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6.仕事大好き貿易大好き、忙しすぎる婚約者と、引きこもりのわたし

「……あの方が帰っていらっしゃったのね」


わたしが小間使いに呟けば、彼女はええと肯定した。

けれども、彼女はわたしにそれ以上の情報をくれない。


「あの方はここにいらしてくださるかしら」


「……次の交易のために、また、船に乗って行ってしまわれますよ」


小間使いの言いたい事もわかる。

会いに行けばいいと、言うのだろう。

きっと彼女の言葉は、わたしを知るすべての知り合いと同じだろう。

けれども。


「行けないわ、外は怖いものばかりだもの」


そう返事をする自分の、なんという弱さだろうと思いながらも、わたしはそう口にするしかないのだ。


「外は、怖いもの」


「お外に行かなければ、素晴らしい物に出会う事もありませんよ」


「本があるわ」


「本の中の事ばかりが、世界ではありませんよ。百聞は一見に如かずと、よく言うではありませんか」


年上の小間使いの声に、わたしは何も言わないで、無表情のまま、窓の外を眺めている。

この人は、わたしが外に出られない理由を、全く知らないというか、聞かされていないのだ。

と知るたびに、わたしはほっとする。

まだ、息ができる。

理由を彼女が知ってしまったらきっと、彼女はわたしを嫌悪する顔で見つめるのだから。

わたしは、秘密が秘密のままである事に、心底ほっとするのだ……


「あの方には、またこの手紙を渡してちょうだい」


わたしはそう言って、婚約者様にしたためた手紙を数枚、小間使いに渡す。


「中身は、いつも通り見ないでちょうだい、あの方が、外の人に見せていいと思ったらこれも、見られる事でしょうから」


「……分かりました」


婚約者が帰国するたびに、帰港するたびに、彼の動向を聞く癖に、会いに行かないわたしは、どこの誰が見ても無精者で、臆病者。

知っているけれども、それでもわたしは、外には出られない。

小間使いが部屋を出て行くのを見送り、わたしは窓の外、かの婚約者様の見事な船が帆をおろしていくのを見ている。

積み荷が行き交うのを、見つめている。

そしてそこで、最初と最後にようやく、その顔を見せてくれる婚約者様を、見つけるのだ。

煌く、きれいな髪と、少し厳めしい顔をした、そのくせ唇は海の男と言いたげに陽気に吊り上がる、わたしの婚約者様だ。

体つきは少し、むちっとしているだろう。

そのちょっとぽっちゃりに見える体のぽちゃの部分が、皆筋肉で、彼を敵にしたら最後、徹底的に叩きのめされると知っている人は、そう多くない。

海の男のくせに、肥っていてどこか、だらしがない、という事を婚約者様はよく言われているけれども、あの人は外側に筋肉がなかなかつかない、だけなのよ。

わたしはそれを知っている。

彼がそう、笑って話してくれたから。

……扉越しに、本当に時々、気まぐれな渡り鳥のように、彼がわたしの部屋の扉を叩いて、話しかけてくれるのだ。

お情けだと人は言うかもしれないけれども、彼はわたしや父の体面も知っているから、そうして忙しいのに気遣ってくれたりするのだ。

わたしは自分の顔に触れる。

引きつった肌の、違った手触りにまた、息を吐きだす。

もう何年前になるのだろうか……と、記憶を探った。




わたしは、自慢にしかならないけれども、周囲三国一の美少女と言われていた。

そのため、自分を磨くのも大好きだった。

お金持ちの商人の端くれだった父は、わたしを貴族に嫁がせたがっていて、わたしもその期待に応えるべく、毎日、何でも一生懸命に努力した。

商家としてとても歴史があった我が家だけれど、貴族と縁づいた事がなかったから。

何処かの、傾き気味の名前の立派な貴族に、わたしは嫁ぐ予定だった。

父は人の好さというか、誰でも好かれる嫌味のない気性と人格で知られていて、この父を嫌う貴族は、滅多にいなかった。

そのため、そこまでやっかみを受ける事や皮肉を言われる事もなく、とある家の息子と婚約するはずだったのだ。

まあ、婚約するはずだった息子の方が、あんな三国一の花嫁を手に入れるなんて、幸せ者め! なんてやっていたらしいけれど。

そこの息子君とも何度も手紙を交わしていて、親しくなったと思っていた。

父は何度も、浮気は貴族の病気だから、度が過ぎなければ、大目に見てあげなさい、と繰り返し教えてくれた。

自分の血を残す事に、ことさら固執するのが貴族の性根で、だからいろんな所に種をばらまきたがるのだと、身も蓋もない事を言ってくれたけれど、その教えはわたしに深く根付いていた。

