第二十三話 運命の刻
十二月十三日。
十三日の金曜日ということで何か不吉な予感はしますが、偶然にもこのお話も大分シリアスです。
なんという偶然なんでしょう。
―――それはあまりにも残酷で、残虐で、卑劣で、悲惨で、無惨で、無情で、無慈悲で、残忍で、苛烈で、苛酷で、冷酷で、苛虐で、悪逆で、極悪で、凶悪で、兇悪で、酷薄で、刻薄で、陰惨で、非道で、悪辣で、悲痛で、悲壮で、悲哀で、悲劇的で、絶望的で、酸鼻で、惨烈で、凄惨で、惨憺で、猟奇的で、嗜虐的で、性悪で、陰険で、邪悪で、下衆で、低劣で、最悪な事件だった。
反吐が出る。悪態が出る。ため息が出る。
肩にのしかかってくる守護者としての責任。取りこぼしてしまった命の重さ。愛する者を守れなかった罪悪感。
胸のうちから湧いてくる、怒り。悲しみ。哀しみ。喪失感。―――殺意。破壊衝動。
我を忘れるような怒り。脳の血管が千切れても、血が沸騰してもおかしくはないような、腹の底から煮えたぎってくる殺意。
あの時の我は、冷静さを失っていた。冷静さを欠いていた。欠如していた。だが、仕方なかった。
誰だって、あの光景を目にしたら殺意が湧いてくる。
紅く染まった森の中の、赤く染まった村。
鼻にこびりつくような、鉄の匂いがした。
そして、遅れて腐臭がした。
最後に―――死臭がした。
自分の目を疑いたかった。偽物だと、幻覚だと、妄想だと、夢だと、そう思いたかった。
喪った命は、もう戻ってこない。失われた命は、奪われた命は、帰ってこない。
思考回路を埋め尽くした、赫怒。涙は流れなかった。だが、目の前が真っ赤になった。
復讐。それしか思いつかなかった。考えられなかった。
自分が持てる最大の手段で、制裁を。平和に暮らしていたのに、問答無用で蹂躙し、力でねじ伏せ、全てを攫っていく強欲な人間どもに、死という名の制裁を。地獄という名の監獄へと送る、敵討ちという名目の制裁を。シノブに贈る、仇討ちの制裁を。
制裁。正義。復讐。蹂躙。破壊。殲滅。
強欲なる人間どもは、我から仲間を奪っていった。
村の皆、シノブ、ココロ、ブレイド。四年以上も暮らし、もはや家族同然だと言えるような関係を、一夜にしてぶち壊しにした。
報い。神の怒りは耐え難い苦痛と死だけじゃ収まらない。
殺し尽くして、壊し尽くして、燃やし尽くして。
【紅月之黙示録】。核撃魔法で三番目に強い技だ。
空気中のあらゆる物質を一気に一点に吸い寄せる。大気も、水分も、温度も、埃も、魔力も、一気に吸い寄せる。
中心点で膨大なほどの熱エネルギーを生み出し、爆発を起こす。
その際集めた物を燃料代わりにする。当然大気が引き寄せられるので、人間も動物も植物も誰彼構わず吸い寄せるわけだ。
ここで、爆発。塵と反応して爆発が起き、形あるもの全てを燃やし尽くして吹き飛ばす。
我が持てる最大の魔力を技に注ぎ込み、イグモニア連邦国の全てを焼き払った。
国内にある砦も、村も、集落も、街も、城塞都市も、関所も、中央都市も、全てだ。全てを、【紅月之黙示録】で無に帰した。
一つの村が滅んだことがきっかけで、一つの大国が滅ぼされた。
当時の焼き付け。あの悪夢が、再び我が身に訪れることとなったのだ。
✽ ✽ ✽
とある日のことだった。
紅く色づいた木々の葉は、もう枝から離れて地面に舞い落ちて、空気もだんだんと冷たくなっていく季節。
村のほとんどで冬の備えが始まってきた、とある日の出来事だった。
「さっむ……」
「今年もこの季節か……」
村人から頼まれた植物を採集するため、我とシノブはいつものように森に入っていた。
簡単な薬草や山菜がほとんどで、シノブが夢中になりあちこちを駆け巡って集めた。
薬に使うキノコ、木ノ実、草、後は近々村で行われる行事で使う山菜。
森の道端に生えているような何の変哲もない草でも、薬草や食べられる山菜であることも多い。
夢中になるがあまり地面ばかりを見つめて歩いているシノブだが、やはり寒さには耐えられないようだ。
村人たちが着ている服は季節によって違うものの、三百年後とは段違い。生地は薄い。
我は物質創造の権能があるわけではない。よってシノブに服をやることはできない。
寒そうで可哀想になってくるが、どうしようもないのでこの際経験だと割り切ることにしよう。
寒空の中、小三時間ほど森の中を探索していたときだった。
「このくらいでいいかな。」
「十分じゃないか?頼まれている量より大分多いだろう。」
「山菜は幾らあっても困らないから。それに、お鍋はみんなで食べたほうが美味しいでしょ。」
「そうなのか。」
