は切り刻まれた。馬車ごと、そのうねる長い手足は輪切りにされ、胴体まで切られて絶命。悪魔は魔力の塵となって何処かに消えていった。
「ったく、折角の休暇だってのになんだよ。」
「敵襲みたいだな。」
「よーし、いっちょ本気出しちゃいますかぁ!」
斬撃により瓦礫と化した馬車から出てきたのは、七人の男女。それぞれが神器を所持し、突然の襲撃に対してやる気を見せている。
先程馬車ごと悪魔を切り刻んだのは、戦斧を担いだ男、“世界最強の戦士”サイラス・グレイヴだ。
一行の中の一人、剣を持った赤髪の男――リオンが空を見上げ、カマエルの姿をその視界にとらえた。
「あれが襲撃者かな?」
その一言により全員がカマエルを発見。カマエルも身構えるが、それより早く動いた男がいた。
「【戦斧之神】」
七人は六人になる。その場から消えた男を探すように、カマエルは警戒しながら辺りを見渡した。
「おるぁああああああああああ!」
上空からサイラスが降ってくる。その手には斧が握られており、刃先はカマエルの頭部を向いていた。
自由落下で戦斧の刃がカマエルに直撃する寸前、カマエルは【黄泉之神】により攻撃を防御。
紫色の禍々しいバリアが張られたことにより、サイラスはカマエルに攻撃出来ずに地面に降り立った。
「クソッ!なんだあいつ!」
「【常世ヲ裂ク障壁】、【地鬼召喚】、【裂傷返し】、【死毒】、【心魂掌握】。神之権能か。」
「相変わらず、カイルの権能は便利だにゃ。」
魔法杖を持った男――カイルに自分の権能を暴かれたカマエルは、多少警戒はしたものの取るに足らない相手だと判断。それよりもサイラスと槍の男――シグルドの方を警戒している。
「おい!お前、一体何者だ?」
サイラスがそう問う。
カマエルはそれに返答しようか迷ったが、殺す相手なので名乗っても問題はないと判断し、自らの名前を教えることにした。
「俺はカマエル。元東の魔王軍、《怨恨の仮面》だ。」
「はぁ?おいカイル、あいつ倒せてなかったのかよ。」
「泳がせようとは思っていたけどな。まさか神之権能を獲得するとは思わなんだ。」
「思わなんだで済む問題?それ。やっぱりカイルってちょっと抜けてるとこあるよね。」
カマエルには、そんな井戸端会議に付き合う必要性など全くなかった。
寧ろ、カイルたちが敵の前で話せるほどの豪胆さに若干引いているほどだ。
時間の無駄なので、倒せるチャンスなのだから一撃で葬ろうとカマエルは詠唱を開始する。
「祓賜比清賜布事於を
祓戸の黄泉の鬼等伊邪那美命よ
聞食止と申壽。
祓賜比清賜布―――」
たちまち、カイルたちは周囲を召喚された鬼に囲まれ、絶体絶命となってしまった。
これらの【黄泉之神】で生み出した鬼たちは、神之権能でも対応が難しい。
いくら世界最強と言えど、囲まれてしまったら自由に戦えない。
たとえ突破できたとしても、カマエルがとどめを刺す。完全に、世界最強たちはカマエルの手のひらの上だった。
―――ただ一人、この男を除いては。
ザッ、ザッ、ザッ。
土を踏みしめて近づいてくる足音。カマエルが鬼たちに総攻撃の合図を出す直前、空気の張り詰めた決戦の場に一人の足音が小気味よく響き渡る。
カマエルも、カイルたちも、一斉に音の鳴る方向を向いた。
ソラだった。目を閉じ、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。
殺したはずのソラが生きて存在していることに驚きを隠せないカマエル。その隙に脱出を試みようとしたカイルたちだったが、刹那その場を満たした重圧によって、誰もがその場に縫い留められた。
ソラは目を開けた。朱い瞳は怪しげな光を発し、爛々と朱く光る。
