『ワンダーランドサバイバー』
「漂流して今日で43日……」
女子高生になって初めての海外旅行。そこで私は遭難した。
見上げればさんさんと輝く太陽、澄んだ水に映るカラフルなサンゴ礁、眩しいくらい真っ白なビーチ、見渡す限りの青、青、青。
そこは周囲を海に囲まれて、孤島と言うに相応しく、限界な文明生活が約束された場所だった。
「せめてロマンスの一つでもあればなぁ」
流れついた島で同じく遭難したイケメンの男と出会って、過酷な生活を二人で乗り越えて惹かれ合う二人。次第にここで暮らすことを受け入れていく……そういうロマンスのテンプレ。
そんなものはなく。
「ん……ンフッ、イコちゃんもそういうのに憧れるんだネッ。じゃあ、これからいっぱいおぢさんとひと夏の思い出をつくろうか~ムチュチュ~」
現実は隣にいる彼、ハゲで太ったキモい中年のおっさんが一緒に遭難した相棒だった。
「近寄んなハゲ!」
「んほーっ!」
私に蹴られてオーバーなリアクションを取って吹っ飛ぶおっさん。わざとらしい演技と満面の笑顔、鳥肌が立った。
「クソっ、なんでこんなとこでこんなキモいおっさんと生活しなきゃいけないんだっつーの」
ビーチに転がるキモい中年のおっさんを見ながら、吐き捨てるように一人呟く。
しかしまあ、ここまで生き残った外でもないおっさんのおかげと言えるのだが。
火も起こせなくて絶望していた私に、火の起こし方を教えてくれたのはおっさんだ。
何も取れなくて腹が減りすぎて動けなかった時に、自分のために取っておいたであろう非常食をくれたのもおっさんだ。
他にも、料理できるし気が利くしなかなか面白い話してくれたんだけどさ……
「なんでずっと勃ってるんだよ!」
おっさんは、下心丸出しだった。しかもそのままの意味で。
「おぢさんも男の子だからさ、イコちゃんみたいなお胸のおっきなエッチなコを見ると色々と元気になっちゃうんだヨ〜」
腰をクネクネさせながら、照れくさそうに頬を染めるおっさん。
「そういうのいいから!せめて服くらい着ろっ!」
このキモいハゲのおっさんは服すら着ない。そもそも最初に会った時から何も着ておらず、相当困惑した。
その頃、まだ丁寧な言葉遣いをしていた私はやんわりと服を着ることを伝えてみたものの。
「この島法律ないし」
と言って聞かなかった。
その後もしつこく言い付けていたところ(暴力含む)腰に巻きつけるのはうっすい海藻くらいで、殆どその意味を成していない。
「ンほほーっ!」
「最悪だ……」
このおっさんは全てを曝け出す。そのせいで、私が生き残った後に語るであろう数々の無人島サバイバルの名シーンの全てが下心が見えている状態で再生されるのだ。
火がついた時も、魚が取れた時も、家が出来た時も、水を確保した時も、やっとの思いで料理を作った時も、おっさんはおっさんだった。
その映像が高身長浅黒イケメンだったらどれだけ良かったことか………………いや無理。
「そろそろ心を開いておくれよイコちゃーん」
未来を憂いていると、おっさんは私の股の間に転がっていた。
鋭く睨みつけ、ノータイムで顔を踏みつける。しかし、その瞬間キモおっさんは私の足元から消えた。
「チッ……」
「何奴!?」
素早く立ち上がったおっさんは、何かを察知したのか森の中の方を向いて戦闘体制をとった。
片脚を上げて両手をチョップにした、夜叉の構えみたいな変なファイティングポーズ。真剣だ。
「何?なんか居るの?」
「うん、イコちゃん気をつけてっ……取り敢えずおぢさんの後ろにっ!」
一応キモーの後ろに逃げると、ジャングルの奥からパキパキ枝を折ると音がした。何か、大きな影が近づいて来ている。
大きな影はジャングルの中からゆっくりと顔を出して、こちらに姿を見せた。
それは、人間の手のひら程の大きな牙を持った猫科の猛獣……
「サーベルタイガー!?」
鋭い目つきに逆立つ毛並み、体躯は人をゆうに超えていた。
片目についた傷は彼が歴戦の者であることを物語る。
「この島のヌシ……だね」
「絶滅したはずじゃ……ていうか無理だってこんなの!逃げなきゃ!」
逃げようとおじさんのぬるっとした手首を掴むも、地面に張り付くように動かない。
「大丈夫、ボクは拳拳真拳流拳王師範代皆伝だからッ!」
「聞いたことねぇよ!」
危機に陥る度になんとか状況を乗り越えて来た私達だが、今回ばかりは絶望的だ。
何かないかと背後を見たが、島を囲むのはサメの多くいる海。そもそも逃げ場なんて無かった。
「……来い」
カンフーのようにおっさんが手のひらで合図をすると、サーベルタイガーは動く。獣の速さで。
「イコちゃんはボクがまもるっ!喰らえっ!拳拳真拳奥義っ!」
瞬き一つで、私達の前にその巨躯の本当の姿が現れる。それは人間に勝てるわけが無い。そう本能的に思わせるものだった。
「おっさん!無茶だ!」
おっさんは無謀にも構えをとって引くことなくサーベルタイガーを捉え続ける。そして、その喉元目掛けて大きな牙が迫る、その時。
「窮鼠キーック!」
グシャリ……肉の裂ける鈍い音がした。
「おっさーーーん!!!!!あれ?」
