第59話 開戦
一九三七年五月二十七日。
その日は突然やってきた。いや、いくつかの兆候はあったのかもしれないが、とにかくやってきたのだ。
『ドイツ国は、ポーランド共和国及びフランス共和国に対して、宣戦布告する』
その報が発せられたのは、ナチス・ドイツの標準時刻でちょうど正午であった。
その正午に合わせるように、ポーランド国境にいた戦車師団が、フランス国境にいた歩兵師団と内地から飛んできた爆撃機軍団が、侵略を開始した。
また、正午に合わせて、ヒトラーがラジオで宣伝を開始した。
『諸君、我々アーリア人の素晴らしさを、団結力を、技術力を、世界に知らしめる時が来た。我々は一つの民族、一つの国家、そして一人の総統によって、全ての国々を凌駕した存在になる。それはとても素晴らしいことだ。同胞たちよ、誇りたまえ! 我らの誇りあるドイツは、栄光の道中にある! そして諸君らは、栄えある世界市民のうちの一級市民に選ばれたのだ! 我々はより一層団結するだろう。千年王国を築き上げるために、ありとあらゆる犠牲を払うことになったとしても、我々を止める者はいない。いてはいけないのだ! ドイツの千年王国を壊そうとする者がいれば、我々は容赦なく正義の鉄槌を下すだろう。我々の団結力が、全てを打ち砕くだろう。何物にも代えがたい、優等人種である我らアーリア人は、繁栄の一途をたどるだろう!』
これがドイツ中のラジオから流れる。
人々の反応は様々だ。共感してヒトラーに再度忠誠を誓う者。いつものことかと無反応でいる者。心の中で不信感を抱く者。
色々な反応があるが、総じて見ると概ね好評であった。
そんなドイツ軍の動きを見てみよう。
まずポーランド方面。国境沿いに配備されていた戦車師団は、大きな道を通ってポーランドに侵入しようとする。当然、国境を警備しているポーランド兵が戦車師団を止めるために、最大戦力である小銃や野砲を使うだろう。しかし、相手は戦車だ。野砲も歩兵砲が中心であり、ドイツ軍の戦車を止めるに至らない。むしろ車載されている機銃や主砲によって、軒並みなぎ倒されるだろう。そこにトラックの乗せられた歩兵がやってくる。そのまま国境沿いに展開し、周辺地域を掌握する。こうしてポーランド国境に引かれた防衛線は、脆くも崩壊したのである。
一方でフランス方面。マジノ線の向こう側から、分かりやすく歩兵や砲兵がマジノ線に接近していた。距離としては五キロメートルくらいだろう。これを好機と見たフランス軍は、マジノ線に潜んでいた歩兵師団や砲兵師団を、どんどん外に出して進軍する。その時点でドイツ軍の手中に収まっていた。高高度を飛行している爆撃機の大群が、満載した爆弾を投下する。それにフランス軍が気が付いた時には、もう遅かった。辺り一帯が爆発に巻き込まれる。退避が間に合った歩兵がいれば、そうでない兵もいる。ドイツ陸軍の渾身の囮作戦によって、ドイツ空軍はかなりの戦果を上げることができた。
そしてフランス方面にはもう一つのルートがある。ベネルクス三国経由のルートだ。こちらも戦車師団による強行軍によって、どんどん先を進む。敵がいる所は戦車によってあらかた砲撃で倒し、後ろからやってくる自動車化歩兵によって占領地域へと変貌させるのである。そのまま数日でベネルクス三国を道路にし、フランス国境へと到着するものの、一つ誤算があった。フランス軍は旧式になった戦車━━主にルノーR35だが━━を配備していたのだ。旧式化した戦車とはいえ、かなりの数がいるらしい。このまま突撃して撃破することも考えたが、後方にいる自動車化歩兵がフランス軍の戦車隊に包囲されれば、ドイツ軍が不利になる。戦車師団長の判断により、戦車師団の侵攻は一度止まることになった。
ところ変わって日本の立川。
宍戸の元には、ドイツが宣戦布告したという情報が入ってきた。
「今ですか……!?」
宍戸は驚く。それは以前、ドイツの転生者ローザ・ケプファーから貰った情報と異なっていたからだ。
「彼女の話によれば、今年の終わりくらいだと言っていたはずなんですが……」
「何か偽の情報を掴まれていたのではないでしょうか?」
副所長の林が意見を述べる。
「転生者だからといって、全ての情報を鵜呑みにするのは危険かもしれませんね……」
「その、すまほ? というもの。話を聞く限りでは、かなり便利なのですが、その分危険性も孕んでいるようですね」
「それは自分のいた世界だからこその話だと思っていたのですが……。少なくともドイツからの情報は精査する必要がありそうです」
「今後も注視します」
宍戸は外を見る。初夏の雰囲気が風となって室内を駆け巡るが、その空気には、少し硝煙のような匂いが混じっている気がした。




