しがなき者への流れ星
山本孝文、しがない小説家、29歳。
代表作及び文学賞受賞歴、特になし。
まずい、もうすぐ30歳になる。
だというのに賞どころか代表作と言えるものすらない。
今までダラダラとやってきたわけではない、と思う。
初めて筆を取ったのは22歳ぐらいの時のことだった。
ふと小説を書きたいと思ったのだ。きっかけはわからない。
ただ猛烈に自分の中で何かを表現したいと思ったのだ。
こういった欲求はたいていの場合、目の前のちょっとした
困難を忘れたいがためのいわば一時的な感情、そして現実逃避だ。
しかし私の場合はどうも違った。いくら講義や課題をやり終えても
その欲求が消えることはなかった。
そこでせっかくなのだからこの奇妙で強烈な欲求を放っておくのも
もったいないと思い、就職活動を終えた後、すぐに小説の執筆にとりかかった。
小説家といえば暗い部屋の中、木製の机の上に置かれた筆と原稿用紙の前で
しかめっ面をしているイメージだが、どうやらそんなものは
20年ほど前にとっくに過ぎ去っていたようだ。
最近の小説家はパソコンに原稿を打ち込んでいき、
小説のネタを作ったりするために街中を散歩したり、
別の小説家と意見を出し合ったりしている。
そして私は普通のサラリーマンとして働く傍ら、小説の執筆に取り組んでいた。
やはりそう簡単に小説のためのストーリーやネタなんて
すぐに思いつくはずもなく、少し書いては続きをひたすら考え、
さらに少し書いては続きを考え、なんていう事を繰り返していたら
小説をひとつ書き終えるころには数か月が経過していた。
どのような職業においても時間というのは
あっという間に過ぎ去っていくもののようだ。
しかし、ここまではあくまでも小説をひとつ作り上げたまでだ。
今度はそれを世に出さなければ書いた意味がない。
自分の場合は特に出版社とのコネがなかったため自費出版となる。
本を一冊出版するというのは口で言うのは簡単だが
実際はそんな単純なものではない。
まず完成した原稿を印刷し、それを出版社に持ち込む。
次に自分の本を担当する編集者と打ち合わせをしていく。
そこでは誤字脱字の修正や文章の入れ替え等の原稿の手直しを行っていく。
それらを終えた原稿を編集者に送るのだが、まだここでは終わらない。
その原稿は今度は校正係に回され、さらに誤字脱字のチェックや
「おいしい」と「美味しい」というような表記が統一されていないもの、
または文章の意味が通りにくいものの指摘がびっしりと書かれた
いわゆるゲラと呼ばれるものがこちらに送られてくる。
今度はそのゲラの通りに文章を修正していき
修正された原稿を出版社に送り、ようやっと原稿が印刷されるようになる。
しばらくしてから、私の所へ見本が届き、本が出版され
そして書店へと並ぶこととなる。
費用もそれなりにかかるもので私の場合は短編小説であり、
かつ表紙等のデザインもそれほどこだわらなかったが、
それでも100部発行するために20万円ほどかかった。
そういった苦労を乗り越えてようやく
本が出版されるわけだが、かといって売れるとは限らない。
幸い私の小説は短編であり価格も安かったため、
それなりの人数の手に取ってもらえたのだが、
それでもヒットと呼ばれるほど売れはしなかった。
今の時代、小説投稿サイトの数や勢いが盛んなのだから
インターネットに投稿するのもいいのではないかという意見もあるだろう。
しかしこうして現実の一冊の本として印刷され、それが人々の
手に渡っていくのは私の中で一種の理想でもあり、憧れでもあったのだ。
もちろん出版するたびに費用がかかるため自費出版は
それっきりにし、以降はインターネットに投稿することにした。
しかしそこでも鳴かず飛ばずだった。ツイッターやインスタグラム等の
SNSで色々宣伝してみたり、知り合いにもかなりの人数に
宣伝してみたのだが、どうにもこうにもヒットまでにはいかなかった。
そんなことを繰り返してもう8年が経とうとしている。