山菜や薬草がいっぱいに入った籠を見て、そろそろ帰ろうかと思い始める我ら。
来た道を戻って、村に帰る。
初めはただ普通の獣道だったのが、村の方向に歩いていくにつれて何やら音が聞こえてきた。
風に吹かれてざわめく木の葉の音ではない。魔物の鳴き声や足音ではない。幻聴ではない。気の所為ではない。
最初は分からなかったその微かな音。村に近づくと、だんだんと大きく鮮明に聞こえてくる。
声。女の悲鳴、男の雄たけび、子供の泣き声。鉄と鉄がぶつかり合う音。多数の人間の声が混ざり合った雑音。
音の異様さに気づいた。それはシノブも同様だった。
思わず走り出す。脳裏に浮かんだ記憶と不安が、無意識に足を動かしていた。
森を抜けて丘の上まで来ると、村の様子が一望できた。
―――地獄だった。地獄絵図だった。
地面のあちこちは血で赤く染まり、死体がそこら中に転がっている。返り血がべっとりと付着した鎧を全身に纏った男たちが何十人もいて、それぞれが生死関係なく村人を攻撃している。
死体ならば手にした剣で尊厳を踏みにじり、生きているならば集団で容赦なく攻撃し殺す。
凶刃に倒れていった者たちの顔は、恐怖と怒りと哀しみで歪んでいた。
この光景を見たシノブは、背中に背負っていた仕込み刀を真っ先に抜いて丘を駆け下りていった。
その目は殺意に燃えて、涙を流して雄たけびを上げながら、怒りに任せて攻撃をしに行ったのだ。
我も、黙っては居られなかった。
自らの故郷の人々を殺され、躙られ、これで平静でいられる方がおかしいというものだ。
村の奥。入り口の方に、侵略者たちの仲間と思われる大勢の集団がいた。鎧を纏い、それぞれ槍や剣や盾を持って規則正しく並んでいた。
我は浮遊し、そこに向かう。
上空から村を見てみれば、何人か反抗している村人がいるものの、ほとんどが多勢に無勢で理不尽に殺されていく。
怒りが収まらない。溶岩のような熱さで、腹の底で殺意が煮えたぎる。
部隊の上空まで飛翔してくると、我は魔法を唱えた。
「―――【地獄之業火】」
その一言を合図に、部隊の周囲を高熱の火焔が取り囲む。
その現象に大混乱し、整っていた隊形は一瞬でバラバラに。だが、それは関係ない。技に支障はない。
円形を描き、永遠に同じ場所を回転し続けている巨大な炎の輪。
もう既に十何人かはこの技の餌食になっている。我の怒りを体現したかのようなこの魔法は、溶岩よりも高い高熱で触れたものを灰燼に帰させる。
一度触れてしまったら、骨も残らない。たとえ頑丈な鎧で囲っていたとしても、溶岩をも超える高温の前には何も意味をなさない。
炎の輪で部隊を丸々囲み、兵士たちの逃げ場は既になくなった。
この中に魔力持ちはいない。だからわざわざ妨害するまでもなく、安心してこいつらを皆殺しにできる。
「―――さっさと終わらせよう。」
そう呟き、我は右手を前に突き出し、開いていた手のひらを握った。
その動作によって、兵士たちは死を迎えることになる。
拳を握った瞬間、先ほどまで回転していた炎の輪のスピードがどんどん早くなり、それと同時に徐々に縮んでいく。逃げ場もないし輪の中の余裕もない何千人もの愚かな人間どもは、縮小していく炎の壁に燃やされ溶かされ地獄に落ちる。
そして我が指を弾いたら、輪の中心に小さな小さな火球が誕生した。
これだけでも触れたら相当な威力となるのだが、出現した数秒後に火球は破裂。
中から飛び出した大量の溶岩は地面を這って同心円状に広がり、同時に猛烈な爆風と熱風によって人間どもは中心部から吹き飛ばされる。
余裕がない空間の中でそんな事が起これば、外側の人間は押し出されてジ・エンドだ。
そして地面を溶岩が広がっているため、中央に戻ることも不可能。
周りの炎の輪は縮小のスピードを上げ、外側の人間どもを焼き殺していく。
三百、五百、九百、千四百………
終いには、我が二回手を叩くと空中に大量の溶岩が出現。溶岩の雨となり、部隊の上に降り注いでいく。
ようやく自分の行いに気づいた頃には、もう遅い。どれほど泣こうと、どれほど絶望しようと、どれほど混乱しようと、どれほど怒ろうと、どれほど喚こうとするどれほど懺悔しようと、無駄なのだ。この我の怒りに触れたやつは、生きて帰さん。
どんどんと縮小していく炎の輪。どんどんと広がっていく溶岩。どんどんと降り注ぐ溶岩の雨。
「【阿鼻地獄】。」
これにより何千もの人間の命が一瞬にして刈り取られた。
【地獄之業火】の呪文の一つであり、万人必殺の生ける業火。
図太く生き残っていた者共の身体が突然発火。数千度を超える業火に身体を焼かれ、生き残ったものはいなかった。
