21.全てが終わってしまった私と、捨てる事に後悔のなかった婚約者
どうして、という言葉はこぼれる事もなく、私はそれを見ていた。
燃えていく小さな古ぼけた協会。
そこが実は公爵家の所有物の中でも最も、古いものだというのは有名な話で。
そこが何百年かは知らないけれども、その月日が無駄になるように燃えていく。
「いかせろ、行かせてくれ!」
隣で弟が叫んでいる。
弟はいまにもそこに駆けださんばかりで、私は火の勢いが強すぎるからと、弟を抑え込んでいた。
「ばか、今行ったらお前も燃え尽きて死ぬだけだ」
「義姉上があそこにいるのに、兄上はどうしてそんなに冷静なんですか!」
冷静。
確かに、落ち着いているように見えているだろう。
だが。
私とてこの光景を、信じたくはなかったのだ。
あの中に、ささやかながら永遠を誓いたかった相手がいるなんて。
ましてその相手が、ほかの相手と手を取り合ってしまって、この結末を選んだなんて。
思いたくもなかった。
だが現実は無情な物で、婚約者の家の人間も集まりだし、火を止めるべく色々な人間が動き出している。
私は手が白くなるほど弟を抑え込み、激情を押さえつけるようにその炎を見ていた。
「永久に、あなたの物になんてなってあげないわ」
そんな彼女の、呪いの様にこびりつく声が、胸の内に響き続けていた。
家事を知らせる鐘を鳴らす人間が走り回っている。
焔は赤々と燃えている。
とうとう古い木造のその教会は崩れだす。
「あああああああ!!!」
私よりももっと激情に駆られたような声で、弟が絶叫した。
この状況はまるで、弟が婚約者に置いて行かれたような場面だ。
だが現実としては、兄の私が婚約者に置いて行かれたわけだった。
「婚約者殿」
私は心の中で問いかけた。
「そんなにも、私を嫌っていたならば。嫌いだと一言言ってくれれば、全ての道が変わったのに」
こんな結末に、誰がした。
結局教会は跡形もなく燃え尽きて、骨も鑑定できないほど脆くなっていたらしい。
そこには二つの骨があったそうだ。娘の骨格と男性の骨格と。
もしかしたら生きているかも、と期待していたあちら側の面々は打ちのめされ、葬式の中でずっと泣いていた。
私は喪服の薄鼠色を着ながら、一人棺桶の輪の中から外れていた。
「……涙も出ない怪物か」
私はあちら側の人間に言われてしまった事、を思い出して苦く笑った。
この葬式の中で、誰もが悲しんでいるのに、私だけが涙を一つも流さないから言われてしまったのだ。
私は悲しかったのだけれども、涙を流す事は出来なかったのだ。
『めそめそ泣く男なんて嫌いよ』
彼女が以前そう言ったから、別れの場面で泣くなんて出来るわけがなかったのだ。
そこそこの身分になれば、己の感情も制御することを求められるし、鍛えなければならない。
私の身分はそんな立ち位置だったのだ。
感情的にふるまえばその余波が、大変なことを巻き起こす。
大昔に、花畑が見たいと言ったがために、一面の花を刈り取って家に運ばれてきてしまった事なんてのもあるのだから。
「君はそこでやすらかかい」
私は誰に言うでもなく問いかけた。
その時だった。
「こんにちは」
かすれた声がかけられた。
そう、いつかの、風邪を引いた彼女のような声だった。
振り返ったのは期待からか、それとも確認のためだったか。
分からない。
だがそこには、髪を短く刈り込んだ、一人の若い女性が立っていた。
足が悪いのだろう。松葉づえをついている。
怪我だろうか。
「こんにちは」
「今日は誰の葬式かしら、大勢の人間が泣いているわね」
「家族から愛された女の子の葬式さ、好きな男と添い遂げるために心中してしまった女の子。燃える教会の中で永遠を誓った女の子……」
「よっぽど追い詰められていたのね」
「そうだな」
「あなたはその女の子の身内かしら」
「婚約者だったわけだが」
「……あなたに問題があるようには見えないわね、周囲に何か問題があったんじゃないかしら」
「え……」
言われて内心で驚いた。そんな風に思った事はなかったのだ。
周りも言った。すべてお前が悪いのだと。
弟も責め立てた。兄上が彼女をもっと思いやっていればこんな事には、ならなかったと。
そうではないと、目の前の女性は言っていた。
「人を見る目には自信があるの。あなたはきっと悪くなかったわ。周囲に何か恐ろしい物があったんじゃないかしら。その女の子。……探ってみたらどうかしら」
「彼女は戻ってこない」
「じゃあわたしが依頼するわ」
「は……?」
「野次馬みたいで悪いんだけれど、こうやって見ているとどうにも、いびつな感じがしてたまらないのよ。あなた以外の何者かが、その女の子を追い詰めた気がするの。だってあなた、こんな見ず知らずの変な女の事、普通に対応するでしょ?」
「君は何も変じゃないと思う」
「だから余計に変なのよ。あなた、探ってちょうだい、何がこんなにいびつなのか」
「探った後にどこで落ち合えばいいんだ」
何故そう言ったのかわからない。
だが、一つだけ確かなのは、彼女の提案に心が動いた事だった。
「金曜日の三時に、ここで会いましょう」
たったそれだけ。日時も決めない。
きっとこの女性は毎週金曜日の三時に、ここに現れるのだろう。
そんな予感がして、何故か遠い記憶がよぎる気がした。
誰かとこんな話をした気がしたのだ。
一体誰とだろう……?
