婚約破棄から始まる反逆への序曲、あるいは再会が紡ぐ革命の物語
それなりに受けたら連載するかも?です。
連載してほしい、という読者様がおられましたら、是非とも高評価のほど、よろしくお願いします。
部屋を明々と照らす沢山の装飾電灯、それに豪華絢爛な装飾品の数々が並ぶ─ここは、総督官邸の中。今日はその主である総督閣下の代わりに、学院生が中にいる。いわゆる卒業パーティーなわけだが。
学院生─学院に通う、公国連合の中でも有数の貴族達の子弟達の眼の前で、私は公爵殿下の子息、つまり、この連合の総領の息子から婚約破棄を受けている。
「何故でしょうか?」
私は淡々と返す。
「白を切るつもりか? これまで行ってきた悪行の数々─すでに証拠は出揃っている。ここで婚約破棄されるか、それとも公爵殿下に突き出されるか、どちらが良い?」
「……、申し訳ありません、何を仰っているのか分かりかねます」
「では、証拠を出すとしよう」
そういうと、アルバート殿下が書類を一枚出す。
「一つ、貴様は平民に対して侮辱的な発言を行った。これは、そこにいるリュードベリ侯爵令嬢がしっかりと記憶している」
名を呼ばれたリュードベリ侯爵令嬢は、一歩前に進み、お淑やかに一礼する。
「記憶に相違ありません。そこにおられるマグノリア侯爵令嬢は、ミュンツァー勲章侯令嬢に対して、罵詈雑言を向けていました」
「リュードベリ侯爵令嬢、ありがとう」
再び一礼し、彼女はまた、もとの位置に戻る。
「一つ、貴様は他の貴族令嬢を教唆し、平民に対して害を為そうとした。これは、パドゥア子爵令嬢が記憶している」
同じように、パドゥア子爵令嬢が前に進み、リュードベリ侯爵令嬢と同じような発言をする。
これが、大体五回くらい繰り返された後、殿下が書類を仕舞う。
「他にもまだあるが、どうする?」
「それのどこが悪行なのか、おっしゃってください」
「何?」
ここまでは、予定通りだ。
バタン、とドアが開かれる。メインヒロインは遅れて登場、というわけだ。
「マグノリア侯爵令嬢」
静かに、そう呼びかける声がする。
それは、まるで正義の鉄槌を下す裁判官のような、そんな声だった。
「もはや、貴族だけで成り立つ社会ではないのです。貴族の誇りにのみ縋り、平民を見下した態度、未来の貴族令嬢としてはまさに不適格、そうではありませんか、殿下?」
まさにその通りだ、と言わんばかりに頷く殿下。
「マグノリア侯爵令嬢、重ねて問おう。婚約破棄されるのがいいか、それとも公爵殿下に突き出されるのが良いか? どちらか選べ」
「……、殿下まで、平民風情の言葉に耳を傾けるのですか?」
「これからの時代、平民と貴族はともに歩んでいかなければならない。私は、その架け橋となりたい。そして、そんな私の隣に相応しいのは、貴様ではなく、そこにいるミュンツァー勲章侯令嬢だ」
いよいよ、この寸劇のフィナーレ。
殿下が私を無視するように歩を進め、ミュンツァー勲章侯令嬢の前で跪く。
「どうか、ともに歩んでくれ、リオンよ」
「……っ! はい、よろこんで!」
私は振り返る。
蔑む目をして。
「殿下、どうか現実をご覧ください。この国は貴族のもの。平民ごときと歩むなど、甚だ片腹痛い」
「ふん、ならば貴様は、ただ落ちぶれていくだけだろうな」
「そう思われるならどうぞご勝手に。このような寸劇に付き合わされて、私はとても不愉快です。はあ……、愛想が尽きました、殿下。私は、貴方を支える気を無くしました。婚約破棄したければどうぞご勝手に、私はここで失礼させていただきます」
こつこつ、とヒールで床を叩く音を鳴らしながら、殿下の直ぐ側を通り過ぎる、一瞥もせずに。
その時、小さな声で、殿下からの声が聞こえた。
「済まなかった、アンリ」
