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電気オタクと錬金術  作者: 御手洗 千加志
二章
31/50

2-10 人と獣


僕はこの獣の名前を知っていた。

確か、どこかの国の神話に出てきて、英雄的な存在に退治される猛獣だ。

双子はどうもピンときていないようなのでこの世界の人々は知らないのだろう。


獅子の身体と頭、背中には山羊の頭、尻尾には大蛇の頭を持つとされる"キマイラ"という獣だ。

実際に伝承されている姿とは少し違うが、発想は同じだ。



でもこいつが神話上でどうやって退治されたのかだけは思い出せなかった。

それが思い出せれば何か有効な手段の手掛かりになるかもしれなかったのに。







クロメルとアルメルは手を繋ぎ、薄ぼんやりとした光を放ちながら、互いのエナの器をひとつに繋げ始めた。


僕たちを護ってくれていた堅牢な城は巡環錬金術によって分解され、僕の右手には片手半剣(バスタードソード)が錬成された。

鋼鉄製のそれはずっしりと重たかった。


作戦開始早々、僕は賭けに出た。

というかこの賭けが成功しなければこの作戦は始まらない。

それはこの化け物の股の下を正面から(くぐ)り抜けることだ。

今、双子は作戦遂行のために錬金術に集中している。

そこを狙われるのだけは避けたかった。

まずは自分がデコイになってキマイラを反対方向に振り返らせる必要がある。


『ケイ!まだ防具が・・・っ!』


「防具は要らないよ!」

僕は無策に真っ直ぐ突進しながら答えた。


アルメルの気持ちもわかるが、この片手半剣(バスタードソード)にしてこの重さ、鎧やガントレットなどを装備しては満足に走ることも難しくなってしまう。

今必要なのは防御力よりも素早さだ。


「こっちだアアアァ!!」


僕は大声でアピールしながらキマイラの腹の下へ飛び込んだ。

幸いにも前足でうち払われることはなく、注意を引き付けながら後方に滑り抜けることが出来た。

"獅子搏兎(ししはくと)"とは言うが、猫は鼠などを面白半分に遊び殺すこともある。

僕達はこの獅子にとって取るに足らぬ、鼠でしかなかったかもしれない。


作戦通りキマイラは僕を追って身体の向きを百八十度変えてくれた。

これで第一段階はクリアだ。

思った通り、普通の猫や、上でアドルと戦っている猫耳娘に比べれば緩慢な動きだった。

大型トラックが軽自動車と同じように小回りが効くわけが無い。

今ほど重力の恩恵を有難く思った時はなかった。そして疎ましく思ったことも。


「ぐっ・・・あ・・・!」


それは尻尾だった。

キマイラは右回りに大きく旋回する際に、鱗で覆われた尻尾を使って僕を薙ぎ払った。

とっさに、剣の下に左手を添えて防御したので頭部へのダメージは幾分防げたが、これだけの高質量が振り子のように炸裂してしまっては防具のあるなしにかかわらず吹き飛ばされることは避けられなかった。


壁面に身体を強く打ち付けられて朦朧(もうろう)とする意識の中、僕はやっと思い出した。

神話上のキマイラはどう退治されたのかを。



その方法は"ペガサスにまたがった英雄に射られた"だった。



ちくしょう。

なんの役にも立ちやしないじゃないか。

この大事な局面になんてくだらないことに思案の時間を割いてしまったんだと自戒した。


キマイラが深緑の瞳で僕を見つめながら、ゆったりと迫ってくるのがぼんやりと見える。


立ち上がれない。


息ができない。


ギトギトとした汗が頬をつたう。


目が霞んできた。


もう目を閉じてしまおうか。


そう思った矢先、視界に銀色の(たてがみ)がふわりと割り込んできた。




『させない。』




また()()だ。



今度は頼りがいのある広い背中ではない。

まして、翼の生えた天馬などであるはずもない。


銀髪の小さな小さな女の子の背中だ。


どうして僕はいつもこうなるんだ。

護られて護られて護られて何ひとつひとりでは出来やしないのか?