次の瞬間に解き放たれる赫怒。殺気が濃密に凝縮された魔力が、ソラの幼き身体から一気に解き放たれた。
まるでオーラのように、黒煙のような魔力を、殺意をその身にまとったソラは、右手に持っている刀を地面に突き刺した。
明らかに様子がおかしいソラに、敵味方関係なく釘付けになってしまう。
ただならぬ殺気を浴びながらも、誰一人として重圧に勝てたものはいなかった。
殺してやる、許さない、地獄に落ちろ、そんなソラの恨みつらみが聞こえてくるようだ。
すっかり青ざめたカマエルの方向をゆっくりと向くソラ。獲物を狙い澄ますような目つきで睨まれたカマエルは、何もできなかった。
そして、いきなりソラがその場から消えた。前傾姿勢で走り出す体勢になったと思ったら、忽然と、何の前触れもなく、文字通り消えた。
次に現れたのは、カマエルの目の前だった。これも文字通り目の前。眼前に拳を突き出されたカマエル。
咄嗟に【常世ヲ裂ク障壁】を発動させて防御したカマエルだが、完全に威力を殺し切ることはできなかった。
目の前に現れたソラの強烈なパンチを顔面に食らい、まるで弾丸のように飛ばされ、尻を下にして地面に半身がめり込んだ。
眼前に張られたバリアは全体にヒビが広がり、すぐに黒いポリゴンとなって消滅していく。
「うぐっ……」
仮面に大きなヒビが入り、カマエルの視界は若干霞む。
地面に衝突した影響であちこち傷む身体にムチを打ち、何とか立ち上がる。ソラは地面に着地し、黒煙のような魔力の中の朱く光る瞳をカマエルの方に向け、睨みつけている。
そのソラの異変を、カイルとリオンは感じ取っていた。
「カイル、ソラさんが明らかにおかしい。」
「分かってる。今全リソース割いて分析してるが、何かに阻まれて全く分からない。」
「ということは―――」
「ああ。神之権能、それも高位のやつで間違いなさそうだ。」
世界最強たちの目に映るソラは、救世主でもなんでもなかった。
窮地から救ってくれたことは確かだが、今目の前でカマエルを圧倒している子供は恩人ではない。
―――化け物だ。
その化物はカマエルに再び攻撃を仕掛ける。
カマエルが起き上がり、優位性を奪うために上空へと飛んだ。地上でそれを見上げているソラは、カマエルの視界に入っていても突然消える。
カマエルは消えたソラの影を探すが、見つかることはなかった。
すぐにソラはカマエルの背後に現れ、横に突き出した脚を振って、防御なしの顔の側面を蹴り飛ばした。
仮面を越えて足の甲が頬にめり込むような蹴りに、カマエルは耐えきれず横へと飛ばされる。だが踏ん張り、上空に留まり続けた。
空を飛べないソラは、蹴りを放った後地面へと落ちていく。ダメージにもなっていないような高高度からの着地をし、休む間もなく再び消え去った。
現れたのは、カマエルの頭上。カマエルが気づいたときにはもう遅く、頭上を見るために上を向いた顔に踵落とし。
上空から蹴落とされ、砂ぼこりを立てながら固い地面に衝突。仰向けで倒れたカマエルの腹に、ソラが片足で着地。いくら子供の体とは言え、高高度からの重力を利用した蹴りはカマエルに大ダメージを与えた。
その蹴りにより胃液を吐き出したカマエルに、ソラの容赦ない追撃。
脇腹を蹴飛ばされ、地面を荒々しく転がっていく。ジャンプで追いついたソラは、起き上がろうとしているカマエルの顔面に拳を叩き込んだ。
その衝撃によってカマエルは後頭部を強く地面にぶつけ、仮面は既にボロボロ。半分が割れて、カマエルの素顔が露わになっていた。
藍と紅のグラデーションの瞳と、美形の顔。だが額からの流血と度重なる容赦のない攻撃により、血と土と涙と汗でぐちゃぐちゃだ。
(なんで俺の権能が効かないんだ……!?