くすっと、バレないように笑って、私はこう返す。
「さようなら、殿下」
こうして、私、アンリエッタ・ヴァン・マグノリアはアルバート・アド・ダンドーロ公爵子息から、婚約破棄を受けたのだった。
・・・・・・
「くだらない三文芝居は終わったの、アンリ?」
「終わったよ」
ふう、とため息を付いて、私は近くのベンチに座った。ついさっきまでの婚約破棄劇は、実は全て、私と殿下、それにミュンツァーさん達の口裏合わせ合ってのもの。
要は、全てはなんとかのシナリオ通り、というやつだ。ついでにいうと、この婚約破棄劇には、現公爵や私の父上も関わってたりする。
「殿下も酷いねえ、かれこれ十何年連れ添った婚約者を、こうもあっさり捨てるなんて」
「……、殿下からは、もう十分に貰ったから。それに……」
「? どうかしたの?」
「なんでもないよ、迎えの馬車は来てる?」
私の、腐れ縁の友人─レイチェル・ヴァン・ボードワン侯爵令嬢は、ツンとした態度で頷いた。
「これで、レイともお別れだね」
「私はせいせいとした気分だよ。貴女と二度と顔を合わせなくて済むんだから」
「言ってなよ。どうせ数週間もしないうちに、淋しくなるんだろうから」
そのまま、顔を合わせることもなく私達は分かれた。多分、数日もしないうちに顔を合わせることになるんだろうなあ、と思いながら。
立ち去ったレイチェルの代わりに、迎えの人達が来る。丁度午後八時の鐘が鳴った、予定通りだ。
「さてと、私はなんて言われればいいのかな?」
「そうですね。取り敢えず地獄へようこそ、と私は言っておきますよ、姫様」
「違いない」
専属侍女のエレナは、くすくすと笑った。
最初に家に来たときは随分と無愛想だったけど、今となっては感情豊かな女性だ。そろそろ三十路に入ろうかというのに、ずいぶんと若々しく見える。
ついでにいうと、エレナは平民出身だ。
「さて、姫様、手を引いたほうが?」
「自分で歩けるよっ!」
いやまあ、小柄だから、ね。
子供に見えないこともないんだろうけどさ、でもね、それでも出会った頃と全く同じように手をひかれると、その、ね。
「では、できる限りお早くお願いしますね。人目につきたくありませんから」
「今頃他の皆は、殿下の宣言に聞き入ってるよ。なんせ、婚約破棄、だからね!」
「なぜされた側がこんなに誇らしそうにしているのか、本当に疑問ですよ。和解の上とはいえ、誇らしそうにしてるのはいかがなものかと」
「いやいや、アルが幸せなら、私はそれでいいし! というか……、ね」
アルは、私にとっては勿体ないくらいにいい人だ。それに、最後にお別れの挨拶もできたし、それだけでいい。
まあ、アルにはこの後、ちゃんと頑張ってもらわないとだけど。
「それじゃあ、いこうか、アルの姉君のところへ!」
「前のようにアリサ、とは呼んで差し上げないのですか?」
「いやだって、最後に会ったの、もう五年前だよ? 向こうだって、流石に覚えてないでしょ?」
「アリサ様は、そんなに薄情な方ではございませんよ。にしても、今は「魔女」なんて呼ばれてるそうですが、いいのやら悪いのやら」
「実際魔女っぽいしね」
「それは流石に失礼では?」
いやだって、完全に魔女だし。
ローブとか、もう分かっててやってるでしょ。しかも、箒で空飛ぶんだあ、とか訳解んないこと言ってたし。童話の読みすぎでしょ。
「さてと、それでは魔女さんにかぼちゃの馬車を届けに行きますか」
「役割があべこべですよ、姫様」
「どっちでもいいんだよ、そんなことは!」
早くしてくれ、とばかりに、他の迎えの人達が白い目で見てくる。おかしいなあ、私、みんなに優しくしたはずなのに、どうしてこんなに冷たい目で見られなきゃいけないんだっ!?
