第35話 現実
一九三六年六月九日。
宍戸は海軍省に来ていた。
どうやら、先の机上演習の結果を見て、海軍戦力の増強を図りたいらしい。
「戦力の増強を図るのはいいんだけど、ちゃんと応じてくれるのかねぇ……」
「机上演習の件もありますし、問題ないと思いますよ」
そう話すのは、立川研究所で海軍関係を担当している主任である。
「さて、一体何を話すのやら……」
少し心配をしながら、宍戸と主任は海軍省の建物に入る。
すぐに大臣執務室に通された。そこには、以前会ったことのある高木海軍大臣がいた。
「ご無沙汰してます、高木大臣」
「こうして直接話すのは久しぶりだな。まぁ、掛けてくれ」
そういってソファに座る。
「すでに聞いていると思うが、今後の海軍の戦力を増強すべく、助言を求めたいというものだ。今後我々には何が必要か、未来のことを知っている宍戸君から助言をいただきたい」
「分かりました。では結論から申し上げます。まず空母を中心に建造、その他の戦艦、巡洋艦、駆逐艦には対空装備を充実させてください」
「その程度か?」
「はい。本当なら数を揃えたい所ですが、日本には余裕がないのは自明です。ですので、優秀な艦を数隻、戦時設計により簡略化した船を多数建造していただきたいのです」
「しかし、優秀な艦数隻で何とかなるものかね?」
「それは分かりません。しかし、優秀な艦でも使わなければ無用の長物です。史実では、現在計画されているであろう超弩級戦艦を、油がないなどの理由で持て余したことで、最終的には航空機の波状攻撃によって沈没させられています」
「そんなことが……」
高木大臣は少々驚いた。
「これも、アメリカの物量によるものです。どんな高性能な兵器であっても、数の多さには勝てません。なので、その数を少しでも埋めることが重要です」
「ふむ、理屈は分かった。戦時設計による艦艇の数合わせで、なんとか対処しよう」
そういって高木大臣はメモを取る。
「それと聞いておきたいのだが、米国はどれほどの物量をぶつけてくるのだ? やはり十倍くらいの差があるのかね?」
「そうですね……。詳しい数字は覚えてませんが、自分がいた世界ではこのように評価されていました。大戦末期のアメリカは、隔月ペースで正規空母を、毎月ペースで軽空母を、毎週ペースで護衛空母を、そして毎日ペースで駆逐艦を生産していた、と」
「ま、毎日駆逐艦が生産されていた……?」
「その駆逐艦はフレッチャー級と呼ばれ、確か戦時中に一七五隻も就役しています」
「戦時中にだと……? そんなことが可能なのか……?」
「アメリカという超大国だからこそ、可能だったと言えるでしょう」
高木大臣は見るからに絶望していた。しかし、すぐに正気に戻る。
「やはり、米国との戦争は回避せねばならないな。そのためには軍備を推し進めるしかないのだが……」
「その軍拡が、次の戦争を招くことでしょう」
「うぅむ……」
「あと余裕があるなら、海上交通路の確保も考えねばなりません」
「そういうものなのか……」
「課題を放りっぱなしにして申し訳ないですが、以上が今の日本に必要な課題であると自分は思います」
悩む高木大臣を置いて、宍戸はそのまま海軍省を後にした。
その帰りの自動車の中。海軍担当の主任が聞く。
「自分がいうのもなんですが、陸軍省には行かなくていいんですか?」
「んー、そうですね……。行ったほうがいいのかもしれないですけど、今以上の助言ができるとは思いませんからね」
「はぁ……」
「それに、日本は四方を海に囲まれた海洋国家です。海軍の増強無しには国防は語れませんからね。あとは……、今は構想段階ですが、空軍の設立も視野に入れなければなりません」
「空軍ですか?」
「史実では、マリアナ諸島や硫黄島を制圧したアメリカが、そこから爆撃機を飛ばして日本本土に空爆をしています。軍事施設を狙った空爆ではありますが、民間人も巻き込んだ大規模な無差別空爆です。アメリカとの開戦があった時は、せめて無差別爆撃だけでも回避したいんです」
宍戸は外の風景を見る。
「その前に、アメリカと和解して戦争を回避できればいいんですけどね」
「そうも言ってられない、というわけですか」
「はい。戦いたくはありませんが、もしもの時には戦わざるを得ない、と考えているんです」
「軍政の難しいところですね」
主任が宍戸の心中を察する。
「なんとかしなければ……」
しかし、世界情勢は宍戸の思うようにいかないのである。