第十九話 シノブとの日々
―――あれから、我は村を守り続けた。
月日はどれくらい経っただろうか。二年は経っているだろう。
そんなに脅威があった訳では無いが、森の中なので如何せん魔物が集まりやすいというのが難点である。
村人たちに戦う技術があるわけでもない。
基本的に戦線に出るのはココロとブレイド。
ココロの所持しているユニークスキル【日進月歩】は、主に目に入る情報が多くなるという効果があり、深夜の暗闇でも、森の中に潜む魔物でも見ることができる。
ブレイドはユニークスキルを持っているわけではないが、元冒険者だ。
冒険者時代に獲得した数多のスキルを使いこなし、ココロと協力して一糸乱れぬ戦いを繰り広げる。
それを見て育っているシノブ。出会った日から二年経った今、五歳だったシノブは七歳に。やんちゃ盛りの年頃になったシノブはある日、我にこんな事を言ってきた。
「カズム様、あたしに戦い方を教えてよ。」
「シノブに?」
「うん。お母さんとカズム様と一緒に戦ってみたいから。」
急に何を言いだしたかと思ったら、どうやら戦いたいらしい。
ここで我は考えた。シノブの戦闘能力がしっかりしていれば、万が一我が守りきれなかったとしても生き残れるのではないかと。
「―――いいぞ。いつか一人で戦えるようにな。」
「やった!」
翌日、我とシノブは近くの森へとやってきた。
まずはシノブに剣術を教えてみる。剣術がだめでも、弓術や槍術、斧術、魔法、ナイフがある。
試してみて、シノブに合うものを探していくという計画だ。
シノブに剣を渡し、森の奥へと入っていく。
この森には数多くの魔物が生息している。スライムやゴブリンといった、初心者でも対応できるような雑魚も、オーガや擬態大岩等の中級モンスターも、数は少ないが脅威度は高い、闇夜大蜘蛛や銀風狼も。
そして、現状この村では我でなければ対処できないような大物も生息していた。
だが、前日、すなわち我がシノブから頼まれた日の内に森をサーチして、上級以上のモンスターは全員間引いておいた。
より安全に、かつシノブの訓練に役立つように、危険因子は排除しておく。
そんなことは知らないシノブは、楽しそうに音程の外れた鼻歌を歌いながら進んでいく。
「いいかシノブ、森の中ではいつ魔物が出てくるかわからない。
奇襲に備えて、常に周りを警戒しておくものだぞ。」
「はーい。」
シノブは適当に剣を振り回しながら、周りを見渡す。
「……いないけど。」
「今はいないかもしれないが、いつどこから襲ってくるかは未知数だからな。」
そして我は、静かに目の前の岩を指さした。
シノブは我のその動作に気が付いて、なんとも不用心にその岩へと駆け寄っていく。
「この岩がどうしたの?」
「警戒しろ、その岩が魔物だ。」
「魔物!?」
我がそう警告すると、シノブは驚いたように若干飛び退いた。
だが、好奇心に勝てなかったのか前のめりに近づいていく。
幸いにもあの大きさだったら死ぬことはない。せいぜいかすり傷程度で済むだろう。
この場合の対処法は、岩に過度な刺激を与えないようにすることだ。そして、地面に接している部分に弱点があるのでそこを一突き。
教えてやってもいいが、シノブがどんな対応をするか。一度失敗しても、それがいい教訓になる。
「何の変哲もないこの岩が……?」
そう呟きながら、シノブは手に持っている剣で興味津々に岩を突付く。
この程度の刺激は自然界にあるものなので岩は爆発しないが、その後のシノブの行動がまずかった。
好奇心が加速し、シノブはより強く剣を岩に振り下ろす。
強い衝撃が加わった岩は、その刺激に反応して爆発。
爆風が吹き荒れ、石片と轟音と土煙が辺りを舞う。
視界が遮られるほどに舞った土煙が晴れてきて、シノブの様子がだんだんと見えてきた。
まあ我なら【魔力感知】で視界が見えなくても分かる。
シノブは腰を抜かし、地面に座っている。
服や肌は土まみれ。肌が露出しているところは、ところどころ擦り傷や切り傷が見える。
「痛たたた……なにこれ……」
「だから言っただろう、警戒しろと。
今回は威力が小さかったからその程度の傷で済んだが、下手したら死んでいた可能性もある。魔物を甘く見たら駄目だぞ。」