「貴族としての自覚がないからでは」
「そこ、エスパーしないっ!」
「はいはい」
あっ、強引に手掴まれた。
そしてそのまま、黒い車の中に強制連行されるのだった。あれ?これ、傍から見たら誘拐じゃない?
・・・・・・
かくして向かうのは、「魔女の隠れ家」こと、総督別荘。官邸からは車で約二時間程度、山を抜けた先にある、清閑なところだ。
人目につかないから、まあ、アリサはやりたい放題なわけで。
「……、なんか光ってない?」
「ああ、UFOでも浮かべているのでは?」
「なんというか、技術だけは凄いよね」
公国連合、大陸中央部から南部の「爪先」半島までを領域とする、大陸の中でも随一の強国だ。
産業革命後も貴族制を保持しながら、ゆるやかに民主化も進行している。そんな公国連合の、各構成国の貴族たちには、平民たちにはない特殊な力がある、とされている。
もっとも、それは伝承の話。
実際は、ただの神話だと、そう思っていた。あのアリサがやらかすまでは。
「あっ、もしもし、聞こえてるか?」
携帯電話から、ではない。
脳に直接語りかけてくる。
はあ、とため息をつく。そして、魔法〈トランスミット〉を、魔導具で起動する。
「応答するよ、アリサ」
「ほにゅ? あれ、ひょっとしてアンリ? ちょっと待て、用意できてない!」
「はいはい〜、そのままいてね」
あーだこーだ言うアリサの声を、魔道具のミュート機能を起動してシャットアウト。いやだって、うるさいし。
「……、手紙も出していないのですか?」
「こういうのは、いきなり訪れてなんぼでしょ?」
「その出典はどこですか?」
「うーん、ライトノベル?」
「……、姫様、貴族の嗜むものではありませんよ?」
「だって面白いし」
はあ、とまたため息をつかれた。
私、なんかしちゃいました?(すっとぼけ)
「すっとぼけ、ではございません」
「だからエスパーするな!」
そうこう言っているうちに、敷地の中に車が入る。
どこぞの海の向かい側の国みたいな胴長車でもないから、まあサクッと入る。
「さて、証拠押さえに行きますか」
「警察でもないんですから」
ドアを開くと、何故か目の前に少女が立っていた。
「あのぉ……、どうしているんですか、アリサさん?」
「どうしても何もだなあ、勝手に敷地に侵入してくるバカがいたからだろ?」
緩やかに結ばれた髪が、風に靡く。
紛うことなき黒髪、いわゆる濡羽色の髪色。そして、纏う装束は、魔女そのもの。
にも関わらず、話し方は男のそれだ。
「相変わらず、実験三昧なの?」
「そりゃ、な。残念なことに、最近は出費が嵩んでるから、前みたいにバンバンできなくなってきたが」
目の中が、一瞬赤く輝いた。
「それで、そっちはどうなんだ? アルとは上手くやってる?」
「うん、ついさっき婚約破棄してきたところ!」
「……? 済まない、私の耳がおかしくなってしまったらしい。婚約破棄と聞こえたんだが?」
「うん、婚約破棄だけど?」
あっ、フリーズした。
うーん、常識外れのアリサでも、フリーズすることってあるんだなあ……。
「……、待って、最後に会った時、仲良かったよな。何があった?」
待って、心配されてるんだけど?
アリサに心配されるくらい不名誉なことないんだけど?
