2-15 同僚
歩いてラナマの町に戻った僕たちは、まず診療所で僕の折れてしまった左手の手当てをしてもらったあと、すぐに宿に帰って就寝し、長い長い一日は終わった。
もちろん一人分の宿賃を追加で支払ってのことだ。
ターニャは町についてからというもの、ずっとソワソワ落ち着かない様子だった。
彼女にとっての外の世界は、自分に危害を加える者と、そこから救い出してくれない者の二種類しかいなかったのだから無理もない。
その例外として、彼女がご主人と仰ぐフューリー・ファタックという女が挙げられるのだろうが、僕はそうは思わない。
そいつはターニャの不幸な身の上をすべて理解した上で、マインドコントロールし自分の私利私欲のために利用した。
到底許されることではない。
『うまいにゃ・・・!美味すぎるにゃあああああ!!!』
フードを深々と被った女の雄たけびが店内に響き渡ると、厨房のおやじは照れくさそうに頬を掻いていた。
『あ、あたしのもあげようか?』
アルメルは少したじろぎながらも皿を差し出した。
『いいのか!?お前イイ奴だにゃ。』
ターニャは嬉しそうに白身魚を頬張りながら言った。
「美味いのはわかるけど、静かに食べような。」
翌日、僕と双子はターニャを連れて昼食を食べに出かけていた。
ターニャはこれまで碌な食事を摂ったことがなかったようで、大衆食堂で食べる白身魚のソテーに大変感動していた。
ターニャが今自由にふるまっていられる理由は、今朝アドルの責任で彼女を無害認定し拘束を解いてやることになったからだ。
施設内での我々に対する敵対心は、地下施設という自分にとってのライフラインを脅かされたくないが故だったのだから、極めて妥当なものであると判断したわけだ。
それでも彼女の耳と尻尾は悪目立ちするので、膝まですっぽり隠れるフード付きのポンチョを買い与えてこの食堂に足を運んでいた。
『アドルが首尾よくやってくれるといいのですが・・・』
「大丈夫さ、あの男ならうまくやるよ。一級錬金術士の発言力ってのはかなり大きいんだろう?それに錬金術省には君らの味方も一人いるしな。」
『そうだねっ!ケイも怪我しちゃってるし、今はとにかくゆっくり休もう。』
この場に姿の無いアドルは、錬金術省に伝書鳩を飛ばす目的で今朝がたロキの背にまたがってカザの街へ出向いていた。
ターニャが僕たちと交戦状態に陥ったことは伏せ、たったひとりで五年あまり地下に閉じ込められて合成獣たちと共同生活を強いられていたこと、人体実験の被害者であることなど、アドルが錬金術省に送ったそれはあくまで"少女を保護した"というニュアンスを保った文章で綴られた報告書だった。
そしてそれを手引きし、合成獣を作り出しているフューリー・ファタックという人物のことももちろん記述されていた。
「なあ、ターニャ。ひとつ気になってることがあるんだけどいいかな。」
『なんにゃ?』
「君があの施設で暮らしてたってことは理解したんだけどさ、なんで君だけあの獣たちに襲われずに今まで暮らしてこれたの?」
『それにゃんだけど、わたしにもよくわからにゃいのにゃ。』
『先に潜入した調査員たちはココに見つかった途端に食い殺されてしまったのに、ターニャだけは例外だったというのは確かに妙ですね。』
「だろ?」
『あそこの動物たちはにゃぜか、わたしの言うことにだけは従うのにゃ。ココに餌として与える時もみーんにゃ大人しくいうことをきいてたにゃ。』
『うわっ・・・それってすごくおかしなことじゃない?だって動物が自分の命を差し出すってことだよね?』
『地下二階にあった檻に扉がなかったのはそういう理由なのでしょうか。』
『そうにゃ。あの檻に入っている時も脱走したりせずに大人しいもんだったにゃ。』
「何かカラクリがありそうだね・・・」
アルメルの指摘はもっともだったし、その様子を想像すると背筋が寒くなるような話だ。
僕が思うに野生動物というのは基本的に食欲・性欲・睡眠欲に非常に正直だ。
その正直さは他者への攻撃や逃走に関しても同じだ。
親である動物が、我が子のために勝ち目のない戦いに臨む例はあるが、この場合は遺伝子に刻まれた子孫繁栄という大義名分を守れるというリターンがある。
無条件で命を差し出すなど、その不文律からも大きく逸脱した行為だった。
ラナマを経ってから二日後の夜、アドルは戻ってきた。
伝書鳩を使って錬金術省の返答を得るのにそれだけの時間がかかったらしかった。
『おいィ猫、よかったなァ!!お前は錬金術省に保護されるぞ!』
『拷問は・・・にゃいよな?』
『ああ!安心しろッ!』
ターニャが保護されることが決定した背景には大きく分けて二つの理由があった。
まずはその境遇だ。
彼女の語る真実は著しく人間の尊厳を侵害された生活であり、倫理的、道徳的に考えて救済すべき対象だと判断されたからだ。
次に、彼女の素性だ。
アドルはラナマを出立する前にターニャの本名を聞き出していた。
つまり、"ターニャ"に続くセカンドネームのことだ。
彼女の実母・実父のものと、その後に引き取られた義親のもの、両方をだ。
それらを省のデータベースと照合し、エナ欠乏症患者として登録されていた身元が確認できたのである。
ターニャ自身は、自分を捨てた両親の姓と、自分に地獄を見せた義親の姓、どちらを名乗ることにも強い抵抗感があり、彼女曰く"ただのターニャ"として生きたいと主張していた。
"ターニャ"という女の子は、たった今はじめて産声を上げたに等しかった。
「良かったな。ターニャ。」
『にゃんていうか、その、斬りかかったりして悪かったにゃ・・・』
『仕方ないよ、ターニャにとってはあの施設が最後の砦だったんだもん。』
『提案があるのですが、聞いてもらえますか。』
クロメルは神妙な顔つきでそう言った。
「なんだよ、クロメル。」
『あなたが錬金術省からどういった処置を受けるのかはわかりませんが、もし身柄が解放されるなら・・・』
珍しくクロメルは言い淀んでいた。
『にゃんにゃ?』
『・・・私の助手として雇われませんか?』
そうか、その手があった。
ターニャは錬金術を使うことが出来ない。
あまつさえその一般的とは言えない見た目のせいもあってで、ごくごく普通の生活をすることすら難しいだろう。
ただし、事情を知っているクロメルが雇い主になるのなら話は別だ。
『お前がわたしの雇い主ににゃってくれるにゃ?』
「ターニャ、そろそろ僕たちのことを名前で呼んでくれてもいいんじゃないか?君も猫耳とかそういう呼ばれ方は嫌だったろ?」
『あ、えと、クロメル、だったかにゃ。』
『ええ、そうです。私の仕事の手伝いをしてくれたら、私があなたにお金を払います。仕事というのは別に危ないことではありません。そのお金であなたは好きな物を買ったり、好きな場所に行ったりすることが出来るようになります。悪い話では無いでしょう?』
クロメルは咀嚼した言葉で優しくターニャに問いかけた。
『にゃんだか、夢みたいにゃ・・・』
ターニャはポロポロと涙を流しながら呟いた。
もしかしたら僕には、同僚が出来るかもしれなかった。