だから。

わたしは、その息子君が社交界の一輪の花とまで呼ばれていたどこかの令嬢に、心を奪われていても、気にしなかった。

代わりに、わたしだって大きくなったら綺麗になるのよ、見てなさいと躍起になって、美容にも気を使った。

そして運命の、その日がやってきた。わたしが息子君と顔を合わせる、社交界。何とか父が頑張って、我が家は貴族の端っこの端っこになれたから、そこに出席したのだ。

そこで。

わたしは息子君と顔を合わせて、びっくりした。

絵姿でも、ずいぶんな貴公子だったけれど、本物はもっと貴公子だったのだ。

そして、彼の脇に立っている女性が、その一輪の花だった。

けれど。

……申し訳ないというべきなのか、わたしはその彼女よりも、ずっと綺麗だったのだ。

周りがそう言っていたのだから、そうだと思う。

人々の目は瞬く間にわたしに集まり、わたしは必死に勉強した色んな事で褒められた。

その爵位の令嬢にしておくのは、もったいないと言われるくらいに。

デビューは大成功で、そのあと、息子君と婚約していたのに、降るように結婚の申し込みが来たのだ。

それでも父は、義理を優先して、息子君との縁を切らなかった。

……そこで切っていればよかったのだ、と父は悔恨した声で言う事がある。

深酒をした時、そういうのだ。

……息子君は、自分より目立つ、自分より素晴らしい、自分より美しいわたし、を。



憎んでしまったのだ。さらに、彼の脇に立っていた令嬢もまた、わたしを、金に物を言わせて美しくなっただけの娘が、社交界で自分よりも目立つ事になる事が許せなくて。

わたしに瑕をつけるために、婚約破棄の申し込みがあったけれども、その慰謝料は莫大な物になるから、父は傾き気味の向こうの家を心配して、その申し込みを断った。

それもまた、彼らのプライドを傷つけてしまったらしくて。

友達に呼び出されて、いつも通りに遊びに出かけようとしたわたしは、暴漢に襲われた。

必死に抵抗して。

女の子としてどうかと思うくらいに抵抗して。

それでも、男の力にはかなわなくて、いっそ死んでやると思った時に、暴漢たちを統べる女が言い出した。

『依頼は、乱暴する事じゃないわ。その顔や美しさを、醜くする事よ』

その声で男たちは、美しいわたしの顔を美しくなくするという依頼を思い出して。

わたしの顔に、毒を浴びせた。とても軽い毒で、でも、顔を焼けただれさせるもので、醜くなる事で定評があった毒だった、と後でお医者様に聞かされた。

激痛にのたうちまわったわたしの、声が外まで聞こえたのだという。

暴漢たちがわたしを捨て置いたところで、ようやく、気も狂わんばかりに心配した父の部下たちが、わたしを見つけた。

でも、わたしの顔は二度と治る事のない傷を作った。

後ろ関係とかを調べ上げた父は、怒り狂ったから、息子君の家への援助を全て打ち切った。

その後息子君の家が、どうなったのかは知らない。

わたしは、自分でその顔を見て、恐ろしくて、怖くて、外に出られなくなってしまった。

そして、カーテンを引いた薄暗い部屋に引きこもり続けたある日。

商談でやってきた男がいた。

彼はうちの商家と縁をつなげたくてやってきた、貿易を主に行う人だった。

縁をつなげたくて、そして娘のわたしに縁談を持ち掛けてきたのだ。

父は悩んで悩んで、そして、わたしに問いかけた。

わたしは、父を困らせたくなかったから、縁談を受けた。

父は断って構わないと何度も言ったのに、わたしは受けた。その事で忙しすぎる父の頭を悩ませたくなかったからだ。

そして、断って構わないといった理由を知った。

その貿易商の男の人が、あの息子君とは天と地の差がある顔面だったから。

父は娘のハードルが高いと思っていたのだ。

あれだけ美しい婚約者がいたから、こんな見た目では娘は納得しないだろう、と。

でも。

わたしは、彼の飾り気のない感じと、厳めしいのにいつも楽しそうな、そんな空気に一目ぼれをしてしまった。

だから、会えなくなってしまった。

