猫たちと私
猫母が去った後、親戚の家や施設を転々としていたので、猫を迎えることは出来ませんでしたが、小学校の4年くらいでしょうか。子猫との出会いがありました。
学校の友人が、生後1か月ほどの猫を放課後の校庭に持ってきました。
見ると、腹に傷がついています。傷はふさがっていましたし、内臓も見えていないので、皮一枚の怪我だったようです。
しかし腐った皮が、だらりと傷の後ろに下がっている姿は、もう一本足がある様で、当時は大怪我だったんだなぁと偲ばれました。
友人が可哀そうと泣き、もし、その猫が生きるなら家で飼うと言っていたので皮の部分を摘まんで、腹のギリギリでハサミで切り落としました。
もちろん、腐っていた部分なので、子猫は痛がりもしませんでしたが友人はびっくりして大泣きをしてしまいました。
猫の聴覚は鋭敏なので、泣くなら子猫を預かると言っても、私を悪人にして
「可哀そうな事をするアナタには渡さない!」
と正義感に燃えていましたが、その後の親と動物病院に連れて行ったら、私のやったことが間違っていないと確認できたのか、礼を言ってくれました。
私は大声で泣いている彼女の抱いている子猫が可哀そうだったのですが、同じものを見ている状態の中に居ても、どちらもが相手に「酷い。猫が可哀そう」と感じていたことに後から面白いと思いました。
与えられる情報が同じでも、受け取り方が違うのは経験のせいか、性質のせいか?と考えましたが、多分、子供の割に怪我に慣れていた自分が異質なんだろうなぁ。と少し大きくなってから答えが出せました。
中学生の時から少し環境が落ち着いたころ、両目を失くした子猫と出会いました。
白い猫で、頭にぽてりと墨を落としたような黒いブチがありました。
両目が無い事を飼っているこちらが忘れるくらい、普通の生活をやり遂げましたが、噛み癖が酷く声を掛けながら頭を撫でると、気持ちよさそうに甘えてから狩りモードに入って、前足の爪で抱え込み、逃がさないように咥えて、足でケリケリとやりたい放題でした。
しかも興が乗ると咥えているが噛んでいるに代わり、ギリリとシメに掛かってきました。
目が見えていたら、小鳥などこうして殺していたのでしょうね。
今の猫グッズに「蹴りぐるみ」という丈夫で細長い猫用ヌイグルミがありますが、あの扱いでした。
「痛い痛いですー!」と訴えると我に返って「何にもしてないにゃん」的に舐めてごまかそうとしていたところが可愛くて、でも憎らしかったです。普通に流血でした。
目が見えないからスキンシップが過度になるのか?と思っていましたが、あれは単に遊び好きだけれど目が見えなくて猫じゃらしの遊びが出来ないので、唯一の狩りのマネで楽しんでいたのでしょう。
彼にはカジャと名をつけました。
能が狂言の太郎冠者、次郎冠者からとりました。お前はお前の世界の主人公なんだよって。
癲癇を持っていたのか、両目を取り出した時に脳まで傷付いたのか、たまに発作を起こしていて見守るのも辛かったです。
一歳になる頃に、朝起きたら猫のベットで死んでいました。
夜中にタンスの上に乗ったカジャと見つめ合った夢を見ました。
その中で彼は「いくね!」と少年の声で言っていました。
昔、猫母に「死ぬってどういうこと?」と聞いたら、「元に戻れない扉をくぐりぬけるようなもの」と応えてくれました。
猫にとって一瞬のその場の生が大切で、精一杯生きたなら、その後の死はどうでも良い事なのかな。と軽やかな声を掛けられたので思わされました。
そんな猫の想い出です。