22.人間に興味のない婚約者様と人間の中でも醜い私
また人間、という大声に身をすくめた時のことを、よく覚えている。
私は王族の中でも鼻つまみののと言われていた、第六妃の娘と婚約を交わさなければならず、そのためにその時、その場にいたのだから。
また人間と、大声を上げた彼女は、周りがぎょっとするのも気にしないで、言う。
「人間人間、人間ばっかり! とっても臭いわ、どこか行ってよ」
大声で周りの迷惑を考えない、と言いたげに姿を現した彼女は、確かに王族の中でも厄介者と言われるに違いなかった。
彼女は魔物の毛皮を頭からかぶり、顔に血を塗り、一般的王族としてどうかと思う、そんな姿で現れたのだ。
彼女の後から現れた侍女たちの、疲れ具合からも、彼女がまともな衣類を着る事無く、記させる事なく現れた事も知った。
初めて見る人種だ、と私は思った。別に毛皮を被っているから人間らしくない、というわけじゃないのだ。
だって彼女はそんな姿でも、この場の全員が束になってもかなわないほど、可愛らしかったのだ。大人になれば世界を揺るがせるような美女になる、そんな顔立ち。子供の頃から匂い立つような美しさ、何てものを私は、その時初めて見た。
「だから、何処かに行かないんだったらわたしがどこかに行くわ、用事を聞かせたいなら礼儀をわきまえてよ、じゃあね!」
彼女はそう言うと踵を返し始める。
慌てふためいたのは、婚約の儀を結ぶために集まった神官たちだった。
彼等はこれで結構な収入を得るはずなので、慌てるのも道理だった。
「お待ちください、今日はめでたい日なのです」
「めでたくたって関係、ないわ。あなたたちとても臭くて、わたしとってもここにいたくないんだもの」
はっきりと自分の主張が揺るがない彼女。彼女は彼等にまたいう。
「用事があるならわたしが何が嫌いなのか、知っていてほしいものね。それが最低限の事だと思わない?」
彼女はそう言った後、くるりと私を見た。そこでようやく私に気付いた、と言わんばかりの顔だった。
おとなたちの中で、子供の私は陰に隠れるようだったのも事実だ。
だが。
彼女は歓声を上げて、私に近付いて抱きついてきたのだ。
「わあ、オーガの男の子なんて初めて見るわ、ねえあなた名前は? あなたは臭くないのね、気に入ったわ、わたしの子分にしてあげる! 光栄に思いなさいね!」
私は人間なのだが。
誰もそのことを訂正せず、言い始めた。
「あなた様には、彼と婚約を交わしてほしいと御父上が仰せなのです」
「あら、じゃあ、ようやく、臭い人間と結婚しろなんて言わなくなったのね! 何回も言ってみるものだわ」
拳を握りぐっと喜ぶ彼女はそのまま、周りに騙されたまま、私と婚約を交わした。
「婚約したからには、毎日ここに来なさいよ!」
いいたとえが思いつかないような、そんな悪ガキの顔で笑うくせに、彼女は恐ろしく美しいままだった。
私は自分が人間だと早々にばらそう、と思っていた。嘘は言えなかったし、彼女のなんだかまっすぐな所が煌いていたから。
彼女は意外なことに、私が人間だとばらしても、怒らなかった。
しかし人間とわかった途端、私の扱いは婚約者から子分に格下げされたらしかった。
王の所有する山の中を歩き回り、獣に追い立てられて木の上に逃げ、猿と縄張り争いをし、彼女はとてつもなく自由人だったのだ。
さらには真っ裸で川で泳ぎ、私も川に引きずり込んだ。
そんなとんでもなく野生児な彼女に付き合ううちに、私はオーガの様だと彼女に言われたような、醜い顔に似つかわしい、鍛え上げられた体になっていった。
そして、彼女がなぜ人を臭いというのか、知った。
彼女は緑の匂いのすばらしさ、人工的でない物の快い香り、そんな物や日向の匂いや、獣臭さを愛していたのだ。無理やり生み出されたもの、それらを嫌っていたのだ。本能的に。
私もそれに付き合ううちに、公爵家の人間としての身支度であった香水などは撤廃してしまった。
彼女は時々、花のつぼみを身に着けた。それが開花すると彼女は、匂いまで素晴らしいのに、洗わないから残念、そんな美少女になった。
誰もが惜しい惜しいと言っていた。
そして私に、彼女を人間らしくしろと強要したのだが、私が人間らしくなくなる方が早かった。あっという間だった。