「は、はい……」
いい勉強だ。失敗は経験になる。
ここで対処法を教えれば、より身につくことだろう。
「いいか、このタイプの魔物は、地面に接している部分が弱点だ。
丁度向こうにもう一体いる。実践してみろ。」
「うん。」
我が指を指した方向には、もう一体の擬態大岩が。
一見は普通の岩だが、シノブはしっかりとそれを見つけ、手前の茂みを乗り越えてその岩のもとに向かっていく。
シノブはペタペタと岩を触り、何とか持ち上げてみようと試行錯誤をしている。
踏ん張って、顔を真っ赤にしながら持ち上げようと力を入れる。だが、重くて持ち上げられないようだ。
まあシノブの筋力だと、ほぼ岩のような魔物を持ち上げるのは不可能だろう。
我が【念力】で遠くから手助けをする。
シノブが持ち上げようとしている岩をひっくり返し、底面を露わにさせる。
その底面には、円形の大きな口が。もぞもぞと動いている、口をなぞるように付いた歯が急所を守ろうと口を塞いでいる。
「…………これ?気持ち悪っ」
そういいつつも、シノブは剣を逆手に握りしめ、急所である口の真上に構える。
そして、そのまま剣を突き立てた。
急所を刺された擬態大岩は、口から灰色の粉を吹きながら岩である身体が崩壊し始め、最終的には灰色の屑山となり、風に吹かれて消えてしまった。
その場から、消滅した。これが擬態大岩の末路。
つまりは、無事に倒せたということだ。
「……これ、倒したの?」
「ああ。よかったな、倒せて。
こっちに来い。傷を治してやる。」
歩み寄ってくるシノブの腕を左手で優しく掴み、右手を傷口にかざす。
治癒魔法を発動させると、擦り傷や切り傷はみるみるうちに元の皮膚に戻り、跡もなく完治。
傷を直した後は、時間が許す限りその後も訓練は続いた。
ゴブリンに遭遇。苦戦しながらも、うまく距離を保ちながら戦ったシノブ。それを眺めているだけの我。
シノブはどうやら剣が一番合っているようで、途中途中で遭遇するゴブリンに対して色々な武器で戦ってみたものの、斧や薙刀、槍、ナイフ等のどの武器より剣が一番使いこなせていた印象だ。
ただ、今シノブが使っている武器は普通の剣。剣にも色々種類があり、長剣、短剣、大剣、細剣、仕込み刀、双剣、湾曲刀、直刀。
明日からは色々試してみようとシノブに相談した。
シノブは快くオーケーしてくれ、結局その日は日が沈むまで森で戦っていた。
一日でかなり基礎が身についてきたシノブだが、当然一日でできるものではない。まだ粗削りで、未熟なところがほとんど。
一朝一夕では難しい。いつの日かソラが言っていたたとえで言えば、『ローマは一日にして成らず』。
ローマが何を指すかは分からないが、ソラいわく大国なんだそう。つまりは、大国は一日にして興らないのと同じで、一日で身につくものではない。
ソラは短期間で魔法を習得したが、それも一日ではない。あれは異才と言ったらいいのか、常人なら七年かかる道を三日足らずで駆け抜けた。流石は地神龍の加護を受けた人間だ。
ソラは特異中の特異。例外中の例外なのだ。
シノブも才はあるが、それでも何年もかけないと難しいだろう。
その日は、空がオレンジ色に染まってきた、黄昏刻に村に帰ってきた(これはソラから聞いたことだが、黄昏刻は暗くなり人の顔が見えないので、『あなたは誰だ』という意味から『誰そ彼』、『黄昏』となったそうだ)。
シノブは自宅に帰り、我はいつも通り玉座の上で一夜を明かす。
翌朝。我が目覚めると、目の前にシノブの姿があった。
我は玉座に頬杖をついた状態で座ったまま寝ているので、シノブが玉座の前で我の顔を覗き込んでいるかたちだ。
「おはよう、カズム様。今日も戦い教えてくれる?」
「………シノブか。こんな朝早くに来てまで、戦いたいのか?」
「もちろん。あたしの目標は一年以内にカズム様を倒すことだからね。」
「ハハハッ。できるといいな。」
そんなこんなで、もう既に朝食を食べて準備万端のシノブと、寝起きの我は一緒に森へと入っていったのだった。
ちなみに色々な種類の剣を試すつもりだったが、我に剣を作り出す能力はない。村にもそんなに多種類ないので、今日は前日の夜に(勝手に)借りてきた三種類の剣しか使えない。
