第51話 新生
一九三七年一月八日。
ソビエト連邦、サンクトペテルブルク。
この街のとある地下牢にて、アレクセイ・イグナトフが監禁されていた。ここ数日はロクに食事もさせてもらえず、地下に流れ込んでくる雨水と思われる液体で喉の渇きをしのいでいた。
(あぁ、僕の人生もここまでか……。誰でもいいから助けにきてほしかった……)
スマホを使えば、簡単に助けを呼べるのだろうが、その相手は転生者だけである。異国の地に来てくれる転生者など、いるはずがない。
イグナトフは絶望したまま、死を待ち続けていた。
そんなときである。急に上の階が騒がしくなった。銃声も聞こえる。
しばらくすると音が静まり、また突如として爆音が響き渡った。どうやら、地下牢への出入り口が爆発したようだ。
そこから、ソ連兵がなだれ込む。彼らの腕には、白い布が巻かれていた。
「おい、お前が転生者のアレクセイ・イグナトフか!?」
爆煙と埃が舞い散り、イグナトフはむせてしまうが、どうにか声を出す。
「そうだ、僕が転生者のイグナトフだ」
「よし、見つけたぞ。今すぐそこから出す! ちょっと下がってろ!」
そういうと、ソ連兵は持っていた小銃で牢屋の鍵周辺を撃つ。いくら鋼鉄でできた牢屋でも、弾丸という火力を用いれば開かないことはないのだ。
いびつになった扉を開き、ソ連兵がイグナトフのことを救出する。
「大丈夫か?」
「分からない……。もう何日も水しか飲んでないから」
「それは大変だ。とりあえず水を飲ませよう。数時間したら粥が食えるはずだ」
そういって地下牢のあった建物を出る。
そのまま建物の前に横付けされていたトラックに乗せられると、トラックはすぐに走り出す。
「さぁ、水だ。ゆっくり飲んで」
言われるがまま、イグナトフは水を飲む。水を飲み終えると、イグナトフはソ連兵に質問した。
「き、君たちは一体……」
「新生ロシア帝国軍だ。いわゆるソ連のクーデター軍さ」
「クーデター……!?」
「革命軍ともいうかな。君の身を案じた民間人と軍人が結託してソ連に反抗している組織みたいなものだよ。ここレニングラード軍管区と白ロシア軍管区、東部軍管区と極東軍管区がクーデターに協力してくれている」
「ど、どうしてそんなことに……」
「これも全部、君のためだ。同志スターリンは転生者である君のことをぞんざいに扱った。しかも、君のことを知ろうとする人間を大勢粛清した。君も見ただろう? 秘密警察の手によって、罪なき人々が殺されていく所を」
「あ、あぁ……、そうだね……」
イグナトフは、幾度となく繰り返された粛清の現場を思い出してしまう。それによって、胸が少し苦しくなる。
「同志スターリン……、いや、もう同志じゃないな。あの野郎は我々の要求をことごとく拒んだ。だからこうして立ち上がっているという訳さ」
「な、なるほど……」
そう言われれば、納得できるほどの説得力がある。
「というわけで、俺たちはこれから新生ロシア帝国として建国し、新生ロシア帝国軍として戦う。そのためにまずは飛行機でウラジオストクに向かう。そこから今後の作戦を考える」
「な、なんでウラジオストクに?」
「答えは単純、モスクワから遠いからだ」
約一時間ほど悪路を走行すると、サンクトペテルブルグ近郊にあるショセイナヤ空港に到着する。すでに爆撃機数機が駐機していた。
「今から爆撃機に乗って、東部軍管区の空港まで移動する。そこからはシベリア鉄道で移動だ」
「なかなかの長旅になりそうですね……」
「今の内にレーションでも食うことをおすすめするよ」
そういって袋状のものを渡される。中身はおそらく乾パンか何かだろう。
イグナトフはレーションを受け取ると、袋を開けて中の乾パンを取り出す。そしてそれを力の入らない顎を使って全力で噛み砕く。その欠片を、口の中で飴のように転がす。その欠片を唾液でふやかしながら、ゆっくりと噛んでいく。
ひと欠片飲み込んだ所で、イグナトフの身はトラックから爆撃機に移される。イグナトフの体を心配して、寝かせたまま搭乗した。
「その格好では寒いから、予備のコートを使ってくれ。この時期の上空は非常に冷えるからな」
そういって一回りほど大きいコートを掛けられる。イグナトフはそれを、もぞもぞと動いて全身を包むようにする。
爆撃機は滑走路に移動し、今にも飛び立ちそうだった。
そしてここで、イグナトフは聞きたかったことを聞く。
「あの、新生ロシア帝国って言ってますけど、一体誰が皇帝になるんです? ロマノフ家の人間ですか?」
「それは君に決まってるだろ」
「……へ?」
イグナトフの思考が停止している間に、爆撃機は滑走路を離れた。そのまま一路、ソ連東部へと飛んでいく。
果たして、イグナトフの運命やいかに。