「安心して、ちゃんと話し合った上だから」
「なるほど、最近ラノベで見かけるようになった駆け落ちモノとは違うわけだな、そうなんだよな?」
「もちろん」
アルだって、別に現実が見えなくなったわけじゃない。むしろ、未来を見通せるだけの鋭い目を持っていたからこその、今回の婚約破棄だ。
「うーん、推察すると、だな」
途端、アリサの目が、今度は碧く光った。
「これからは平民の時代が来る、と。そして、貴族と平民の融和の象徴となるために、婚約破棄した、そういったところか?」
「大体そんな感じ」
「……、よくアンリの父が承諾したな」
「お父さんには無理やり話し通した。まあ、最初は無茶苦茶嫌がってたけど」
はあ、とため息をつかれた。
「そりゃそうだろうな。貴族の婚約破棄なんて、そんな汚名被れるか、ってんだ、普通は」
「最終的には、アルが一時謹慎処分を食らってる間に、一階級分昇進することで手を打ったって」
「となると、宰相補佐ってことか? いやあ、アンリのお父さん、どんどん出世していくなあ……。私が最後に会った時には、まだ侯爵の端くれだったからな。役職も、確か国防省事務局長、だったか?」
「十分に重役だと思うけど?」
「侯爵なら省次官からだろ、普通? まあ、叔父さんがやらかしてるからな。むしろ、そこから持ち直せたのがおかしい」
それはそうだね、と笑う。
「さて、本題を聞こうか? この魔女、アリサ様に何の用?」
「……、単刀直入に聞くよ。これから先、私達は国を変える」
ほう、と返された。
辺りの温度が、二、三度冷えた気がする。
「知ってると思うけど、近隣諸国では革命騒ぎが起きてる。まだここは大人しいけど、多分時間の問題だ」
「確か王国だったか? 王の公開処刑にまで事が及んだと聞いた。確かに、この国に革命が伝播するのも時間の問題だろう」
「そして、この国だと事情はもっと厄介だ。言いたいことはわかるよね?」
アリサのローブが、風に揺れた。
目が細められる。
「この国の貴族制は、これによって成り立っている、と言いたいんだろう?」
目が、紅く光った。
色はやがて、青、黄色、と次々に変色していく。
「国難あらば、即ち貴き目の者に、国を率いらせよ。さすれば、過ちはなかりらむ」
「伝説上の初代公爵、ガングート・アド・ゴードウェルの言葉だ。未だに強い影響力を誇る、ね」
公国連合の歴史はとても古い。
それこそ、有史以来ずっと存在するとも言われるくらいには。そして、その建国者、"アド"の中姓を創設したゴードウェル家の始祖は、死後神格化された。
他の国々が、その後に形成された一神教に鞍替えしていく中でも生き残った、ガングートを頂点とする素朴な多神教。
神話と巧妙に融合したこの宗教─いまでは国家神教と呼ばれているこの存在が、産業革命以降もずっと、この国を支配している。
「ガングートの言葉が、今の貴族制を支える支柱となってる。そして、今のこの国は、その言葉に縋るあまり、未来を失っている」
「平民と貴族の分断だな」
今の御時世、自由主義の発達により、貴族の特権は脅かされてきている。一部の貴族は、その膨大な資産を用いて大資本家に転身しているけど、ほとんどの貴族は没落している。
うちの叔父も、そんな貴族の一人だった。
「貴族の特権を回復する、そういって憚らない人達が反乱を起こし、それに同意する、もしくは、同意までいかなくても明確に反対を唱えない貴族が殆どだった。これだけでも、この国が病んでるのがわかる」
「法を以て救済を、と唱えた一派もいたくらいだからな。平民達に白い目を向けられたそうだが」
「もちろん議会では否決されてたね。でも、そういう問題じゃない」
