第二十二話 常ならぬ刻
業火の柱騒動から一夜明け、村中はその騒動に関する噂で持ちきりだった。
夜中、突然起こった騒動だったので相当衝撃的なものだっただろう。
噂は、「火事」だとか「焚き火」だとか「いたずらの魔法」だとか馬鹿みたいなものが大半だった。
ちょっと考えたら分かるだろうに、自分自身を納得させるための意見しか言えない。所詮人間は、自分が納得したい、大騒ぎして不安になりたくない、そんな考え方の保守思考の生態なのだ。自分が良ければそれでよしの、小さく浅はかな醜態なのだ。
噂の中には、シノブに関することは無かった。ココロが口止めをしたのか、噂の中にシノブの名が出てくることはなかった。
これも、少し考えれば分かることだろう。あんな大きな火柱、それもずっと出現していた、一度復活した火柱が自然に消えるわけがなかろう。当然誰かが止めたという結論にたどり着くわけだ。だが、大ごとにしたくないが故に、自分は関係ないと思いたいが故に、どうしても人々はその可能性を頭の中から排除してしまう。
つくづく人間とはそういう生き物なのだと、いくら愛した故郷であっても、そこの人間まで愛せるわけではない。我は、シノブを愛しているだけだ。なんなら村人たちは見捨ててもいいとすら思っている。シノブを守れればそれでいいのだ。後、ココロとブレイドも助けたい。
こうして時が戻った限りは、必ず助け出してやりたい。
―――騒動から一週間が経った。次第に木々は紅く色づいてきて、本格的な秋の寒さが到来する。
あの時の火柱の噂はあっという間に埋もれ、誰の記憶からも排除された。
待っていたのは、いつも通りの平々凡々で何の代わり映えもしない同じことの繰り返しの連続と言えるような生活だった。
我とシノブも、その限りではない。
いつものように朝起きたらシノブが目の前にいて、シノブと一緒に森へと入っていって、一日中戦闘と警備をして、日が沈む頃には帰ってくる。
至って普通の、何の面白みもない日々だった。
シノブも強くなりすぎて、もはやこの森のモンスターじゃ物足りなくなっている。そうなるとどんな感情が生まれるか。
つまらない。面白くない。
つまりは面白みのない生活。ただ時間だけが過ぎていく。
そこで、日常に変化をもたらすためにシノブがとった行動とは、村の手伝いだった。
ソラがいつしか言っていた、ボランティアというやつだ。
「おばあちゃん、これ運んだらいい?」
「よろしくねぇ。」
とある老人宅の横にある家庭菜園ほどの規模の畑で、我とシノブはボランティアをしていた。
我は爺婆に姿が見えないため透明人間のようになってしまうが、それに関してはシノブが事前に説明をしてくれたので問題は特になかった。
「ありがとうねぇ、シノブちゃん。どうにも、この年になると農作業も辛くて……」
「大丈夫だよ、おばあちゃん。私とカズム様がついてるからね。」
「カズム様も、ありがとうございます。後で美味しいお漬物をお供えしますから。」
仕事は、野菜を収穫し、土を耕し、種を植えるという、簡単な作業だった。
だがしゃがまないといけないので、婆にはキツイ仕事だろう。
この仕事は二時間ほどで終わらせ、婆から漬物をもらって次に行く。
一度シノブは漬物を持って家に帰っていった。暫く待つと、陶器の皿の上に幾つかの見慣れない食べ物を置いて家から出てくる。
「カズム様、これ食べよ。もうお昼だよ。」
「……これはなんだ?」
「おにぎり。さっきの漬物入れてあるから、美味しいと思うよ?」
おにぎりと呼ばれたその三角形の物体は、前にソラが言っていたコメで作られているようだった。
黒色の長方形の紙のようなものも巻き付いているが、これも食べられるのだろうか。
道端のちょうど良さそうな岩に腰掛け、シノブは皿を膝の上に置いて、その上のおにぎりを一つ掴んでかじりついた。そしてコメを咀嚼し、至福そうに味わっている。
我も食べてみよう。おにぎりを一つ取り、齧ってみる。
もちもちとしたコメと、シャキシャキした野菜のようなもの、そしてパリッとする黒い紙。コメについているのか、ほどよい塩気が農作業によって疲れた体に染み渡る。
「―――美味いな。」
「ね。お母さんの故郷の料理らしいけど、この村でも育ててるところがあるんだって。」
「コメか?」
「そ。南の方のイグモニアってとこで作られてるらしいけど、いつか行ってみたいね。」
「――ああ。行ってみたいものだな。」
少々複雑な気持ちはあるものの、十数分かけておにぎりを平らげた。
すっかりエネルギーも補給されたところで、我らはボランティアを再開することに。
―――昼飯を食べてから、日が暮れるまでボランティアをした。
農作業、高所作業、物の運搬、魔物の討伐、色々した。
村の人々からは感謝され、シノブはたくさんのお礼を両手に抱えて家へと帰っていった。
我が祭壇まで戻ってみると、祭壇の前の台には大量の物が置いてあった。
皿に置かれた漬物のキュウリとナス、まだほのかに温もりがあるパン、麻袋に入れられたコメ、未開封の酒瓶、中には手作りと思われるぬいぐるみや、子どもが描いたであろう羊皮紙に描かれた拙い絵。
ボランティアのお礼だろうか。ありがたく思いながら、我は酒瓶の栓を開けた。
晩酌はいつぶりだろうか。それこそ三百年ぶりのような気もする。
パンと漬物を食べながら、酒をラッパ飲み。コップがないから仕方がない。
コメは、シノブの話によると“炊く”という工程を経ないと食べられないらしいので、この麻袋のコメはまたいつかの機会にとっておこうと思っている。
漬物が美味い。酒は豊潤なブドウの赤ワイン。パンは何か特殊な麦を使っていると聞いたが、実際に食べてみると香ばしい。
今日も一日、頑張った。三百年間、頑張った。自分を労うための酒を味わいながら、いつの間にか頭上まで上がってきていた月を眺める。