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2 お姫様にあこがれる婚約者とわたし

「あなたいい加減に、それを外したらどうかしら」


わたしの言葉に、彼は朗らかに笑った。

知っているわ。あなたがその後どういう事を言い出すのかなんて。

もう何回も聞いたもの。


「騎士たるもの、素顔などあらわにしない物だぞ!」


ほらやっぱり、あなたはそう言って絶対にその甲冑の面頬さえ外さない。


「水も飲めないでしょう」


「こういうのは飲み方にこつがあってだな、慣れると不自由しないんだ」


「……馬鹿ね」


「そうだろうか?」


がちゃり、と甲冑の可動部分を鳴らして首をかしげる、そんな婚約者にわたしは息を吐きだす。


「ほら、もうじき姫様がいらっしゃるわ」


「そうだなあ、ああ、麗しき可愛らしき我が国の姫君が」


うっとり、というのが正しい調子で言っているその幼馴染に、わたしは何も言わなかった。

本当に、馬鹿な男だわ。

お伽噺の中の、騎士にあこがれて、ここまで来てしまった途方もない努力家。

わたしの誇りで、わたしの永遠の親友。

思えば、ずいぶんと遠い昔の事がきっかけだったように思う。

まだ婚約者様が、仮面も鎧も身にまとわなかったような小さな時代に、わたしたちはよくわたしの家の図書室で本を読んだ。

いろんな本を読んだけれども、わたしたちは年齢が幼かったからやはり、子供でも読める物語を読んだ。その中で二人そろってお気に入りだったのが、呪われた騎士が化け物にさらわれたお姫様を助ける、そんな内容の話だった。

呪われた騎士はその話の中で一番強かった。どんな化け物にも屈せずに、お姫様を助けるのだ。

その話を最後まで読んだのは数えるほどだけれど、途中までは何度も繰り返し読んだ。

長い話だったから、最後までは読めなかったのだったと思う。長い話で、これを二人で読み始めるとあっという間に、婚約者様が帰る時間になってしまって、読み切れないまま終わって、でも次に会う時にどこまで読んだのか、覚えていなくて初めから。

その繰り返しのあいだに、木登りをしたり妹のお姫様ごっこに付き合ったり、剣術の稽古のような事をしたりしたから。

最後まで読めなかった事の方が、ずっと多い。

あの話の結末は、いまだに覚えていないけれども、二人でこの呪われた騎士に、とても憧れた。

ちょうど、わが国には少し年下の、かわいらしくて可憐で、愛らしい、天真爛漫なお姫様がいたのも理由だっただろう。

幼馴染は、あこがれるようにこう言った。


「なあ、俺はいつか、お姫様を守る第一の騎士になるんだ!」


きらきらと輝いた瞳。三男坊という、跡継ぎには到底なれない環境でも、決してひねくれないでまっすぐな婚約者が、うっとりと憧れるようにそう言ったからわたしは。


「がんばれ、あなたならきっとなれるわ」


本当に、彼ならなってしまう気がしてそう言った。


「だったら、さ。これからはもっと稽古を増やす。……でもそうしたら、お前に会えなくなる」


「大丈夫よ、わたしもお稽古事を増やす事になってしまったもの。二人ともがんばればいいんだわ」


身もふたもない事実だった。当時のわたしには、これから跡取り娘として大量の学ぶ事が出来ていた。

こうして婚約者と遊ぶ事なんて、なかなかできなくなるだろう身の上だったのだ。

それもあって、彼が自分の夢のために努力するならばわたしもやり遂げて見せると思ったのだ。


「そうだな!」


明るく笑った幼馴染が、帰宅する時にぶんぶんと手を振って最後まで笑ってくれていた。

それが婚約者の素顔を見た最後になるなんて、わたしは思っていなかった。

運命は残酷で、わたしが本腰を入れて跡取り娘としての教育を受け始めようとした当たりで、なんと消息不明で、あと数日で死亡扱いにされてしまう事になっていたお兄様、が帰ってきた。

それも、遠い大国のお姫様をさらってきて。不思議と大国から目をつけられる事がなかったのは、その国の風習のためだった。親がどうしても許してくれない結婚の時に、見事にさらってしまえば、親は結婚を認めるしかないっていう風習だそうだ。

これには信頼できる仲間と、知恵と、己の能力と、そして相手の気持ちがなければ達成できない事だから、親はそれらを併せ持った相手を、認めるのだそうだ。

そしてお兄様は、向こうの国でできた仲間や助言者たちと、愛し合うお姫様とこの国に帰ってきた。

わたしはそして、跡取りではなくなった。跡取りだと育てられたわたしは、いまさら令嬢の事を行えるほど、器用ではなかった。何もかもが宙ぶらりんのわたしに転機が訪れたのは、ちょうど自国のお姫様が、年頃の近い侍女を探しているという事だった。