私の叔父を中心として行われた、貴族のタカ派による大反乱─ヴァンデー反乱は、こういった保守派貴族の妨害もあって、鎮定に一年以上を費やした。
「ヴァンデー反乱以降、この国の貴族と平民の分断は加速的に進んだ。それを見たから、アリサは引いたんでしょ?」
「もとから公爵位継承権は、下から数えたほうが早かったからな。よく街に降りていて、市民からの信任も厚い。そして、保守派貴族との折り合いが悪い。
まさに、革新派が求める公女だ。死んでもそんなものになってやりたくはなかったからな、適当な理由でここに隠遁した。
私は表舞台に立つつもりはない、好き勝手研究させてもらうだけだ。予算分の仕事は果たしているし、最悪無くても何とかなる」
アリサ─アリサ・アド・ダンドーロ。
この国の、筆頭公爵令嬢にして、異端の貴族令嬢。幼い頃から英邁でありながら、貴族の特権を否定し、暇さえあれば街に降りて平民たちと交わり、大衆文化を恥じることもなく嗜んだ。
なんどか暗殺されかけたらしいけど、何事もなかったかのように生きてるということは、相当の強運か、或いは頭脳、武力を持っているということ。
しかし、貴族と平民の分断が加速するのを見越して、八歳のときには隠遁生活を送ることにしたらしい。
なんというか、無茶苦茶な人だ。常識って言葉を教えてあげたい、私が言えたことじゃないかもだけど。
「……、推察しよう。君は、私に再び表舞台に立ってもらいたいと思っている。貴族と平民の分断を終わらせるには、それが最良の方法だと思っている。
だが、私にはその気がない。答えは以上だ。世間話なら付き合ってやるが、要求は受け容れないぞ」
「うーん、そこまできっぱり言われるとなあ……」
「というか、そもそもなんで婚約破棄を受け容れたんだ? らしくもないな、"唯我独尊令嬢"」
「……、奇天烈な行動をしてるんだから、悪名には反してないんじゃない?」
「一人で光学機械を自作してみせた天才少女。その仮面を剥がしてみれば、ただの恋する乙女だろう?」
いや、違うか、とアリサは言う。
「恋、とも言えんかもしれんな……、だから、か」
「……、私は何て返せばいいの?」
「そうだな……」
くすっ、と笑って、アリサは背を向ける。
「立ち話も何だから、まずはアリサ様の隠れ家に伺わせてください、なんてどうだ? 喉も乾いただろう?」
ぐぅ、とお腹の虫が鳴く。
「私もお腹が空いたしな」
「……、それ、アリサがなんか食べたいだけじゃないの?」
「……、それは言わない約束だ」
・・・・・・
「殿下、よろしかったのですか?」
ドアをノックして入る。
その先にいるのは、公国連合の筆頭公爵、その息子だ。アルバート・アド・ダンドーロ公爵令息、私なんかよりも遥かに上の立場にいる人だ。
「リオンか。あいつも了承済みだ、気に病むことはない」
「ですが、殿下はアンリ様のこと、お好きなのでは?」
少し寂しそうに、殿下が笑う。
「まあな。……、いや、好きとは違うか」
「と、いいますと?」
「あいつと俺は、なんと言えばいいのだろうな……、家族、というのが一番近いか? 何も言わなくても、相手の言いたいことがわかる。ずっと、一緒にいたからな。
相手にしてほしいことも、してほしくないことも。ちょっと顔を見るだけで、な」
殿下が、顔を少し横に向ける。
私から、わずかに視線を外したのだ。
「それは……」
「だからこそ、好き、とは全く違う。姉と弟、みたいなものなのかもな」
「それならば、より一層、別れないほうが良かったのでは?」
「……、どうだかな」
目の中に、一瞬なにかの感情が過ったように見えたが、瞬きして、瞬く間に消してみせた。そして、私に再び目線を向ける。
「俺達も、やるべきことをやらねばならない。あいつには散々迷惑かけたからな、ちゃんとお返ししてやろうか」