長剣、普通の剣、幅広剣。もっと探せば他にあるかもしれないが、昨夜もモンスターの間引きが必要だったので、時間はそこに割いた。
普通の剣を持って突き進むシノブと、長剣と幅広剣を担いで歩いていく我。
道中現れる魔物たちを狩りながら、今日は昨日より奥の森に入っていく。
そこには多少強い、人間の区分だとBクラスの危険度の魔物が生息している。
二日目でここに来るなんて危険じゃないかと心配もしたが、シノブに「大丈夫」とあしらわれてしまった。
いざとなったら我がいるから守ってやれるが、やはりどこか心配だ。
対してシノブは、モンスターを見つけては斬り掛かっていき、相手によって苦戦はするものの、怪我はするものの、何とか勝ち続けていく。
普通の剣で上手く戦えているシノブに長剣を渡してみる。
最初はその長さと重さに使いにくそうだった。だが、しっかり戦えているのでこれは何日か練習すれば使えるようになるだろう。
長剣は預かり、次は幅広剣。これはだめだった。刃の幅が広い分、重さと扱いにくさは段違いだ。
七歳の女であるシノブにはまだ早かった。
幅広剣はなし。とすると、通常の剣か長剣。他の剣も候補があるので、最悪ここで決まらなくても大丈夫だろう。
またシノブには通常の剣を渡す。
それから暫く様子を見守っていると、シノブはとある魔物に遭遇した。
腐食大蛇。危険度にしてB-クラスの魔物。
シノブところが、我の身長をも優に超える高さ。蛇は身長の概念はないが、遥か頭上から我らを見下ろしている。
紫にオレンジの斑がある毒々しい色の表皮に、蛇腹。
口の外に飛び出した二本の牙と、チロチロと動く二股に分かれた舌先。
目線と頭の向きも、シノブを狙っていることは一目瞭然だった。
シノブじゃ対処不可能な、かなり危険な魔物。昨夜サーチした時にはこんな魔物はいなかった。
育ち方からすると二十年は生きていそうだ。深夜か今朝生まれたものでないとしたら、我のサーチを掻い潜ったという可能性しかない。
いや、可能性はどうでもいい。問題はシノブだ。
腐食大蛇の鋭い眼光にに見下されているシノブは、足がすくんだのか動けない。
まさに、蛇に睨まれた蛙だった。
シノブができないのなら、すぐにでも我がやるしかない。
直感でそう判断した我は、【混沌之神】を発動させつつシノブの前まで走っていって、今にも襲いかかってきそうな腐食大蛇に一斉に攻撃を放つ。
我の周囲に生成・展開された無数の闇の棘は、全て真っ直ぐに腐食大蛇の蛇腹に突き刺さっていく。
この一斉掃射を食らった腐食大蛇は、怒ったのか悲鳴なのか分からない奇声を上げて、腹の至る所から血を流しながらのたうち回る。
そこにとどめを刺す。紫色の太い針を空中に何百本も展開。のたうち回る蛇に向けて、一斉に発射する。
逃げ場のない大量の針によって身体中を串刺しにされた蛇は、まだジタバタと動いていたものの、やがて弱まってきて最終的には死んだ。
「か、カズム様……すごい……」
「これを倒せるくらいには強くならないとな。」
お手本になったのだろうか。微動だにしないシノブはそう言っているが、これはコイツを見つけられなかった我の落ち度。シノブにはまだ危険すぎる。
腐食大蛇は群れることもあるため、まだこの近くに仲間がいる可能性も考えて、この日は訓練を中止した。
すっかり腰を抜かしてしまったシノブを家に送り届け、我は一人森に戻る。
シノブを危険にさらすような危険な魔物を殲滅するため、先ほど腐食大蛇を倒したところまで戻ってくる。
倒した腐食大蛇の死体はもう既に腐食が始まっていて、身体の一部一部が変色し崩れていっている。
地面に突き刺さっていたまるで地獄の一面のような無数の針は、魔力が分散してその場から忽然と消えていた。
試しに付近をサーチしたところ残党はいなかったのだが、もう一度森を周ってサーチをし直すことに決めた。
結果、かなりサーチの取りこぼしがあり、危険なモンスターは何体かいたので、そいつらを問答無用で処分した後もう一度サーチし、二度目のサーチによって確実に殲滅できたことを確認。
その後明日使う予定の武器類を調達するため、村を散策することに。
今我が欲しいのは、短剣と細剣だ。
