3-11 テッポウユリ
僕達がボルディアに到着する頃には、日はとっぷりと暮れようとしていた。
ボルディアは酪農や醸造によって栄えた地域で、その街並みはトリストスともエヴァンとも違っていた。
中枢区画に軒を連ねるのほとんどが飲食店であり、外観もどことなく小洒落ているものばかりだった。
昼はレストラン、夜は酒場に姿を変えるその店たちにはぽつぽつとランプの暖かい明かりを灯し始めていた。
『かんぱーいっ!』
グラスが小気味いい音を響かせた。
『うん、これはよいものです。』
クロメルは血のように赤い液体を飲み干し、グラスの淵のルージュを指でさっと拭き取った。
円形のテーブルの上には名産品がずらりと並べられていた。
宝石のようなローストビーフ、少し癖のあるチーズ、乾煎りして香ばしさを増したナッツ、そしてそれらと相性が抜群にいい赤ワイン。
「ターニャ、お前も飲みたいだろ?この子達になんとか言ってやってくれよ。」
『わたしはチーズだけあればいいにゃ。これはハマるにゃぁん。』
「猫のくせにチーズかよ。」
相も変わらず僕が酒を飲むことは許されなかった。
僕が酒を飲んでいるところを周囲に見られると体裁が悪いというのが双子の見解だったが、はっきり言って僕よりも幼く見えるこの双子が酒を飲んでいる光景こそ不謹慎に見える。
『ダメだよ、ケイはまだお子ちゃまなんだから!』
『そうですよ、我慢してください。』
「子ども扱いするんじゃないよ。ていうかクロメル、君は出発前になんて言っていたか覚えているか?」
『さて?記憶にありませんね。』
「そうかい、どおりでね。」
僕は乱暴にフォークでローストビーフを突き刺して口へ運び、最後にはミルクでそれを胃に流し込んだ。
くだらない四方山話を交わしつつも食事をしていると、カランと鈴が鳴り、店の扉が開いた。
ウェイトレスが『いらっしゃいませ』と言いかけて言葉を詰まらせた。
カツカツと、踵を鳴らすが聞こえて来たかと思ったら、その音は僕達のテーブルあたりで止んだ。
振り返ると、ネイビーのレーススカートに白のスタンドカラーシャツを合わせた女性がそこに立っていた。
胸元は少しはだけていて、栗色の髪は首が隠れるくらいの長さのワンレングスだった。
恐らく背は僕とターニャよりも高く、今にもそのままランウェイを歩き出しそうだった。
綺麗な人だと思ったし、正直に言うなら見蕩れていた。
ただし、その音がするまでは。
目の前で起こった爆発音、それに遅れてテーブルの上のグラスが割れた音。
店内は水を打ったように静まり返り、テーブルからひたひたと滴るワインの音だけが聴こえた。
この女性が先程バッグから何かを取り出したのはぼんやりと見えていたが、遅れてそれに焦点が合った時に僕はやっと事態を理解した。
銃口がこちらに向いている。それは、リボルバー式だった。
『おい。話がある。』
僕達四人はあまりのことに唖然としてしまい、暫く返答をすることができなかった。
ターニャに至っては近くで大きな音がしたせいか、フードの上から耳を手で押さえていた。
「どちらさまですか?」
僕は両手を上げながら精一杯の虚勢を張って言葉にした。
『アタシはリリィ・コックス。あんたら、殺されたくなかったら表へ出な。』
思わず『えっ』と声を発して、双子は顔を見合わせた。
リリィはそう言うと店の外に出ていった。
他の客とウェイトレスの視線が痛いくらいに降り注いでいるのを感じながら僕達はしぶしぶ店の外に出た。
『黒髪と銀髪の双子、あんたたちを見てピンときたよ。洗脳の悪魔から民衆を救ったっていうのはあんたらだろ?』
「だったらどうする。」
容姿端麗、才色兼備、仙姿玉質、羞花閉月。
名前まで可憐なこの女を見た時、そんなふうに美しさを喩える言葉がいくつも浮かんだがそれも銃声と共にどこかへ吹き飛んでしまっていた。
『アタシはな、あんたらが追っかけてる奴らのことを知ってるかもしれないぞ。』
「僕達が追ってる奴ら・・・?なんのことかな。」
僕達四人はフューラーという女を追っている。
だがしかし、それは秘匿事項のひとつだ。
この女が何者なのか分からない以上、こちらから情報を明かすわけにはいかない。
『あぁ、そりゃとぼけるか。秘匿事項だもんなあ。協力してやってもいいけど、条件がある。』
「協力してくれなんて頼んでないだろ!せっかくの夕食を台無しにしやがって。あなたはどの方向から見ても僕達の協力者だと思えるような態度じゃない。」
この女は対話が出来ない質だ。
対話というのは双方向的なものでなくてはならない。
送信と受信が出来て初めて対話と言えるのだ。
自分の言いたいことだけは言うが、こちらの言うことには耳を貸さないというのは対話ではなくてただの押し付けだ。
もしかすると、フューラー陣営の刺客ではないかという懸念を拭いきれない。
『アタシは弱いやつが嫌いだ。だからあんたらを試してやる。四人がかりでいいから殺すつもりでかかってきな。じゃなければアタシがあんたらを殺す。こんなふうにな。』
リリィが言い終えた瞬間、銃声と共にアルメルが手に持っていた鞄の紐を的確に撃ち抜いた。
アルメル自身には怪我はないようだった。
どうやらこの女は銃の腕には自信があるようだが、アルメルがもし避けようとしていたらと考えた途端に、頭は怒りで満たされた。
「てめええぇぇ!!」
僕は猪武者のように無策に真っ直ぐ突進した。
『おいおい。それじゃ死ぬぞ。』
リリィは狙い済まして一発、発砲した。
しまったと思った瞬間、横っ腹に強烈な痛みが走り、僕は真横に吹き飛んだ。
『ほう。マシな動きをするやつがいるじゃないか。』
『自殺にゃら他所でやって欲しいにゃ。』
どうやらターニャがこの女の凶弾から僕を護ってくれたらしい。
蹴り飛ばすという些か優しさに欠ける方法ではあったが。
「タ・・・ニャ、助かったよ。」
僕は鈍痛のする脇腹を抱えて立ち上がった。
『目の前で死にゃれるのは気分が悪いからにゃ。』
ターニャはふんと鼻を鳴らした。
数秒前までの僕は、純粋な敵意とも取りがたい態度に戸惑っていた。
殺すことが目的ならば、わざわざテーブルなどを撃ち抜いて警告する必要は無い。
しかし、彼女は今ハッキリと僕を殺そうとしたわけで、それを退けなくてはならない事だけは理解した。
遅まきながら僕の意識はターニャに追いついたのだった。