この顔を幻滅されたくなくって。醜い、おぞましいと、言われたくなくて。

だからわたしは、彼に毎日のように手紙を書いて、積み上げて、彼がこの港町に戻ってくるたびに、小間使いに渡している。

彼も手紙を小間使いに預けてくれる。

そこから、あまり上手ではないけれど、とても丁寧に、真摯にいろんな事を書き連ねてくれる彼が、ますます好きになった。

でも、わたしは、彼と会えないし、彼を外で見るために、外に出る事も出来ない。

自分の部屋を出ようとしたら、息ができなくなって、死にかけたのだ。

お医者様は、外での恐ろしい事が、よほど心に傷を与えているようですから、ゆっくり傷を治せばいいと言ってくれた。

しかし、そんなわたしの状態を知っている友人は一人もいない。

皆、外が大好きで、船を憧れながら見ていたわたしが、いきなり引きこもったのをいぶかしがり、急な病で家から出られなくなった、というような言い訳をしたわたしを診まいに来ようとして、それを全部拒否した。

それでも、手紙だけで交友が続いている、優しい友人も何人かいる。

彼ら彼女らは、わたしの顔を知らないから、外に出て空気を吸った方が、病が治ると助言してくれるけれども、わたしは、外に出られない。

そして彼は、仕事が大好きだ。

扉越しに語る彼の話は、いつもきらきらとしている。

知らない町、知らない国、知らない世界、そして。

まばゆいばかりの海の話。

海には神がいるんだと、からからと笑う彼のように、本当はわたしも、海に神がいると感じ取ってみたい。

でも、出来ない。

外に出ようとするだけで、呼吸がままならなくなるわたしが、外に出られる日なんてないのだ。




「……カーニバル」


「そうですよ、お嬢様。これなら、顔を誰にも見られる事なんてなくて、外に出られます! ですから、もしかしたら外に出られるかもしれませんよ」


わたしの引きこもりが、顔を見られたくないだけだと思っている小間使いの、若い子がそういう。

わたしは常に傷をさらしているから、若い子はわたしが怖がっている理由が顔だけだと思っているのだろう。

誰もこの子に、真実は重すぎて言えやしないのだ。

そしてこの子は、情報によれば口が軽いケがある。

だから、わたしが襲われかけた、なんていう事は言えやしない。

本当にすさまじい傷になって、婚約者様との婚約だって潰れてしまうから。

……わたしの顔の傷の事は、たぶん婚約者様は知らない。あまりにも外に行きすぎていて、ここでいろんな話なんて聞かないから。

そして、わたしが襲われたのはかなり秘密だから、めったな人は知らない。

そしてたいていの人が、三国一の美少女が、今こんな変わり果てた顔だなんて、思わない。


「すばらしい事だと思いませんか、お嬢様!」


この子も、おそらくわたしが幼い頃に、事故で顔に傷を作ってしまったと思っているのだろう。

この子の、知らない親切が痛い。

でも。

とんとん、と扉が叩かれた。調子は知った物で、リズミカルな調子で、音楽的で、その音でわたしの部屋の扉をたたく人は一人だけ。


「あなたは部屋を出なさい」


そう言って慌ただしく小間使いの若い子を追い出し、わたしは扉をその調子を再現して叩く。

わたしが彼と会話するつもりがある、と示す音だ。


「よう、婚約者殿、調子はどうだい? いつもここにいて、面白い事はあったかい?」


からかう声、わたしはその声に泣きたくなる時がある。

この人をだましていると思うと、余計に。


「ええ、外じゃなくても楽しい事はたくさんあるわ」


「でも、あなたは外の話を聞く時、きらきらした声で相槌を打つのに」


「外は怖いの」


「そうかい。だったら、今度のカーニバルなんて一緒に巡ったりしないかい」


「!」


驚いたわたしに、彼が笑う。


「久々に、長い事ここにいる事にしたんだ、そうしたら、これまた何年振りかわからない、カーニバルと重なる時期だったときた! これはわが婚約者殿と、巡るしかないと思ったんだ」