子供の華奢で筋肉のない身体でも扱いやすく、それなりに攻撃が可能な品が好ましい。
どうしても現状長剣や幅広剣だと重く、シノブには扱えない。
今使っている剣も、シノブにとっては重いだろう。
鍛冶屋に頼めたらいいのだが、あいにく我の姿はシノブとココロ以外には見えない。
村を見て回ってやっと短剣を見つけた。無許可で借り、それを持って丘の上の玉座へと戻っていく。
村の散策をしているうちにもう日は暮れかけていた。
今日も、玉座の上で眠りにつく。
それから一ヶ月、我とシノブは毎日特訓を重ねていた。
シノブは徐々に剣の扱いもうまくなり、だんだんと筋力の少なさをカバーできるような身のこなしを身に着けていった。
だが、それでも筋力というのは大事なもので、筋力で補えないのなら剣が軽ければいいと言う理論に到達する羽目になるのだが、問題は借りてきた短剣が思ったよりも脆く、刃毀れも酷かったので使えなかった。
仕方なしに通常の剣を使っていたところ、ある日シノブが剣を持参してきた。
それは何だと聞いたところ、ココロからもらったそうだ。
一見ただの細い角材。よく言えば丁寧に研磨された四角い木の棒だ。
その木の棒の先端付近を掴んで引っ張ってみると、そこは柄になっていて、中から細い刀が出てきた。
仕込み刀。ソラが迷宮の戦利品で持っていた刀と同じような模様と形。湾曲はしておらず、仕込み刀と直刀を組み合わせた感じだ。
刀身はそれなりに長く、刃は細く薄く軽い。波のような模様が入っている両刃の刀。
曰く、ココロが村の鍛冶屋に頼んで打ってもらったそうだ。
ココロに感謝しつつ、シノブはその刀を装備して、何十回目かの特訓。
その刀に変えてから、今までぎこちなかったシノブの動きはみるみるうちに改善し、軽い刀のおかげでより素早い戦いができるように。
さらに、薄くて細い刃の割には強度も申し分なく、その刀をもらって更に一年後、上達しすぎて、以前ピンチにまで陥った腐食大蛇の首を一人で切断してしまうほどの成長ぶりを見せている。
これなら問題ないだろう。一人で戦っていく分には、我の助けを借りずとも舞えるその強さは申し分ない。
と思った矢先だった。
シノブがはしゃぎすぎていつの間にか日が暮れ、もう既に空には月が顔を出している頃だった。
シノブの前に、夜の暗さによって活発化した夜行性の魔物たちが立ちはだかったのだ。
だいたいは今までの一年間でシノブが山程倒してきたような雑魚ばかりだったが、一体、異質な魔物が。
大鬼之狂王。危険度Aの、オーガ族の王。赤く巨大な体躯に、額に生えた黒く鋭い角。棘がびっしりとついた金棒を両手に握りしめ、ギラギラと燃えたぎるような赤い目をシノブに向けている。
そんな化物が目の前に現れたわけだが、ここでおびえるシノブはもう既にいなかった。
果敢にも大鬼之狂王に立ち向かった。
だが力の差というべきか、体躯の差というべきか、種族の差というべきか。
全く歯が立たずに、ここまで連戦連勝だったシノブは久々の敗北を喫することに―――は、ならなかった。
我には少ししか認識できなかったが、シノブの瞳が、ブレイド譲りの黄色の綺麗な目が、光った。
それと同時にシノブの身体から解き放たれる、大量の魔力。
まだ八歳であるシノブが何故こんなに大量の魔力を持っているのかは疑問視されるところではあるが、我が驚いたのはその量ではなく、質だった。
煌めくほどに透き通った魔力。僅かにプラズマのような現象も発生しているような、神聖さの塊のような魔力だった。
闇の化身である我がこの魔力に触ったら、その部分が蒸発する。
触れていないから分からないが、直感でそう感じるくらいの透明感。
そして不幸にもその魔力を真正面から浴びてしまった大鬼之狂王は、うめき声のような断末魔を上げながら一瞬にして塵と化し、風に吹かれて飛んでいった。
―――我の権能は見抜いた。今目の前で起こった現象が、何であるかを。
神之権能【月光之神】。月夜を司る神の権能だ。
八歳のシノブが、何故そんなスキルを持っているのかは分からない。
だが、一つ言えることはある。
―――これで、シノブが生き残れる可能性はぐんと高くなった。
この調子で強くなっていけば、あの悲劇を乗り越えられるはずだ、と。