とっさに閉じた目を恐る恐る開けると、口から脳天まで串刺しになったヌシがいた。
いつの間にかおっさんの足元に杭が現れ、その切先はヌシの口元へと一直線に吸い込まれていたのだ。
「ふう……なんとかなりましたなぁ」
そうあっさりと言い放つおっさんだった。
手元にロープを握り、砂浜に隠してあった先の鋭い丸太を引っ張りだしたのだ。
それはまるで最初からヌシがここ(喉元)を狙うと分かっていたかのようだった。
「それキックじゃねぇ!」
――――――――――――――――――――――――――――――――――
日も暮れてヌシを美味しく頂いた後、二人で焚き火を囲みつつ仰向けになり、私はこの島の幻想的な夜空をぼーっと眺めた。
「はぁ、なんか色々と疲れた……」
「だいじょうぶ?おぢが『まっさーじ』してあげよっか?」
おっさんは鼻息を荒くしながら、手をわきわきと動かす。
「いらん」
「くぅ〜ん」
綺麗に食べ終わって、積み上げられたヌシの骨が目に入り、もはや忘れかけている人間の倫理観を思い出す。
「そういえばサーベルタイガー、殺しちゃってよかったのかな」
「大丈夫、たぶん牙が異常発達したトラとかだヨ」
「ならいっか」
この世は弱肉強食、常に勝者が生き残るというやつだ。どっちみちやるしか無かっただろうし。
「星がきれーだなぁ」
「ンフフッ……イコちゃんの方が綺麗だにょん」
「はいはい」
夜空に散らばる星の海に手を伸ばして、自分達の小ささを改めて実感する。
ちなみに見なくてもおっさんがどこを見てこんな事を言ってるのかは大体わかる。主に胸。
しばらく、そんな時間が続いた。
そんな時、おじさんがこう切り出した。
「こっ、このままぁ……ハアハア……この島で、一生暮らすことになったらイコちゃんは……どうする?」
「え?普通に死ぬけど、自死」
「自死!?それはやめておぢさんやめて欲しいかな〜」
うつ伏せで訴えるようにこちらを見るおっさん。私は視界に入るおじさんから背を向けた。
「冗談だよ」
「よかった~、いやさ、このまま島に残っておぢさんと明るい家族計画する気はナイのかな〜、なんちゃって!」
何を考えてるのかと思えば……まあおっさんらしいとも言える。
「ふん………………………20歳くらいになったら考えてやらんこともない……かな」
「え!?ほんとに!?20歳って……あと何年!?興奮してきたッ!!!んほほ~」
「知らん。寝る」
その発言にテンションがあがったおっさんは、砂浜を転げ回り喜んでいた。私はそれを無視して寝る体制に入る。
「あれ、夜はマダマダこれからなのに……寝ちゃうの?」
「…………」
「でもよかった~これで、おじさんのこと認めてくれたってことだからネッ!」
このままこの島にいればそんな未来もあるだろう。そんな事を思いながら眠りについた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
目が覚めると、そこは知らない天井だった。
「どこ……?」
「イコ!?わかる!?私よ!?」
視界が安定すると、泣いて喜ぶ両親と物々しい格好をした警察官たちが写った。
一瞬何が起きてるのか分からなかったが、一泊置いて理解した。腕に刺さる点滴、心地の良い空調の風が日に焼けた赤い肌をやさしく撫でる。私は助かったのだ。
「あれ、おっさんは?」
病院の中を見回す。広い部屋だが、私以外には誰もいない様子だった。
「おっさん?誰のこと?」
両親は警察の人と顔を見合わせる。
「どういうことですか?ミカは誰かと一緒にいたんですか?」
不思議そうに両親が問う。正直あんまりあの変なおっさんのことは両親に知られたくないが、仕方ないか。
「いいえ、行方不明の方に男性はいらっしゃいませんし、イコさん以外の遭難者はもういませんが……」
「は?」
思っていたのと違う返答に呆気にとられる。
「ですから……イコさんが最後の救助者でして、行方不明者の中に男性の方もいません」
「どういうことだよ!ちゃんとおっさん探せよ!」
どうしてわかりきった嘘をつくのかと、私は起き上がって警察に掴みかかる。
「イコちゃん!落ち着いて!」
「いただろうが!小太りでハゲで臭くてずっと欲情してるどうしようもないおっさんが!」
「お医者さん!イコさんを落ち着かせて!」
「放せって!おっさん探すのが先だろうが!」
暴れる私を取り押さえ、医師は鎮静剤を打ち込む。
次第に意識が遠のく。
「うちの子は本当に大丈夫なんですか……?」
「きっとまだ混乱してるんです、よくあることですよ」
乾いた枝の先から落ちる葉を辿って、雲ひとつない空を見上げる。
行方不明者のリストによると、あの海域は何十年も前に不時着した旅客機があり、その時に一人だけ日本人の行方不明者が出ていたらしい。
名前は『工口マサオ』
彼は10年前に白骨化した遺体が見つかり、死亡が確認されたサラリーマンだった。昔の写真を見ると、ハゲてもないしかっこいい方の顔をしていた。
あの姿は無人島生活をした結果だったのだろう。
何年も前に建てられた共同墓地に手を合わせて、あの島の日々を思い出した。
「……でもやっぱ名字的にもなしだわ、悪いけど」