第88話 陥落
一九三八年十月二十六日。
宍戸のもとに、真珠湾攻撃成功と、第三艦隊が第一〇六任務部隊との戦闘に勝ったとの報告が上がる。
戦果の内容を聞いた宍戸は、胸を撫で下ろした。
「作戦が成功したようで何よりです。これで、アメリカを第二次世界大戦に引き込めることができました」
「本当に米国を巻き込んで良かったんでしょうか?」
「すでにアメリカはヨーロッパに武器を輸出してますからね。時間の問題だったはずです」
宍戸は、書き留めたメモ帳に手を伸ばす。そこには、簡単ながらアメリカとの戦争のタイムラインが書かれていた。すでに史実と異なっているため、このメモ通りに事が進むことはないだろうが、気休め程度に書いていたのだ。
メモ帳の一番上に書かれていた「真珠湾攻撃」の文字に、見え消し線を引く。
「さて、問題はここからどう動くか、ですね」
「はい。しかし、目標はそう多くはないでしょう」
「香港……ですね?」
「はい。情報によりますと、すでに帝国陸軍と中華民国の間で衝突が起きているようです。戦線は膠着状態にあり、英国軍がある種の壁のようになっているため、民国軍は手を出すことをためらっているようです」
「イギリス軍が肉壁になっているのか……。効果はあるだろうけど、どれだけ時間を稼げることやら……」
「損害は軽微とのことなので、今は安心しても良いでしょう。また英領マレーでは、現地の移管作業は順調とのことです。このまま進めば、来年の今頃には新政権を立ち上げることが可能かと」
「それなら何よりです。その他に何か懸念要素などはありますか?」
「それでしたら、一つご報告が。パリが陥落しそうです」
ところ変わってフランス、パリ。
ドイツ軍の侵攻が日々強まり、パリの郊外まで接近しつつあった。凱旋門まで三十キロメートルもない。
すでに何人かの政府関係者はパリを脱出し、ル・アーヴルからイギリスへと亡命していた。
今日まで続く、イギリス空軍によるドイツ軍の侵略を阻止することを主目的とした爆撃作戦、スイフト作戦により、パリへの侵攻の時間稼ぎはできたが、完全に足止めをすることは叶わなかった。
それに加え、ドイツ空軍は改良型のBf109やFw190を投入し、制空権を確保しつつあった。いくら現行のスピットファイアを差し出しても、この両機種が存在する限りは、連合国側が制空権を確保するのは難しい。そのため、仮に爆撃隊を飛ばしたとしても、爆撃隊を守り続けることが困難になりつつあった。
そしてその影響は、フランスの転生者であるジル・ロンダにまで波及する。
「ロンダ様、早くお逃げになってください!」
軍事省の職員の一人が、ロンダに逃げるよう進言する。国家機関で働く職員の中で数少ない、ロンダのことを天上の人間と考えている人だ。
「いや、ここで僕が逃げたら、それこそフランスそのものがなくなってしまう。僕の祖国はフランスで、その祖国を戦争の危機に曝したのは僕だ。今からでもパリが戦場にならない方法を、戦闘を回避する手段を考えないと……」
そういってペン先でメモ紙を叩く。
「ロンダ様……。軍事省に勤める私から申し上げますと、パリ陥落は時間の問題です。我が国にはもう、ドイツ機甲師団に対抗できるだけの戦車も、機甲師団を攻撃するための砲もありません。手詰まりなのです。なので、ここはフランスから脱出し、イギリスへと亡命するのが最善の手です」
「だからって! 祖国を! 祖国に住む全ての国民を! 何もかもを見捨てろと言うのか!?」
ロンダは椅子から思い切り立ち上がり、職員に詰め寄る。
「そうです。見捨ててください」
職員ははっきりと答えた。
「それじゃあ駄目なんだ……。戦争を回避しなくちゃ、失わなくてもよかった命がなくなっていくんだ……」
ロンダは、先ほどまでの勢いを失い、力なく椅子に座る。
「ロンダ様……」
職員は、ロンダの前に行き、膝立ちでロンダのことを見る。
「ですから、ロンダ様はイギリスに亡命し、そこで祖国フランスを救う方法を探してください。ドイツがフランスを占領すれば、ドイツの傀儡政府が誕生することでしょう。我々職員は、ロンダ様がパリに戻り、祖国フランスの再建を宣言するまで、傀儡政権で国民を支えます。ロンダ様が祖国に戻る、その時まで……」
その職員の顔は、覚悟が決まっていた。ナチス・ドイツごときには屈しないという、気高き意思があった。
その時、敷地の外から衝撃音が響き渡った。
「ドイツ軍の砲兵による砲撃でしょう。もう時間がありません。ロンダ様、早く亡命を!」
職員に諭され、ロンダは苦しい表情をした。
自分の情けなさに泣きそうになったが、それを堪えてロンダは立ち上がる。
「しばらくの間、フランスのことをお願いします」
「はい」
そういってロンダはエリゼ宮殿から飛び出し、用意されていた自動車に飛び乗ってパリを脱出した。
その後も、夜になるまでパリは砲撃を受け続け、辺り一帯は火災で燃え上がっていた。
ここに、花の都、フランスの首都パリが陥落したのである。