「なんというか、凄く良い人、でしたね」
「ああ、あいつは良いやつだ」
一ヶ月くらい前。
私はアンリエッタ様に呼び出しを受けた。アンリ様は凄い人で、学業実技ともに優秀、しかも立ち居振る舞いも完璧という、いかにもな貴族令嬢だった。だからこそ、私達平民上がりの貴族からやっかみを受けることもしばしばだった。
私はどちらかといえば止める側だったけど、でも、やっぱりアンリ様はどこか怖そうだった。
その印象が、ドアを開いた瞬間に覆された。
だって、その時のアンリ様は、凄くフランクだったから。まず、挨拶が、貴族にあるまじき"おっはーっ!"だった。
そこから、アンリ様の完璧なイメージがどんどん崩れていって、最後には"ああ、この人、ホントはこんな感じの人なんだな"って思えるようになった。それからしばらくして、今回の婚約破棄の相談を受けた、というわけで。
「リオン、これから俺は、この国を変える」
「……っ!」
「この国は今、病んでいる。貴族と平民の蟠りは深まり、隣国の革命騒ぎに貴族たちは目を向けない。議会の要求を無視することさえしばしばだ。
父は、貴族の間の分断を防ぐことで手一杯、アンリの父も同じだ。ならば、公太子である俺が、率先して変えていくしか無い。リオン、ついてきてくれるか?」
凄く真面目な目を向けてくる。
それに応えるように、私は、殿下に跪く。
「喜んで」
「さて、まずは謹慎期間中にこれからのことを決めねばな。リオンにしても、おそらくこれから公太子妃になるための教育を施されることになる。そうなってしまえば、こうして話す時間もなくなるだろう。
謹慎期間中は、しばらくここにいてくれるか?」
「男女一緒の部屋にいたら、変な噂を立てられることになりませんか?」
「そんなものは放っておけ。噂なんて、所詮は噂だ。気にせずに立ち居振る舞っていれば、いつかは消える」
ふっ、と殿下は笑う。
「付き合ってもらうぞ、リオン」
「はいっ!」
「それに、俺達が頑張らないと、あいつも姉上も、帰ってこれないからな」
「また、あの方とはお話してみたいですし、頑張りましょう!」
・・・・・・
「最後にここに来たのは五年前だったか? まあ、別れたときにはもう二度と会うこともあるまいと、そう思っていたがな」
「アリサ、私は、貴女にどうしても、表に出て欲しいと思ってる」
「何度も言わせるな、出る気はない。それに、私が出ても今更だろう?」
くすっ、とアリサが笑う。
「まあ、どうしても、というなら私に勝ってみせろ。前はコテンパンにしてやったがな」
「私だって、あれから五年、"これ"を扱ってきたからね。いまなら、アリサにも勝てるかもよ?」
「言ってろ。何度でもかかってこい、好きな時に受けてやる」
だがな、とアリサは続ける。
「今日はナシだ。どうせお前、ここに泊まるつもりなんだろう?」
「親元には帰れないしね」
「全く、私がお引き取り願ったらどうするつもりだったんだか」
「その時には殴り込むつもりだったよ。もっとも、そんな未来はないと思ってたけど。アリサって、何やかんや言って面倒見良いし」
「はあ、これだから幼馴染ってやつは」
ふっ、と彼女は薄く笑う。
「泊まるなら、実験に付き合ってもらうぞ。勝負はそれからだ」
・・・・・・
後の世に語り継がれる、ある物語がある。
古き貴族の時代を終わらせ、新しい時代へと歴史を繋げた、偉大な公爵。
貴族と平民の架け橋となり、その蟠りを解くことに生涯を捧げた、公爵夫人。
平民と貴族の差を緩やかに解体し、貴族と平民の平等に力を尽くした公爵令嬢。
その三人の傍らには、かつて公爵から婚約破棄を受けた、ある令嬢がいた。
だが、それはまだまだ先の話。
何せ彼女らは、まだ再会したばかりなのだから。