果たして私は何かこの小説執筆を通じてなにか得るものはあったのだろうか。
この世に何か人々の記憶に残るようなものを残せたのだろうか。
恐らくない。結局今もなおこの無尽蔵に生まれ続ける人間の中で
私はただその無尽蔵のなかの一つとして消えていってしまうのだろう。
・・・いつの間にか暗い事ばかり考えていた。
そんな調子で小説を書いていては売れるものも売れなくなってしまう。
気分転換のためにふとテレビを付けてみた。
今は人気番組が一通り終わり、ニュースをやっている時間のようだ。
何か興味深いニュースがないかと思いながらも、ぼーっと見てみる。
すると、とある一つのニュースが目に入った。
それはもうすぐこの辺りで流星群が流れ出すというものだった。
流れ星か、子供の頃は学校の夏休みや冬休みの時に出された宿題などで
何度か見たものだが、ここ最近はまったく見なくなっていた。
あの時見た流れ星、今でも覚えている。
流れ星といえば小さな光点が空の向こう側へと
徐々に徐々に流れていくものというイメージがあるが、
それはどうやら飛行機か人工衛星による光だそうだ。
水星からふき出た砂粒による本当の流れ星は長くても
1秒ほどしか光らないらしい。
1秒以上経つと流れ星の本体となる砂粒が燃え尽きてしまうからだとか。
とにかく子供の時に感じた感動を思い出しながら
私はベランダに出て空を見上げた。流れ星が流れていない今ですら
雲一つ見えない満天の空は、今の私にあの時の新鮮な感動をくれた。
それからしばらく待っていると、 ・・・ <キラッ>
確かに今光った!私は一人で見ているとはいえ、
大人としての恥を捨て、急いで願い事を素早く唱えた。
「頼む!私の小説が売れてくれ!
私の小説が売れてくれ!私の小説が売れてくれ!
1万部!10万部!いや100万部!」
醜いものだ。最初は自分の中にある複雑な感情を様々な方法で表現するために
小説を書いていたはずなのに、いつの間にか自分が書いた小説を
ただのお金稼ぎのための道具としてしか見ていなかった。
そういった物書きに対する姿勢がこの現状を招いてしまったのだろうか。
しかし、そうはいってもやはり生きていくうえでお金は必要だ。
どれだけ素晴らしい小説を書けたり、芸を持っている人でも
肝心の自分の芸事が売れなければ四の五の言ってられなくなるだろう。
だとしても、今のはさすがに貪欲過ぎただろうか。
もう一度空を見上げると既に流れ星は消えてしまっていた。
そもそもの話、今の光は本当に流れ星だったのだろうか。
もしかしたら錯覚か、あるいは飛行機や人工衛星による光だったかもしれない。
だが今となってはそれはわからない。虚しい気持ちが込み上げてきた。
しかし同時に今はこの虚しい気持ちに浸っていたいとも思う。
・・・今日はもう寝よう。真っ暗な部屋の中、
布団に入り眠りにつこうとする私をほんの少しの
月明かりだけが私を包み込むように見届けた。
それから数週間後、
「えっ!本当ですか!?」
「はい、先日新人賞に応募されてたあなたの作品を
私の方の会社で書籍化しようと思いまして。」
「あっ、ありがとうございます!」
どうやらこの前私がとある新人賞に応募した小説が
新人賞そのものには落選したものの、それを見た
出版社の編集者が目をつけ書籍化の話をしてくれた。
あまりにも話がいきなりすぎたため、初めは少々話に
ついていけなかったがそれでも初めてこうした形で私の小説が書籍化され、
世に出るというのはとても嬉しいことだった。
あの夜、流れ星に願い事を唱えたのが功を奏したのかはわからない。
単純に自分の表現力が8年かけてようやっと高評価されるほどに
成長しただけの話かもしれない。
だけれど、流れ星に願い事を唱えるのは案外悪くない。
もしもそれで今の私のように本当に願い事が
叶えば万々歳だし、もしも叶わなかったとしても
何十年とかけて凝り固まってしまったこの退屈な日常から
ほんの少しだけ脱却することができるのだから。
~しがなき者への流れ星~ 完