一週目も二週目も、あまり大した成果は上がらないまま、彼女と会った。
彼女はそのたびに、私の知らない視点からの助言をくれた。
一人だけでは行き詰りそうなこの状態、だったため彼女の言葉はありがたかった。
会うたびに彼女の事も少しずつ分かった。
彼女はひどい怪我をしてしまい、一生松葉づえをつくのだという。甘い柑橘類が好きで、チョコレートが嫌いなのだという。
雨の日が好きで、雨になると出歩きたくなるのだけれども、付き合ってくれる優しい人間が誰もいないのだとか。
それならば、この真相が分かったらお礼に、雨の日の散歩にできるだけ付き合おう、といえば、彼女は朗らかに笑った。
能面のような顔をしていた婚約者殿と違い、この不思議な女性は表情に際限がない気がした。
その生きている姿に、私はいつしかほのかな恋心を持つようになっていた。
事態が動いたのは一か月後で、何と弟が絡んでいた。
弟は私の婚約者に懸想していて、私の目を盗んで愛を囁いていたらしい。
だが彼女は愛に答えず。
弟は徐徐に禁術に手を染めて、禁止されている惚れ薬を飲ませようとまでしていたらしい。
彼女はそれに耐えられず、知り合いを頼り、教会できちんと話し合おうとした。
だが。
その知り合いに嫉妬した弟が、時限爆弾のような物を教会に仕込み、教会を燃やしたのだ。
そしてそこでなりふり構わず彼女を救い、周囲へ彼女への純愛を騙り、彼女と結ばれるつもりだったらしい。
だが彼女は死んでしまった。
弟の計画は崩れたのだ。
そしてこれが露見したのは、時限爆弾を作った細工師が、料金を請求しに来た事から芋づる式でわかった事だった。
「弟よ、そんなにも彼女を愛していたのか」
「兄上にはわからない。彼女の変わらない表情の美しさが」
「表情のない彼女がそんなにも、魅力的だったのか」
「美しい女性だった」
「そうか」
牢屋の中問いかけた弟は、気が狂ったように笑ったのちに、毒の入った杯をあおって倒れた。
だが。
数分後起き上がった。
「なぜ……毒を飲んだのに」
「杯は三つ。二つが毒で一つが眠り薬。どれも同じ匂いのする同じ味。三つの毒の杯の刑により、お前は全てを失って生きる事になる」
「殺してくれ! 彼女のもとに」
「お前をそこへやれば、彼女の迷惑だ」
弟はこの後に、国外に出される。その後の弟の道がどうなっていても、私の家は関与する事はない。
全てが終わった私は、無性にあの、短い髪の彼女に会いたくなった
花を持って。
金曜日、彼女はやはり待っていた。数か月前と比べると髪の毛が長くなり、やや女性らしい頭になりつつあった。
そんな彼女を見て私は、驚いた。
「婚約者殿?」
そう。生き生きとした、千の顔を持っていそうなほど表情豊かな彼女が、婚約者とそっくりな顔立ちをしている事に。
短く刈り込まれた髪の毛などから、全く想定していなかったのだが。
「やっと気づいた。あなた、気付くの遅いわ」
笑った彼女が、一つずつ教えてくれた。
知り合いが爆弾に気付き、不謹慎だが、とっさの判断で地下の墓の二つから、骨を地上に持ってきて並べたらしい。
そして古いがゆえに存在した、隠し通路で教会から脱出。
だがその時に足が挟まり、彼女は片足に治らない怪我をした。
しかし、ただ脱出しても同じことが繰り返されるだろう事から、一計を案じ私が真相にたどり着き、弟が改心する事を願ったらしい。
弟は改心せずに罰を受けたまま、何処かに行ってしまったわけだが。
「あなたは婚約者と、この、何にも持ってないどころか引き算みたいな女と、どっちが好みかしら」
どちらでも彼女は構わなさそうだったけれども。
私は後ろ手に持っていた花束を差し出し、こう告げた。
「生きやすいあなたが好みだ。私と結婚を前提に付き合ってほしい」




