1-2 クロメルアルメル
本日三度目の目覚めをした僕は、あたりを見回して胸をなでおろした。
周囲には湿った土と苔の生えた岩がそこいらじゅうにあり、どこかで見たような木々が茂っている。
もしかすると先ほどまでのわけのわからない全能者的存在とのやり取りは夢かもしれない。
ここがどこなのかはわからないが、こんな森は僕の住んでいた世界にもいくらでもある。
太陽の位置から考えると午後なのは明らかであり、木々に紅葉が見られないから恐らく季節は春先だろう。
僕が現実と呼ぶ世界の時勢とぴったり符合するな、などと門外漢なりに周囲の状況を分析をしたりしてみた。
木陰に入ると肌寒さすら覚える気温で、このままここを脱出できずに夜になるというのはどうしても避けなければならないと思った。
「さて、どうしたもんかな」
とりあえず持ち物を整理しようと思い、着ている作業着のポケット全てに手を滑り込ませて探ってみた。
「えぇ…まいったな」
ポケットには何一つ入っておらず、腕のペンホルダーに金属製のボールペンがひとつあるだけだった。
僕としてはスマートフォンなどが入っていてくれれば、助けも呼べるし、GPSで自分の位置も測位できると思ったのだが、スマートフォンは就業規則でロッカーに仕舞ったままにしなければならなかったため、ポケットに入っているはずもなかった。
どこへ向かって歩いていけば人里へたどり着けるかもわからないまま、僕は重たい足取りで歩みを進めた。
『だれかいるの?』
どこかで、女性の声が聞こえた。
僕はこれで助かったと思い、嬉しくなって声を張り上げた。
「おーい!こっちこっち!」
すると左奥の木陰から銀髪の女の子がこちらに向かってくるのが見えた。
身長150センチくらいの少女が身に合わぬ大きな背負いカゴを背負って、小さな歩幅でトコトコと僕に近づいてくる。
黒を基調として、白いフリルのついたワンピースを着ていて、年齢は15、6歳くらいに見える。
髪の長さはミディアムくらいで、少し癖のある髪質なのか、ふんわりと彼女の頭を覆っていた。
僕が彼女くらいの年の頃ならきっと恋に落ちただろうなと思うほどにかわいらしかった。
彼女は僕の顔を見るなり首を少し傾けながらこう言った。
『キミだれ?このあたりの子じゃないよね?』
嗚呼、この娘は恐らく年上に対する口の利き方を知らないタイプなのだろう。
子供の頃なんてみな同じようなものだし、大人はこれくらいのことでイライラしたりはしない。
その愛らしい見た目で幼少期から周りに甘やかされてきたんだろう。
まあそういうこともよくあるし、大人になってから気づけばいい。
それに僕は今からこの娘に助けてもらおうというんだ、つまらないことで意地を張ってこの森を出られずに白骨にでもなったら大変だ。
「う、うん。この森がどこなのかわからないんだ。よかったら教えてくれないかなあ?」
『名前は?』
「塩田っていうんだけど・・・」
『シオタ?やっぱり知らない。格好もなんかヘンだし。ここはね、あたしの家が所有してる私有地なの。キミみたいなお子様が入っていいところじゃないんだぞ!』
お子様?おこさま?オコサマ?
