第120話 平原での戦い
一九三九年三月四日。ドイツ領ポーランド。
暫定国境線を越えてから、すでに二日ほど経つ。
どこまでも平べったい土地が続き、進んでいるはずなのに進んでいないような錯覚に陥るだろう。
「こんな場所に来るとは思っていなかったが、ものの見事に山が存在しないな……」
篠田中将は自動車の横に立ち、周りを見渡す。この自動車はロシア軍から貰ったもので、簡単な操作と整備方法しか聞いてない。
それでも、自分の足を使わずに移動出来るのは素晴らしいことだ。それが泥のような道でなければ。
「それで、いつ泥から出られそうだ?」
「まだなんとも……。精一杯やっているのですが……」
今は冬から春に移行している季節。雪解けの季節でもある。つまり、雪解け水が地面に沁み込み、面倒な泥が出来上がると言う仕組みだ。
今回貰ったソ連製自動車のタイヤは、そこまで大きいものではない。それにエンジン自体の出力も微妙に低い。そのせいで、進軍にやや遅れが生じているのだ。
「まぁ、いい。気長に待とう。我々は後方で指揮を取るのが仕事だからな。それまで欧州の春を満喫するか」
そんなことを言っていると、遠くのほうからエンジン音が聞こえてくる。どうやら空から響いているようだ。
「あれは、ロシア軍機か?」
主翼に描かれている国籍マークは、ソ連の星を消した上で白青赤を円でくり抜いたような形だ。
「そのようですね……」
「あの模様……。かつてのロシア帝国の国旗を模しているのか?」
「かもしれませんね。戦時中の緊急措置でしょう」
ロシア軍機を見送っていると、地上からまた別のエンジン音が聞こえてくる。
遠くのほうで、ソ連軍の機甲師団が進軍しているようだ。
「いくら平原とはいえ、戦車は目立つな」
「はい。我が派遣軍は歩兵のみですので、戦車から直接狙われるようなことはないでしょう」
「そうだな」
そんなことを言っているときだった。
遠くのほうから、小さいながらも発砲音が聞こえるだろう。その直後、先ほど見たロシア軍機が回避行動のような機動を取る。
「ちゅ、中将! あれは……!」
「おそらくドイツ軍だ。ちょうど我々の目の前にいるな。全軍に通達! 対戦車戦闘だ!」
篠田中将の命令により、すぐに通信が欧州派遣軍に伝達される。
歩兵たちは直ちに陣地転換し、平原の草や地面に紛れるように伏せる。その後方では、なんとか日本から持ってくることが出来た小口径野砲や山砲を展開し、いつでも射撃出来る状態にした。そのほかにも、擲弾筒や軽機関銃、数は少ないが重機関銃なども展開する。
そして最前線にいる歩兵は、低い草の上で見つからないように必死に身を屈めた。
だが問題が一つ。
「こんな草っぱらでどうやって隠れろって言うんだ……!」
最前線の兵士の感想としては、これが一番だろう。ここはヨーロッパだ。日本の植生とは異なる。生えている草は、まるで牧草のように背が低いものばかりだ。
なんとか隠れる場所を作るため、銃床を使って地面を掘り返す。それを自分の前に積み上げて、小さい山を作る。これで直視されても頭は見えないという算段だ。とは言っても、石のような硬さのある防壁ではない。狙われたら終わりの、お守りのような存在である。
しばらくすると、小さな地鳴りと揺れが伝わってくるだろう。ドイツ軍の機甲師団だ。
機甲師団に合わせて、ハーフトラックも展開している。今は歩兵が荷台から降りて、周辺に散っている所だ。
それを狙うように、帝国陸軍の歩兵が重擲弾筒でハーフトラックを狙いすます。そして中隊長の合図のもと、一斉に発射した。
約十秒後。前線を構築しつつあったドイツ兵たちに、炸裂した榴弾の破片がわずかに突き刺さる。致命傷に至らないため、うまく動けなくなる呪いのような状態だ。
しかし、ドイツ軍の物量はすさまじい。次から次へとドイツ兵が飛び出してくるだろう。そこへ機関銃による射撃が行われる。
機関銃から吐き出される鉛玉が、ドイツ兵に命中する。最初のうちは勢いよく倒れるドイツ兵が見られるが、すぐに地面に伏して被弾面積を下げるだろう。
そしてそれに呼応するように、前線に出ていたドイツ戦車が主砲と機銃をぶっ放す。機関銃を担当する兵士は、身を地面に近づけているとはいえ、かなり無防備な状態でいる。そんな所に戦車の砲撃が来ればどうなるだろうか。たとえ至近弾だとしても、大損害を被るだろう。
「だめだ、戦車には勝てん。戦略的撤退!」
中隊長が指示を出し、歩兵たちは匍匐後退で慎重にその場を離れる。
すると、ドイツ戦車のうちの一輌が突然、砲塔を吹き飛ばすほどの大爆発をする。どうやら、ドイツ戦車の砲撃を聞きつけたソ連機甲師団が、こちらにやってきているようだ。
ソ連戦車のことを確認したドイツ機甲師団は、すぐにソ連戦車の方へ砲口を向ける。そのまま草原での戦車戦が始まった。
その様子を聞きつけた帝国陸軍砲兵隊が、ドイツ戦車のおおよその位置を特定し、砲撃を開始する。やや水平に近い軌道を取った砲弾は、そのほとんどが地面を抉る。
「今だ! 全軍突撃ー!」
中隊長は、状況が変化したと判断し、ドイツ兵に向かって突撃を敢行。帝国陸軍の歩兵たちは、小銃を撃ちながらドイツ兵と近接戦闘に入っていく。
カオスな戦場が、そこにはあった。