第48話 策
一九三六年八月二十日。ドイツ、ベルリン。
総統官邸では、いつものように会議が行われていた。
「……では、陸軍からです。東部方面軍の四個歩兵師団は、予定通り旧オーストリア領に進軍し、チェコスロバキアとの国境沿いに展開しました。後続の野砲師団や追加の歩兵師団、戦車中隊は約一月後に合流予定です」
陸軍総司令官は資料の紙をめくり、次の報告をする。
「続いて西部方面です。依然、フランス軍とはラインラントとマジノ線で膠着状態にあり、数日に一度程度の戦闘が勃発しているようです。フランス軍からの積極的な攻撃がないことを鑑みるに、世界大戦に発展するのを恐れて防衛に徹しているのでしょう」
それを聞いたヒトラーは、ゆっくりと静かに拍手した。
「素晴らしい。アーリア人の軍隊はこうであらねばならぬな」
手を机の上に置いたヒトラーは、外務大臣に尋ねる。
「そういえば、イタリアの方はどうなっている?」
「はい。現在十種類の文書を電文にて送信しているものの、未だ応答なしという具合です。諜報員からの報告を加味すれば、イタリアの連合国入りも近いものと推測されます」
「そうか……。ムッソリーニめ、我々のことを裏切るつもりか」
ヒトラーの発言に苛立ちが見られる。
「閣下、兵力は厳しいですが、三個歩兵師団なら捻出することが可能です。イタリアとの国境沿いに展開させますか?」
陸軍総司令官が立ち上がって発言する。
「お待ちください、総統閣下。今はその時ではありません。このような時こそ、慎重に進まねばなりません」
そう発言するのは、宣伝大臣のヨーゼフ・ゲッベルスである。
「ゲッベルスよ、何か言いたいことがあるのかね?」
「はい。まず、今の状況でイタリアに圧力をかけるのは好ましくありません。最悪の場合、我が国とイタリアの関係が崩れ、そのままイタリアを連合国入りさせる可能性があります。まずは穏便に事を進め、イタリアとの関係を修復するのが最善でしょう」
「それは一理ある。だが、この状況で関係を修復することなど可能かね?」
「我々には高い統率力と技術力があります。その力は、現在スペイン内戦で活躍しているコンドル軍団を見れば一目瞭然です。これらを提供する旨の協定を結び、実際に実行することができれば、関係性は一気に回復するでしょう」
ヒトラーは少し考える。
「確かに。我が国の科学力は世界一だ。我々の技術を餌にすれば、ムッソリーニなど簡単に食いついてくるだろう」
不敵な笑みを浮かべるヒトラー。ゲッベルスは続ける。
「さらに、イタリア国民に向けて、喜びそうな戯言を並べて宣伝するのがよいでしょう。『我々が力を合わせれば、どんな敵も粉砕するだろう。イタリア国民よ、我らと共に立ち上がろう』などと宣伝すれば、イタリア国民の心のよりどころになるはずです。いくらムッソリーニの手腕があっても、国民の支持なしには国政や軍を動かすことは困難でしょう」
「なるほど。さすがは宣伝大臣だ。戦略を考えさせたら右に出る者はいないな」
「恐縮です」
「して、これを実行して、効果が出るのにどのくらいかかるのかね?」
「私の簡単な考えでは、三ヶ月程度で効果が出るかと」
「よろしい。すぐに実行に移したまえ」
「はっ」
こうして、いつもの会議は終了した。
その後ヒトラーは、執務室にゲッベルスを呼び出す。
「何用でしょうか、閣下」
「うむ。実は、あの少女の処遇について考えていてな」
「あの少女……。転生者の彼女の処遇ですか……」
「我々に情報提供をしてくれた上に、その情報はほとんど間違ってはいなかったが、提供した数が少ないと思ってな。少女から情報を引き出すために、何か良い案はないかね?」
「真っ当に考えるならば、拷問が適切でしょう」
「私もそう思う。では、拷問を行うように命令を下そう。ユダヤ人のためのガス室があったはずだ」
そういってヒトラーが命令を下そうとした時だった。
「ハイル・ヒトラー! 閣下に意見具申をいたします!」
ヒトラーの執務室を警備している衛兵だ。
「君は総統閣下と私の話を盗み聞きしていたのかね?」
「申し訳ありません。しかし、有益な情報を与えることができると思い、発言しています」
「よろしい。話してみろ」
ヒトラーは、とりあえず話だけ聞いてみることにした。
「はっ。実は、転生者の部屋の警備をしていた時、転生者が何かガラス板のようなものを触っていたのを目撃しました」
「ガラス板のようなもの……?」
「転生者は、時間があればガラス板を触り続けていました。それと同時に、ナチ党のことについて呟いているのを聞いています」
それを聞いたヒトラーとゲッベルスは、顔を見合わせる。
「それが何だと言うのかね? そのことのために私の時間を無駄にしたのか?」
ヒトラーは若干怒っていた。
「いえ、総統閣下。これは重要な情報かもしれません」
「なんだと?」
「転生者は未来からやってきました。未来の技術なら、ナチ党の歴史をガラス板に閉じ込めることもできるかもしれません」
「うぅむ。確かにそうかもしれないが……」
「総統閣下。そのガラス板さえ奪ってしまえば、何か情報を得ることができるかもしれません」
「……分かった。まずはそのガラス板について、少女から聞き出したまえ。ガラス板を壊されても困るから、穏便に聞き出すのだ」
ヒトラーはこのように命令を下した。