「外は怖いわ」


「俺がいるから、何も怖くない事にしてくれないか? もう、あなたとカーニバルをめぐる事で頭がいっぱいで」


嘘ね、あなたの頭にいっぱいにあるのは、商談と次の貿易の先でしょう。

仕事ばっかりしていて、それしか楽しい事が無いような仕草ばかりだと聞くわ。

こうして、わたしを気遣って誘ってくれた、それだけで十分。


「馬鹿なお人」


わたしは笑った。彼は言う。


「迎えに来るからな」


「え?」


「忘れられない、カーニバルにするから、楽しみにしていてくれ」


踊るように陽気な潮騒の声が、そう言って、後はいつも通り、貿易先との話になった。

彼が帰ってから、わたしは胸のあたりを探った。

夢みたいでどくどくと、心臓が打ち付けられているようだった。




「……」


もう何年振りかわからない、着飾った格好と、それから、大昔の仮面を引っ張り出して、わたしはお迎えを待っていた。

何を浮かれているの、なんて思うのに、わたしは明け方から支度をして待っていて、でも、彼は来てくれない。

また仕事が立て込んでいるようですと、教えてくれたのは小間使いの一人だ。


「……仕事がお好きな人だから、仕方がないわ」


父はわたしがこんなに前向きになったのが久しぶり、だから。

やってこない婚約者様に対して、ちょっとご立腹だ。

でも、わたしは、こうして待っている時間がとても、うれしい。

彼と約束をした、それだけでうれしいのだ。


「夜が明けるまで、今日は終わらないのよ」


小間使いたちの何とも言えない視線に、わたしは笑ってそう言ってしまう。

本当にそう。

夜が明けるまで、カーニバルは終わらない。今日だって終わらない。

そうして、だんだんとカーニバルで浮かれ騒いで、お屋敷も人気が無くなって静かになり始めた夜中。

ごとごとと、窓の外から音がした。

わたしの部屋の外は、屋根屋根で、木なんて生えていないから、木に登って迎えに来るラブロマンスは生まれないのに。


「……あなたさま」


わたしは屋根をよじ登ってきただろう、そして飛び移ってきただろう人を見て、目を見開いた。


「お迎えに来ました、俺の婚約者殿」


ちょっとぽっちゃりの、厳つい顔の男の人が、まるで物語の海賊王のような、素敵な人に見えた。


「屋根をどうやって上ったのかしら」


仮面越しだから、顔が見られないから、わたしは邪気のない、嫌味のない声が出せる。

胸がどきどきとして、死んでしまいそう。


「だいたい、いろんなところを回るとある意味盗賊業みたいな真似も得意になるんだ」


にやっと笑う彼、本当に唇がいろんなうれしさで緩んでしまう。


「抱きかかえてくから」


おいで、と伸ばされた腕に、わたしは決心して飛び込んだ。

外に出た途端、出来なくなる呼吸が、彼の胸の音や呼吸の音、それから香る葉巻の匂いを嗅いでいるだけで、さあ、この彼のすべてを吸い込めと言わんばかりに楽にできてしまって、わたしどれだけ、この婚約者様が好きなのかしら、と笑ってしまった。