いや、こいつの纏うオーラは尋常じゃない。もしや……)
傷を相手に跳ね返すことのできるカマエルの権能がソラに全く働いていないことにやっと気づき、傲岸不遜な態度から一転、自分がソラを痛めつけたことを今更後悔するカマエル。
命乞いをしようと言葉を発そうとしたカマエルの開いた口に、靴のつま先を突っ込んで無理やりにでも黙らせるソラ。
無言で狂気に満ちたその瞳は、ただ一点を、カマエルの怯えきった瞳だけを凝視していた。
「ゴゴゴ!モゴゴゴゴ!ゴゴゴ、モゴゴゴゴゴ、ゴゴゴゴゴゴ!」
「………………」
口を塞がれながらも弁明の言葉を連ねるカマエル。その言葉がソラに届いている様子はなかった。ソラが纏った殺気はカマエルの謝罪をかき消し、憎悪と憤怒を加速させるだけの燃料となる。
無言を貫くソラは、黙って顔をカマエルの眼前に近づける。
その行動を見てカマエルは許してもらえると思ったのか、僅かに安堵の息を漏らした。
だが、ソラはカマエルを許すはずがない。
無表情だったソラの口角は上がり、ニタァと狂気の笑いを浮かべる。
その変貌に、カマエルは絶望するしか無かった。
ソラはカマエルの口からつま先を抜き、その足で無造作に横へと蹴り飛ばす。
勝ち目がないと悟ったカマエルに、最早戦意は無かった。にも関わらず、ソラは自らの恨みを晴らすためにカマエルをいたぶり続ける。
殴り、蹴り、一方的な攻撃が続いた。
「あの子……正気の沙汰じゃない……」
「恐ろしいにゃね……」
思わずそう呟くサーシャとリリス。
子供が魔王軍幹部をいたぶり続けている様子に、世界最強たちはただ呆然と見守るしかできなかった。
やがて、カマエルは限界を迎える。永遠と続く暴力に、肉体的にも精神的にも、耐えることは不可能だった。
逃げようとして後ずさった。その動きを見てソラは地面に突き刺さった日本刀を引き抜く。
何をするかと思えば―――思い切り投げたのだ。
限界を迎えて素早い判断と反応が不可能となっていたカマエルの肩付近に、ぶすりと刺さる。
岩にもたれかかった状態で固定されたカマエルは、目の前の光景に顔を青ざめた。
草原に立つソラ。その周囲の空間に、六つの目が開眼した。
左に三つ、右に三つ。文字通り、空間に突然目が現れ、まぶたを開いて六つの眼球はカマエルを凝視する。
命の危機を察知したカマエルは、何とかここから逃げ出しうともがく。だが日本刀は岩から抜けず、深く深く突き刺さって貫通した刀は身体からも抜ける兆候はなかった。
ソラは右手を天に掲げる。と同時に六つの眼球の前に灼熱の紅い光の球が生成された。
さらにソラが右手を前に突き出すように降ろすと、眼球の前に生成された紅い光の球はソラの右手のひらの前に移動し、六つが結合。
そして、カマエルの命は終わりを迎えることとなった。
紅い光の球はカマエルに向けて発射され、光速を超えるその玉はカマエルに隙を与えることなく、一秒もかかることなくカマエルの心臓部に着弾。
そして、辺りを焼き尽くす熱波が牙を剥いた。大爆発が起こり、カマエルがいた場所には凄まじいほどの炎と煙が出現、焼け付くような熱を含んだ暴風が吹き荒れた。
その理不尽なまでの暴力的な魔法を目の当たりにして、カイルが暴風に気圧されながらもポツリと呟いた。
「―――【紅月之黙示録】……」
「なにそれ」
「かつて闇の精霊神がイグモニア連邦国を滅ぼしたときに使われたとされている魔法だ。今のは威力はそこまでではないが、俺の権能でやっと制御できるほどの魔法なんだが……」
「それを容赦なく放った。要するにカイルはソラさんの危険さについて言及したいのかな?」
「全くそのとおりだ。」
ソラの恐ろしさを目に焼き付けた、世界最強。
そして、驕ったが故に制裁を受けることとなったカマエル。当然のごとく、あの大爆発を正面から受けて無事なはずがなかった。その場には残った半分の仮面と僅かな黒い羽が残され、カマエルは圧倒的な力を前に跡形もなく消し去られた。
仇を討ったソラ。力を使いすぎたせいか、少しよろめいた。
化け物のような強さを遺憾無く敵討ちに発揮したソラ。彼がとった次の行動は―――
―――その朱い瞳で一行を睨んだ。