第43話 方針
一九三六年七月八日。
宍戸は米内総理に呼び出されて、皇居へと向かっていた。
「閣僚を集めた御前会議か……。少し嫌な予感がするなぁ……」
自動車は皇居の車寄に止まり、宍戸は自動車から降りる。
そして職員の案内の元、御前会議の会場へと到着する。
「やぁ、宍戸君。最近どうだね?」
部屋に入るなり、米内総理が声をかける。陛下はまだご臨席になられてないようだ。
「まぁ、色々と大変ですね。カーター大統領が亡くなったのは衝撃でしたが……」
「今回の御前会議は、そのこともあって開催するに至った。これからの世界情勢は今以上に厳しいものになるだろう」
そのようなことを話していると、宮内省の職員が声をかける。
「まもなく陛下がお見えになられます」
その言葉で、その場にいる全員が着席する。
それを見計らったように、奥の扉が開く。そこから天皇陛下がお見えになった。
閣僚たちがほぼ同時に立ち上がり、頭を下げる。宍戸も席を立って頭を下げた。
陛下が席にお座りになられると、全員が着席する。
一瞬の静寂の後、米内総理が口を開く。
「それでは、陛下ご高覧の閣僚御前会議を始めさせていただきます。議題は、向こう数年の帝国の方針です。それではまず、外務省から報告を」
「はっ。現在、ドイツとの軍事同盟の締結に向けた交渉を行っております。当初はソ連を念頭に置いた協定の締結を目指していましたが、ドイツ側から一方的に相互防衛協定を提案されました。実質協定の格下げ状態です。ですが、ソ連との不可侵条約の締結も間近となってきました。ソ連との不可侵を結べば、ドイツとの協定は現状のままで問題ないと考えます。しかし、懸念すべき点もあります。ここ数週間のイタリアの動向です。現在の国家元首とも言える立場のムッソリーニが、フランスと接触しているとの情報が入っています。ファシストに傾倒しつつあった中での出来事であり、これ以上連合国に深入りすれば、我々の立場も危うくなります。外務省からは以上です」
こうなると、世界はドイツと日本対連合国プラスイタリアという構造になる。スペインは絶賛内戦中であるため、どちらでもないとカウントしているが、それでも日本の立場はかなり不利になるのは間違いないだろう。
「総理! やはり大陸に陸軍を送り込むべきだと考えます!」
そう提案したのは、木村陸軍大臣である。
「……宍戸君はどう思うかね?」
米内総理が宍戸に問う。
「そうですね……。仮にあのまま大陸に関東軍を置いたままにしておけば、いずれ中華民国との戦争に入ります。史実では、宣戦布告なしになし崩し的に始めた戦争なので、支那事変と呼んでいました。支那事変では、広い大陸をどこまでも逃げていく中華民国軍を、日本軍がどこまでも追いかけていったと聞いています。戦線が伸びれば前線は脆弱なものになります。これにアメリカとイギリス、ソ連の援護が加わり、やがて日中戦争へと発展していきました。そして次第に劣勢となっていったのです。個人的には、陸軍には同じ轍を踏むようなことはしてほしくありません」
「それは……」
木村陸軍大臣は言葉に詰まり、そのまま沈黙してしまう。
「では、陸軍は朝鮮半島の根本で防衛に徹することで、異議はありますか?」
「異議なし!」
揃った声が響く。陛下も頷いているように見えた。
「では、重要資源の確保に向けた方針を、宍戸君から簡単に説明してほしい」
「はい。大本営立川戦略研究所では、重要資源を我が国のみの力で確保する必要があると考えています。そこで南方に進出し、連合国の重要拠点や資源地帯を確保するという助言を内閣に行いました。ここで口を酸っぱくして言うとすれば、南方の重要拠点を制圧した後はその補給線や航路を徹底的に防衛するというものです。そうしなければ、あっという間に連合国の手に落ちます」
「とのことです。海軍大臣から何か言うことはありますか?」
「仮に南方の拠点を制圧したとして、その後の航路防衛用の艦艇が少しばかり足りませんな。そのあたりはどうするおつもりでしょう?」
高木海軍大臣が宍戸に尋ねる。
「それこそ、戦時規格に則った、簡略化された艦艇を使用するのがいいでしょう。幸い、我が国の一等駆逐艦は優秀な艦です。それらを簡略化し最適化すれば、素晴らしい防衛艦隊が完成することでしょう」
宍戸は話を少し誇張させ、高木海軍大臣をその気にさせる。
「となれば、南方進出が今後の帝国の方針としてふさわしいでしょう。異議のある方は?」
「異議なし!」
再び声が揃う。
「では陛下、このような方針でよろしいでしょうか?」
米内総理は、陛下にお伺いを立てる。
すると天皇陛下は、一呼吸置いて口を開く。
「我が世をば 欠けたる月と いたしなむ 夏の星見て 望月ぞ思う」
突然の和歌。そのまま天皇陛下は席を立って部屋を去った。
直後、職員から和歌の内容を伝えられる。
『今の日本を例えるなら、欠けた月のようだろう。今はまだ夏の星を見て、あの輝きを満月に見立てよう』
かなり意訳を含んでいるが、こんなことを言っていたのだ。
(なんというか、悲しみを含んでいるなぁ)
宍戸はそんなことを思いながら、皇居を後にするのだった。