辺り一面、仮面の人だらけ。そこでみんな音楽に合わせて、踊り狂っている中でわたしと婚約者様も、笑いあいながら踊っている。

場所は崖にある、大広場で、ここで皆カーニバルでは踊りあかすのよ。

わたしも、そのつもりで、きっと彼もそのつもりだった。

だってどちらも、時間の事を相手に確認なんてしなかったのだから。

お腹の少し出ている、脂肪に見える筋肉の持ち主は、わたしの大好きな人。

ずっと踊っていたいくらい、楽しくて。

こんなに楽しいのは何年ぶりかしら。

彼の腕に抱かれたり、引き寄せられたり、わたしの方からじゃれかかったり。

音楽の中では、わたしも彼も何でもできる気がして。

笑いあっていた時。


「あんたなんか、そんな幸せな顔する資格も許しもないわよ!!」


ヒステリックな声が聞こえてきて。

わたしの仮面が、じゃきんと音を立てて落とされた。

元々、仮面はある一定の方向から叩いてしまったら、落ちる物。まして、刃物で留めていた紐を切られてしまったら。

踊っていたわたしの仮面は、くるくると宙を舞ってどこかに行ってしまった。


「っ!!」


わたしは驚きすぎて、おそらく鋏を使った相手を見ようとして。

でも相手は、人込みに消えていきそうになっていて。

わたしは追いつけないし、誰だかわからなかった。

そのかわり。

血の気が音を立てて引いていった。

わたしの、顔が、見られている。

ぎくしゃくと、婚約者様の方を見れば、彼の眼がとても無表情に、唇も無表情にわたしを見ていて。


「――――――っ!」


何も言えなくなって、わたしは顔を覆って走り出した。

この顔を見られた、

嫌われてしまう、

おぞましいと言われてしまう

その前に、言われる前に、

死んでしまいたい、と心底思って。

このドレスの布の重さなら、直ぐに沈んでしまって溺れ死ねる、と計算してしまって。

わたしは、海へ続く町の崖から、思い切り飛び込んだ。


「待ってくれ!!」


婚約者様の焦る声が最後に聞えて、わたしは本当に彼が好きだったと心底思った。

海面に叩きつけられる衝撃、そして意識が薄れた。



でも、思ったよりもわたしは悪運が強かったようで。

ドレスの膨らみが、浮力を伴ってしまったようで。

一晩、くらいかしら。

わたしは、海面を漂い、海の夜明けを見る事になっていた。

でもわたしの悪運もこれまででしょう。

どこまで流されたのか、わからないのだもの。

そう思って、ぼんやりと夜明けらしく薄明るくなっていく水平線を見ていて。


「うみのかみはそこにある……」


そんな言葉を思い出してしまった。

海の輝く水の粒と、波とそれから、それらを照らす太陽の考えられないほどの色の乱舞。

それらが輝きという名前の物全てを伴って、わたしに海の夜明けを見せてくる。

……あまりに美しいせいで、自分の顔の傷なんて心底、どうでもいいちっぽけな事のように思えてきた。

もしも、生き延びられたら、わたしは、婚約者様と向き合おう、と決めた。


「……生き残らなきゃ」


向き合うために、生き延びなければいけなくて。

そのために、どうするか、を考えるべく、乙女のたしなみとして持っていた小刀を取り出して、おそらく邪魔になるドレスを切り裂こうとした時。


「早まるんじゃねえ!」


酷く焦った声が響いて、わたしは有得そうで有得なさそうだった奇跡を知った。


「あなたさま……」


「頼むから、頼むから! その手をおろしてくれ、死のうとなんてしないでくれ。頼むから!」


すごい勢いで泳いでくる彼が、わたしを抱きしめる。どれだけ泳いでいたのか、と思うと、彼がまたいとおしい。


「……ドレスが、泳ぐのに邪魔で」


と言えば、彼がわたしを抱きしめて、頷く。


「ああ、そっちか……っ、よかった……! 船は近いんだ。一緒に帰ろう」


「ねえ、あなたさま」


「なんだよ」


わたしはその顔に口づけて、言った。


「海の神は、本当にいらっしゃるのね、わたし、ここで誓いを立てたいわ」


それを聞いた彼が、目を見開いた後に、何かぶつぶつと言ってから、わたしの傷痕の頬に唇を寄せて、囁いた。


「ああ、誓おう」


わたしは、彼にもう、傷を見られてもなんとも思わない自分を知った。




その後、船に乗って街に戻ったわたしは、引きこもったわたしが、実はすさまじい美女だから隠れている、と長年噂されていた事。あの、凋落した息子君と、彼と結婚したけれどやっぱり世間で一番美しいとほめそやされたい令嬢に、その事でまた嫉妬されていた事。

彼らは外に出ないわたしに、手出しができなかった事。

でも、今年のカーニバルで、周りが見とれる踊りをしていたわたしと婚約者様に、嫉妬の炎が燃え上がり、蛮行に及んだ事を知った。

父はわたしに、彼等への罰を問いかけたから、わたしは答えた。


「何もしないで、彼らがその程度のちっぽけさと矮小さだと、痛いほど知らせるのが、彼等への最高の罰になると思います」


彼等への罰などどうでもいい位、わたしは婚約者様と一緒に外を歩ける事が、幸せだ。


「まあ、あなたさま。わたし、これ以上飾り物を買ったら、お部屋にあなたを入れられないわ」


「そうか、じゃあ、あなたも船に乗って、船の中でこれらを見よう! 一度、あなたを俺の船へ乗せたかった!」


新婚旅行は、あなたが一番興味を持っていた、常夏の島にしよう、と彼が抱き上げて笑ってくれる。

仕事ばかりだったのは、彼がそうしないと、わたしに会いに行きすぎると、右腕の男の人に止められていた事も、後から知ってしまった。

もう、傷なんて怖くない。

しばらくしたら、傷さえ美しいこの三国一の美女、とわたしは噂されるようになり、あの令嬢はプライドがズタズタになったそうだ。

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