30歳の僕に向かって10代の娘が言い放った言葉が想定外すぎて、脳が咀嚼して回答を出す前に、脊髄の反射で僕は言葉を返してしまっていた。
「いやいや、お子様は君のほうだろ?」
『はああ!?あァたしは21歳の大人の女性ですう!!キミこそどう見ても成人してるようには見えないよ!』
恐らく地雷を踏みぬいてしまったのだということに気づき、しまったなと思った。
たしかに21歳のレディに向かってお子様と言ったのは失言だと反省したが、僕はもう30歳のおじさんなのだから21歳の若者にそういう言い方をする可能性もないわけではない。でもその逆だけは絶対にないだろうと思い、僕はこう言った。
「あ、いや、それはほんとに悪かった、謝るよ。失礼なことを言ってごめん。でもこんなおじさんに向かってお子様はないだろ・・・?」
『おじさん?どう見ても16,7にしか見えないよ?』
「いやそんなわけないだろ、お世辞にしてももう少し近いところを突くもんだよ。ほらもうこれくらいの時間になると髭もジョリジョ・・・」
そう言いながら顎をさするが、あの頑固な髭がどこにもないのだ。
いつもの僕と言えば朝髭を剃ったのにもかかわらず、夕方にはもうチクチクと硬い毛が顔を出し始めるというのが常だった。
残業で深い時間になったときは髭をさすり、ああこんなに髭が伸びる時間まで僕は頑張ったのかと、髭時計に触れながら感慨にふけることもあった。
「ない・・・」
先ほどまでは、普通に会話できる人間と遭遇したこともあり「もしかして元の世界に戻っているのでは」という雰囲気が僕の中に内在していたが、それが一瞬にして瓦解してしまったような気がした。
『大人ぶるのも結構だけど、ここは入っちゃいけないところだから一緒に外に出ようね』
彼女は子供に言い聞かせるようにそう言ってくるりと背中を僕に見せると、ついておいでと言わんばかりにゆっくりと歩きだしていた。
「あの」
『なにかな?』
「名前聞いてもいい・・・かな」
『アルメル。アルメル・クロシルだよ。このあたりだと結構有名なんだけどなあ。キミの名前はシオタだったっけ?』
「いや、そっちはセカンドネームで、ファーストネームはケイ。」
『ケイ。いい名前だね。』
「あの、アルメルさん、手鏡とか持ってたりする?」
『アルメルでいいよ!はい、手鏡。』
彼女は僕の手に金属製のケースで作られたコンパクト型の手鏡を渡してくれた。
恐る恐る鏡をのぞき込んだとき、僕は事態を理解した。
そこにはしっかりと自分自身の顔が映し出されていた。ただし、12,3年前のだ。
僕はアルメルにお礼を言って鏡を返した。
しばらくアルメルに連れられて歩くと森を抜けることが出来た。
森は小高い丘の上にあったようで、彼女がこれから帰るであろう街並みが遠くから見えた。
ビルのような建造物がいくつか屹立しており、近代的な様相を呈しているかと思えば、牧草地を使った畜産農家の姿も散見される。
『遅いですよ、アルメル。』
そう言って現れたのは、アルメルにそっくりな顔をした女性だった。
身長や顔立ちは瓜二つだが、白を基調とした黒いフリルのついたワンピースを着ていた。それに長くて黒い髪を後ろで結わえている。
縮毛矯正をしたような恐ろしくストレートで艶のある髪は、柳のように丘に吹く風を受けていた。
そしてやはり彼女と同じように大きなカゴを重そうに背負っている。
『ごめんね、クロメル。ちょっといろいろあったの。』
アルメルがそう返事をすると、クロメルは僕の方をちらりと見てからアルメルに言った。
『この方は?』
クロメルの表情からは警戒が見て取れた。
『なんか迷い込んじゃったみたいで、森を出るまで案内してあげてたの!』
『アルメル、あなたは警戒心が無さ過ぎます。もしこの森の木材目的の輩だったらどうするんですか!!』
クロメルは慣れた言い回しでアルメルをたしなめ終えると、僕に向かってこう言い放った。
『そこの変な格好をしたあなた。とりあえず事情はわかりました。お困りなのでしょう。一度、私たちと一緒に街まで帰りましょう。話はそちらでゆっくり聞かせていただきます。』
氷柱を突き立てるような口調からは全く温かみを感じないが、僕に向けられた言葉の内容は非常に温かみにあふれるものだった。
見たところ一卵性双生児なのだろうが、ここまで性格に差が出るのは珍しい。
クロメルにアルメルか・・・上手いこと名付けたもんだ、と僕は思った。