熱さと苦しみを訴えてくる絶叫と断末魔は、我の耳に届くことなく炎に包まれる。
後に何も残らなかったその場所には、もう人間は一人もいなくなっていた。
始末を終えた我が村に戻ると、そこには先程と違わぬ地獄絵図が広がっていた。
ただ、村で悪逆の限りを尽くした横暴な兵士たちは全員血を流して地面に横たわり、息絶えていた。
必ず視界に死体が映り込むようになってしまった道を歩いていく。
―――シノブの姿が見えない。あのシノブが負けることはないと思いたい。無事でいて欲しい。
だが、その願いは一瞬にして打ち砕かれた。道のど真ん中にあった物が、我の視界に飛び込んできたからだ。
突き刺さっている、一本の刀。刃毀れがひどく、刀身にべっとりと血が付着しているその刀に、我は見覚えがあった。
やや湾曲した、波紋がついた銀色の刀。柄は特に装飾もない木で出来ている。直ぐ側には柄と同じ形の木で出来た鞘も転がっていた。
「―――シノブ……?冗談だろ……?」
―――仕込み刀だった。それは、シノブがこの四年間ずっと使っていた、好んでいた、愛刀だった。
涙は出なかった。哀しみと悲しみと絶望のあまり、膝から崩れ落ちた。
返り血が付いた刀を見て、我は理解した。
―――シノブは散った。村を守るために、村人を守るために、その力をふるい、儚く散っていった。
護れなかった。護りたかった。約束した。だが守れなかった。悲しみに暮れた。喪失を嘆いた。結局、同じことの繰り返しだった。折角のチャンスを無駄にした。無下にした。救えなかった。やり直しはできなかった。結果は同じだった。我のミスだった。我の所為だ。―――いや、怒りが湧いてきた。殺意が湧いてきた。腹の底で彷彿とする赫怒を、抑え込めなかった。“あいつら”に対する激怒を。イグモニア連邦国に対する憤怒を。我は怒りに任せて力と感情を解放した。
手始めに国境付近の砦や城塞都市を破壊した。【紅月之黙示録】で。
半球状の広大な爆発に巻き込まれ、跡形もなく消えていく街。これだけで何千もの人間が死んだ。だが気にしない。これは断罪で、報いなのだから。
次に、目に付く村や町を全て破壊した。あちこちで爆発音がなり、そのたびに幾つもの命が刈り取られていく。
全速力で空を飛んで、感情の赴くままに暴れた。
中央都市まで来た時に、我はとあるものを見た。信じられないものを見た。怒りに支配されていても、それが何なのかは分かった。
光の玉だった。人一人分くらいの大きさの、橙掛かった黄色い光を発する玉が、南の空へと消えていく姿を見た。
それを見て、理解して、我の怒りはますます増大した。
何故中央都市の上空にあいつがいたのか。今まで起こった怪奇な出来事と考えてみれば、目的は明らかとなった。
―――光の精霊神、コウ。平和と秩序を司る精霊。我とは違い、我以外の全ての精霊のトップであり、我を敵視している存在。確か南の魔王だったはずだ。
コウが、村を滅ぼすように仕向けた。我の頭にその仮説が浮かんで、憤った。もはや頭の中にはあいつを殺すことしかなかった。だが、追いつけない。距離もかなりあり、あいつも全速力で飛んでいる。等加速度で飛んでいれば絶対に追いつくことはできない。
我は怒りと憤りに任せて足元の中央都市を破壊し、南の魔王城の近くのイグモニア連邦国の領土も焼き尽くした。
そして、無尽蔵とも言える魔力が尽きかけ、我はイグモニア連邦国を滅ぼしたので村に帰ろうとしていた。今や誰もいない、出迎えてくれる少女は居ない、村に帰ろうとした。
その途中で魔力は底をつき、我は自らが焼き払って不毛の地となった大地に落下し、一ミリも動けなくなった。
うつ伏せで倒れ、視界に映るのは眼前にある地面と僅かな青空だけだ。
精霊が魔力不足というのは深刻な問題だ。我はそのせいで全く身動きが取れなくなり、手足の感覚もなくなって、耳も聞こえなくなっていた。唯一感じ取れた視界に映ったのは、何人かの足元。抵抗が全くできない我は、我の目の前に立ったその人物(恐らく男)によって意識を刈り取られた。
視界は暗転し、自分がどこにいるのかも、何をしているのかも、そもそも生きているのか死んでいるのかもわからなくなってくるような感覚に陥った。
―――そして、次に目覚めたのは玉座の上だった。
幼き頃のシノブがいるわけでもなかった。丘の下には、風化して半壊している村があった。
戻ってきた。結局何も変えられないまま、現代に戻ってきた。
ふと、我が握っているものの存在に気づいた。
右手にあったのは、紫色のコインだった。
これにて、第六章の第二幕は終了となります。
第六章はまだ続きますので、どうぞお楽しみください。