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第2話 前兆

 夏の日の午後四時は、夕暮れにはまだ程遠い。

 いよいよ本格的に暑くなってきたな、なんて思いながら、まだまだ人気の多い廊下を歩く。うちの高校は部活動に力を入れてるから、校舎に残ってる奴も多いのだ。


(進路……か)


 不意にさっきの小野塚とのやり取りを思い出してしまい、気が重くなる。夢がない。そんなの、何だって言うんだ。

 若者は皆、キラキラとした夢がなきゃいけないって言うのかよ。そんなもん、大人の押し付けじゃないか。

 適当な大学に入って、適当な会社に就職して……。とりあえず食うのに困らなきゃ、それでいい。

 人生なんて、それで上等だろ。わざわざ夢見て傷付く必要なんて……。


「ちょっと、大丈夫?」


 一人グルグルとそんな事を考えていると、前方に俄かに人だかりが出来ているのに気が付いた。人が邪魔でよく見えないが、様子からすると、どうやら誰かが倒れたらしい。

 そういやそろそろ熱中症の時期かと、人だかりを横目にして通り過ぎたその時。


「……ヒッ!?」


 ひきつった悲鳴が聞こえて、俺は足を止めて振り返った。人だかりの中の様子は、相変わらずよく見えない。


「や、止めて、ねぇ、離して、止め」


 唯一状況を示す声は何だか酷く焦って、必死なように聞こえる。何だ? 何があったんだ?


「いだい、いだ……ギャアアアアアアアアッ!!」


 ――ばきり。


 悲鳴と同時、何か固い物が壊れたような乾いた音がした。何が起こっているのかまだよく解っていない俺の目の前で、人だかりが徐々に開けていく。


「何だ……あれ……」


 そして、俺は見た。

 俯き、棒立ちになっている女子。その右手はさっきの悲鳴の主だろう、別の女子の腕を強く掴んでいる。

 でもおかしいのは、掴まれてる女子の腕が有り得ない位置で折れ曲がっている事で。

 そして、そして、それ以上に。


 筋肉が剥き出しの右手が、左手の何倍もの大きさに膨らんでいるだなんて。


「ゴガッ」


 突然、棒立ちになっている方の女子が顔を上げた。白目を向き、血管の浮いたその顔は、まるでホラー映画の特殊メイクのようだ。

 そのまま棒立ちの女子の体は痙攣を始め、そして、左手の筋肉がこぶのように膨張して内側から皮膚を引き裂いた。その変化は左手に留まらず、やがて全身へと広がっていく。


「あ……ぁ……あぁ……」


 腕を掴まれた方の女子の股下に、水溜まりが出来ていくのが見えた。でも、誰も馬鹿にしたりなんかしない。そもそも、皆気付いているのかすら怪しい。

 皆が、ソレに釘付けになっていた。皆が、動けなかった。まるでここだけ、時が止まったみたいに。

 そして、やっと棒立ちの女子の変化が治まった時。そこにいたのはもう、ではなかった。


 皮膚がなく剥き出しになった筋肉。黄色く濁ったギョロリとした眼。二メートルくらいはありそうな体躯。

 人の形をしているのに、明らかに人ではないモノ(・・)がそこにいた。


「た、たひゅけて……」

「う……うわああああああああああっ!!」


 誰が発したのか解らない、その叫び声を皮切りに。止まっていた時間はやっとの事で動き出し、その場にいた大半が急いで逃げ出したのだった。

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