「よせぇぇっ!!!」

僕はせりあがった横隔膜に圧迫された肺でそう叫んだつもりだったが、ひとつも音にはならなかった。


彼女の背中越しに、キマイラが右前足を振り上げようとする絶望的な景色が目に飛び込んでくる。


よせ。

やめろ。

頼むよ。

お願いだからやめてくれ。


僕は気が付くと涙を流していた。

自分の不甲斐なさに、そして大切なものを失ってしまう悲しみに。


そして無情にも、その前足は彼女に向かって振り下ろされた。


「やめろおぉぉおおぉお!!!」

やっと空気で満たされた肺から絞り出すような声で僕は叫んだ。

アルメルは両手を左右に広げて立ちふさがったまま、一切動じなかった。










『グオォォオオオオ!!』


獣の咆哮と共に、複数の金属がぶつかり合うような音が反響した。

キマイラの凶爪はアルメルの数十センチ手前を空振りし、地面を強く擦るだけに留まった。


『なんとか間に合いました!!』

クロメルがそう言いながら少し遠回りをしてこちらに走ってくるのが見えた。


「アルメル!!」


僕は地べたに座り込んでしまった彼女に向かってズルズルと這い出して、後ろから右腕で頭を強く抱き寄せた。


「ごめん・・・ごめんな・・・」


『ちちちょ、ちょ。ケイ、痛いよっ!』


『アルメルが注意を引き付けていてくれたので助かりました!』


キマイラは後ろ足にそれぞれ鋼鉄製の足枷(あしかせ)を嵌められ、その"足枷"同士は丈夫な支柱で結合されていた。

ちょうど警察官が使う手錠の鎖部分が、可動性のない支柱に置き変わったような形状だ。


四足歩行の動物が真後ろに方向転換する場合、必ず後ろ足のどちらかを真後ろに引くか、前に踏み出すかしなければならない。

この"足枷"によって後ろ足を独立して前後に動かすことを封じられるため、これが完成した時点でキマイラの後方にいる双子は比較的安全になる、という作戦の第二段階にあたる部分だ。


『鎖もいつまでもつかわかりません、これを。』


慌てた様子でクロメルはジャラジャラとした鎖の一端を僕に握らせた。


第三段階はこの"鎖"だ。

"足枷"を作る過程で複数の穴を開けておき、その穴に錬金術を使って丈夫な鎖を通す。

鎖の材料は、僕たちが最初に逃げ込んだもの以下の大きさの檻を目安に、双子に手分けして錬金術で分解・作製してもらい、複数のなるべく大きな檻を支持物として繋ぎ止める。


壁際に据え付けられた複数の大型の檻とキマイラの後ろ足を鎖で結合させたことにより、非常に狭い行動範囲に束縛することができた。


「確かこのあたりだ。」

僕はアルメルが座り込んでいた辺りに剣で印をつけた。

現状、この獣の行動範囲はここまでということだ。


キマイラはというと、最初は少し暴れたりもしたが、今はじっとしてくれていた。

なぜなら、双子が錬成した"足枷"は内側に鋭いトゲを備えていて、動けば動くほどにそれが突き刺さる。

その証拠にキマイラの後ろ足からはじくじくと赤黒い血が染み出していた。

賢い動物には学習能力がある。

身動きが取れなくなり、脱出にはさらに苦痛を伴うということが理解出来るばかりにその場に留まってしまうのだろう。



先刻、クロメルが動物的本能は人間にも当てはまるという話をしてくれたが、苦痛を伴うとわかっていてもそれに挑む精神力があるか否かが人間と獣を分ける分水嶺(ぶんすいれい)であることを、使い物にならなくなった左手の痛みに耐えながら強く実感した。


よかった。

僕たちはやはり人間だった。

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