自分と系統の違う子分がいるのは、彼女にとってとても楽しい事だったのだろう。
毎日毎日日が暮れるまで遊び、雨でも外に出て、二人で泥まみれになった。
彼女が私に恋愛的な物を抱くなんて、決してないとその頃悟っていた。
彼女の恋の相手は、おそらく魔物のような存在なのだろうとも。
しかしこんな野生児の生活は一転した。
魔族の一人が、王城に現れて、星が魔王を選定した。魔王を迎えに来たと言ったのだから。
そして魔王は、彼女だった。
人間の中から魔王が生まれるのは有名な話で、魔族が迎えに来るのもお伽噺でよくある話だった。
だが実際に起きたのは数百年前で、今代もないだろうと思っていた頃にそれが起きた。
彼女はまったくためらわず、人間の敵になる事に同意して去って行った。
私に別れすら言わないで。
そして婚約はなかった物となり、十数年。
魔族が力を増しているため、私は
彼女を殺す勇者の、その聖剣を作るための生贄になっている。
目が覚めたら縛られていた。気付けなかったのは最後の食事に無味無臭の眠り薬が混ぜられていたから。
動けなかったのはしびれ薬も混ざっていたから。
感覚も狂わせているのだろう。氷の台座に乗せられ、私はここにいた。
「勇者の聖剣には、人の中の魔物が必要だ。つまり人間に見えない人間の心臓が」
魔術師や神官が言う。私は無感動にそれを聞いていた。
私は彼女を殺す材料にされようとしていた。
抗いたいと何度手足を動かそうとしても、動かないゆえに、無感動な絶望に襲われていた。
「魔王を殺すのは何百年も前からの、人間たちの悲願なのだ、わかってくれ」
彼女を殺すのにか、わかってたまるか。
「心臓は生きたまま取り出さなければならない。痛みはないから安心したまえ」
なるほど、彼女を殺さない方法が分かった。
私は死に物狂いで舌を歯にあてた。
この舌を噛み切り。彼女を殺す聖剣になる運命を変えてやる。
走馬灯のように駆け巡った楽しい日々、彼女の笑顔、彼女の色々な姿。
並だなんて流れなかったその矢先、だった。
どううんとすさまじい音がして。
地下室の天井が吹っ飛んだ。
いいや。
私が連れてこられた建物自体が、見事に根元からなぎ倒されたのだ。
そして空がよく見える。今日は晴れていたのか。
唖然と見ていれば。
「わたしの子分に何するつもりかしら、人間って殺されたがりなのね、知らなかったわ」
ばさりばさりとグリフォンの背にまたがった彼女が、あのときと同じような獣の皮を被って笑っていた。
「迎えに来たわよ、わたしの子分。これから魔族は人間と戦わない所に大移動する予定なの、だからあなたも連れて行くわ! 大事な物は守れるように一番近い所に置くか、後悔しない位遠い所に置かなかったら行けないんだもの! わたしは遠い所に置いておいて、あなたがわたしの何かのせいで死ぬなんて、まっぴらごめんよ! だってわたしの一番の子分なんだもの!」
高らかに宣言した彼女は、わたしを担ぎ上げてグリフォンに乗せ、腰が抜けて動けない魔術師や神官たちに言う。
「じゃあね、権力闘争がんばれー」
そして私は、人間の土地から去る事になった。
彼女は有言実行だったらしく、本当に、魔族や魔物たちのために、なんと大陸を一部切り離して空に浮かべてしまった。
「本当に嫌いなら関われない場所に行くのが一番! ああすっきりした!」
そしていきなり、顔を近づけたと思えば。ちゅと可愛らしい音がして、彼女が言う。
「あ、やっぱりあなたはキスしても平気でいられるのねわたし」
それから、私たちはめまぐるしくも愉快な日々を送った。人間以外と子供ができない彼女と、育児に奮闘し、孫を育て、ひ孫を叱り、ひひ孫まで確認し。
「さて最後の大仕事、この空中大陸の浮遊を維持するために、この水晶の中に入るわよ!」
「まったく、止めてもきかないんだろう」
「当たり前じゃない、わたしはだって……」
魔王なのよ! 誇りを見せて高らかに言った彼女とともに、私は浮遊を維持する魔水晶の中に飛び込んだ。中で魔力に溶けあっていれば。
わたし、あなたが、だいすきよ、あいしてるの。いっしょうはなさないんだからね!
最後の最後でそんな声が聞こえて、私も同じだけの事を思って意識を手放した。




