猫母と私
猫母とわたし
私の我が生じる前から大きな黒い雌猫が傍に居ました。
それは、もう自分の子供のように大事にされたのですが、それは猫として育ててくれたわけで、当たり前に狩りの練習をさせられました。
片足スズメやら破れ蝙蝠やらを持ってきては
「さあ、捕ってごらん」
と一人で住んでいた離れに放すわけですよ。
そりゃー、怪我をした鳥や獣はパニックに陥ってヒッチャカメッチャカに暴れまわって梁にぶつかったり、壁にぶつかったりで今度は本当に死んでしまうんです。
暴れまわった分、離れの部屋中に血をまき散らしてね。
それが困るから、一生懸命に素早く捕まえるのです。
そうして、猫母を振り返ると「良し」って顔をして去って行くんです。
私は途方にくれるのです。
手の中に怪我をした小動物を握って。
その猫母は、発情期があったのか無かったのか、私と一緒に居る間に子供をもうけることはありませんでした。
それは、私が子供で独り立ちできないから心配で子供を作れなかったのかと思っていましたが、思い出すと、当時は洋猫などいなかったのにメス猫で体重が7キロありました。
太っていたわけではないのです。がっちりとした体型でしたね。
自分でエサを取っていたので、本当に家で飼っていたのか不明ではありますが、(餌をあげているのを覚えていない)キジなどの大きな鳥も取っては食べていました。
周りは和猫ばかりで、オス猫でも5キロ6キロです。
もしかしたら3倍体遺伝子の猫だったのかも知れません。
3倍体は子孫を残せませんからね。
猫の異形と人の異形で繋がり合っていたのでしょう。
9歳の頃に消えてしまいました。
私の記憶が2歳くらいからあるので、7年くらい傍に居てくれたことになりますかね。
消える前に、夢枕というか寝ている時に胸の上で「そくさいで」と言われました。
その意味を数年後に知り、胸が熱くなりました。
猫母の名は、「弥七(風車の)」で、人に言う度に残念な子扱いされます。
でも、誰も居ない時は寄り添ってくれ、人が居る時は離れて、でもしっかりと見守ってくれた感じは「弥七」そのものでした。
私が大人に蹴られた時など、飛び掛かっていきましたが、顔の皮が額から剝がれかけていたそうです。
本気の肉食獣は小さくても怖いです。