肋骨の隠れみの
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ふー、これでいったん掃除は終わりっと。
いやー、改めてひっくり返してみると、いろいろなものが出てくるわ、出てくるわ。
このアルバムなんか、もうずっと引っ張り出してないよ。懐かしいなあ、小学生のころの卒業アルバム。これ、学校でも作られるんだけど、それとは別に個人の手で作ったものなんだよ。
しっかし、私も好きだなあ。当時の思い出と一緒に、怪談話をちょこちょこ書き記しとくなんて。でも、ちょうどこーらくんのネタになりそうなものが見つかりそうだよ。
――そうだな。この骨格標本の話なんかいいんじゃないかな? なにせ私自身も妙な経験をしたものだからね。
そのときの話、聞いてみないかい?
骨格標本。君は授業で、どれくらい先生が使ったか覚えているかな?
私は全然覚えていない。というか、使ったことがあったっけな? 理科の時間でも、彼らを背景に置いたまま、授業が続いていく。
その骨格標本なんだけど、誰が持ってきたか、とあるウワサが生徒たちの間でささやかれ始めたんだ。
見るときによって、骨格標本の肋骨が、多くなったり少なくなったりすることがあるって。
肋骨は12対。そのことを確かめておいた私は、次の理科の時間。授業が始まるまでの間で、骨格標本を調べてみた。
左12本、右12本。合計24本ある。特におかしいところはない。他のみんなも、噂を聞いてから何度も骨格標本を見やったけれど、数が増減する気配はなかった。
一か月の間で、何人かが「肋骨が13対になっていた」とクラス中で触れ回ったことがあったねえ。けれど、「じゃあすぐに調べにいこう」と提案するや、もごもごと、先ほどまで達者だった舌がとたんに回らなくなってしまう。
――ああ、興味をひきたいだけのかまってちゃんだな。
私はちょっとだけかわいそうな視線を向けるが、それ以上の追及はしない。
すでに標本への関心が薄まっている生徒が大半だったが、私はまだひっそりと肋骨を数えている奴のひとりだったんだ。
これまで、授業の前後で調べてきたものの、収穫はゼロ。だとしたら、朝早くか放課後か。いずれにせよ人の目が少ない時間帯で試してみよう。
そう考えた私は、その日は帰りのホームルームが終わると、図書室で本を読みながら人がはけるのを待つ。まずは放課後時間での検証だ。
図書室内には図書委員がひとりいたが、ふとカウンターから腰を上げ、部屋を出て行ってしまう。トイレだろうか。
不用心だな、と思いながらももうあと30分はここで過ごさせてもらう予定の私だが、図書委員が出て行ってほどなく。
がたん、と私の座る席から遠い、部屋の奥の本棚が揺れる気配がした。
はっと目をやったとき、本がびっしり詰まったその棚は、その枠をかすかに震わせているだけだった。だが、それに目を見張ったのも束の間のこと。
図書室の外でずるり、ずるりと何かをこすりつける音がしたんだ。
これまでに、同じような音を聞く機会があった。校舎内の各教室外の壁は、壁に掲示物が貼れるようにゴムのボードが取り付けられている。そこへ体をこすりつけながら歩くと、同じような音が出るんだ。
――誰か、図書室の前にいる。
図書委員かとも思ったけど、音は部屋の後ろから聞こえてきた。その先にあるのは非常階段に通じる扉だけで、有事の時以外は開かない。そもそも開けるときには、重々しい鉄の扉ならではのきしみが響くのに、今回はそれがなかった。
相手はあらかじめ、あそこに潜んでいたことになる。それも、30分ほど前にやってきた私にまったく気づかれることなく。
寒気が走る私は、本を片手で持ったまま上履きを脱いだ。入り口からは見えない柱の陰に隠れつつ、壁越しの様子をうかがう。
ずるり、ずるり……。
音は変わらずに図書室の後ろから前へ進んでいく。かなり強く体を押し付けているのか、通った壁越しの本棚がかすかに揺れるんだ。やがて私が身を隠す、柱のすぐそばの本棚も越えて、更に先へ。ついには入り口へ差し掛かる。
ひょっとしたらのぞき込まれるかも、と警戒する私だが、音の主は立ち止まらなかった。音が遠ざかり、変わらず壁をこすり続けているらしい。隠れた位置の関係で、姿をうかがうことができない。
やがて、図書委員の顧問の先生がやってきた。そろそろ下校時間だから、帰るようにと声を掛けられる。先ほどの音のことは尋ねなかった。
私はちらりと、音の主がこすった壁を見やる。めくれていたり、傷がついていたりと目立った外傷はなかったが、気持ちゴムのシートはへこんでいるような気がした。それが延々と、廊下の奥まで続いている。
気味悪く思う私は、早々に階段を降りて一階の理科室前へ。図書室へ先生が来たことから、すでに鍵が掛けられていた恐れがあったが、ドアは開いた。
中には誰もいない。先の図書室の雰囲気を思い出し、手短に済ませようと、私は骨格標本へ近づいてみる。
一つ、二つ、三つ……。
指をさしながら一本ずつ慎重に数えていく。
すでに下校時間ぎりぎり。先生に気づかれる可能性を少しでも減らそうと、部屋の明かりはつけていない。その日は空も曇り気味で、教室の中は窓際の席のいくつかが、外からの光に照らされているばかり。
八つ、九つ、十……。
更に十一、十二と数える私だが、力が入っていたせいだろうか。最後の12肋骨へわずかに指先が触れちゃったんだ。
その12肋骨の影から、ぼろりと外れて垂れ下がるものがあったんだ。
肋骨からぶらりと下がるのは、12肋骨にそっくりの形をしたもの。大きく体を曲げるそれは、骨と呼ぶにはあまりにも灰色がかっていた。
でも、その色は私にとって、あまりに身近なものに思えたんだ。垢さ。
当時の私は、垢の意味さえ知らず、無神経に腕をぼりぼりかいては、出てくるそれを粘土のようにこねこねして遊んでいた。ねり消しで遊ぶのと、同じような感覚だ。
その作品にしては、精巧すぎるものがそこにあった……。
「ああ、ここか」
ふと、私の横から声がしたかと思うと、いきなり細い指が伸びて、垂れ下がった骨状の垢をぶちりとちぎり取った。
顔を向けた私は、長い右腕が引っ込んでいくのを見る。数メートル離れた理科室の入り口、そこに私より一回り小さな人影が立っていた。なで肩なのか、左腕がだらりと下へ下がっている。
引っ込んだ右腕が、肩を持ち上げながらわきのあたりを探る動きをする。驚いて動けない私の前で、そいつはやがて腕を下ろし、教室から出ていく。そのだらりとした肩を下げながら、先ほど図書室で聞いた壁に体をこすりつける音を立てながら。
我に返った私が廊下へ飛び出すも、もうすでにあの人影はどこにもなかったんだ。
あれが何者だったのか、私には分からない。
ただその後、レントゲンを撮ったときに、私は12肋骨の片割れが欠けていることを指摘されたんだ。