ヤギと私
私は産まれてすぐに祖父母のところに預けられたため母乳ではなくヤギの乳で育った。
乳を貰った母ヤギの事は覚えていない。
乳が出るのは子が居るからだ。
その乳兄弟とも呼べるヤギには、ずいぶんと怖い思いをさせられた。
3歳くらいで走るのも遅かった頃だ。
寝るのは母屋だったが、朝起きて顔を洗ってから竹林を挟んだ離れに行き、朝食を食べる。日中はそこに一人でいて、夕飯を離れで食べ終わってから母屋に戻り風呂に入って布団部屋の一角に布団を敷いてもらって寝ていた。
朝に母屋から出る時には猫母が出迎えてくれて、夜に母屋に戻るまで傍にいてくれた。
幼稚園に入り、いよいよ就寝も含めての生活は離れになったが、寝床でも一緒にいてくれたためか「寂しい」という感情は知らなかった。
しかし、子供一人の行動で困ったことがあった。
それは離れに行く竹林の脇を通る小道の脇にヤギが居たのだ。
ヤギは竹林の反対側の厠と風呂の並びに農機具を収める小屋で飼われており、首に縄を付けて野菜くずや周辺の草などを食んでいた。
そのヤギが大人にはおとなしいくせに、子供の私には頭を下げて角を振り前足で土をかいて威嚇をする。
そればかりでなくヤギの縄の射程内入ると、角で頭突きをしてくるのだ。
3歳の子供の足では逃げようもない。
転がされ膝をすりむいたり、わき腹や背中に青あざが出来たりしていた。
離れに行く道を変えようにも、母屋側から竹林を抜けようとすると、茶室の前を通るので家人に咎められる。
表門から出て裏から入ろうにも、離れの裏側は荒れていて足場が悪く小さな子供が通り抜けるには難しい場所だった。
そのため、農機具の小屋に居るヤギが奥に居ることを確認して、走って通り過ぎようとするが、大人のヤギの速さにはかなわずに頭突きをされていた。
猫母が威嚇などもしてくれたが、ヤギは私ばかりを狙った。
ヤギは「俺が!」「俺が!」と自分の優位を主張していた。
そんな日々のある夕飯に珍しく肉料理が出た。普段は豆腐や厚揚げなどの植物性のたんぱく質ばかりだったので、よく覚えている。
味噌で野菜と煮込まれたものが汁椀で出された。
少し硬く筋張っている。豚肉と鶏肉は食べたことがあるが、少し違う感じもしたが、味噌の味で肉自体の味は良く分からない。美味しく食べた。
気付いたのは、その数日後だ。
ああ、ヤギが居ない。
そうか、あの時の肉はヤギだったか。
きっと乳母のヤギも食べたのだろうな。そして、今度は乳兄弟も食べた。
私が3歳ということは、ヤギも同い年だ。人間では幼児でもヤギでは大人だ。
大きくなってから食べるというのは、きっと正しい家畜の使い方なのだろう。
命への礼の取り方も知らない私は、ヤギのいない小屋に向かって、「私よりも強かったよ」と思いを流すことしか出来なかった。