わたしは令嬢らしくない事が得意だったし、それに侍女になれば箔がつくし、行儀見習いにもなれる。

そこまで身分の高くない家のわたしには、都合がよくて、父に願ってお姫様の侍女になる事に成功した。そこまでの血のにじむ努力は割愛して、わたしはお姫様の侍女になった。

なったのだが……さっそくわたしはやらかした。

護衛騎士たちをよそに、お姫様に言い寄ろうとした馬鹿な貴族令息を、撃退してしまったのだ。お姫様がそれを見て、めちゃくちゃわたしを騎士様と呼ぶようになり、わたしは一転して侍女から護衛騎士に繰り上がった。剣術は得意ではないけれど、棒術と体術はそこそこだったわたし。お姫様の身近にいて、いざという時の懐刀になれると国王様が判断したのだった。

実家は名誉に沸いたという。そのお祭り騒ぎのような騒ぎは、兄の嫁……他国のお姫様が懐妊したという知らせと重なってすさまじかった。

護衛騎士になり、わたしは剣術も努力した。普通の騎士には負けてしまうから、ずるい事をたくさん覚えた。そして侍女の服を着た護衛騎士が一人、生まれたわけだ。

そんなある日だった。わたしは背後から声をかけられて、振り返ってぎょっとした。

そこにいたのが甲冑だったからだ。

甲冑男はわたしを上から下まで眺めて、朗らかに笑った。

そして言った。


「久しぶりだな、見違えそうだったぞ!」


「どなたですか?」


「婚約者の事も忘れたのか?」


わたしは唖然とした。唖然として、はっと思いだした。城内の噂を。わたしの婚約者が、何を思ったのかずっとずっと、甲冑を身にまとい、生活していると。鎧は脱いでも、兜は脱がず、素顔を絶対に見せないと。

だからすぐさま特定ができたのだ。


「何しているのあなた……」


「なに、騎士は顔で決まるわけじゃないからな! 実力と忠誠心で、認められたいからこうしている」


楽しげな声と何の苦労も感じさせない調子は、まちがいなく幼馴染のそれだった。


「今度街で話そう、よかったら」


「そうですね」


彼はいまだにお姫様を守る騎士にあこがれていて、お姫様の護衛騎士のわたしをうらやましがった。そう言う性分は変わらなくて安心した。そして、今日彼はお姫様と顔を合わせて、護衛騎士に任じられる。

全て彼の努力の結果だ。彼が示した騎士道の立派な事は国中で知られていて、その騎士道精神は女性たちのあこがれの的だった。

これで見た目が素晴らしかったら、婚約者様に振るように縁談が来ただろう。弱小貴族のわたしとの婚約なんて、すぐに破棄されるくらいの家柄からも来たでしょうね。


「ああ、麗しい、かわいらしい……」


お姫様が椅子に座るまで、隣で婚約者様はうっとりとしていた。その声が泣きそうなくらいで、どれだけの努力がそこにあったのだろうと考えさせるものだった。

国王様が彼を呼び、彼がまっすぐな足取りで、重々しくも軽く近付く。

鎧を着ている事なんて感じさせない、そんな足取りで。

そして国王が、護衛騎士に叙任しようとした時だった。


「お父様、わたくしは、わたくしに忠誠を誓って下さる方の顔を見たいです」


お姫様がそうおっしゃった。おそらく国中の乙女たちが気になっているだろう、若き騎士の、兜の中身が気になったのだ。

ふとわたしは、お姫様の夢を思い出した。夢見がちなお姫様は、格好良くて素晴らしい騎士との甘い恋愛の物語を愛読していた。

こういう恋愛がしてみたいわ、と呟いた彼女を覚えているわたしだった。

もしかしたらここで、そういう物が発生するかもしれないと思ったのは事実だった。

わたしの婚約者様と、お姫様が恋に落ちる事はありうると思った。

記憶の中で美化された幼馴染は、見た目がけっこう修正されていた。分かっていてもお姫様のお眼鏡にかなってしまうと感じていたけれども。

国王様が言った。


「護衛騎士になるものよ、兜をとり、素顔を姫に見せてやれ」


婚約者様は黙っていた。そしてゆっくりと首を振った。


「陛下、私は顔で護衛騎士になるのではありませぬ」


「無論そうだろうとも。しかし顔もわからないなど不安であろう? さあここで騎士らしく潔く、兜をとるのだ」


婚約者様は葛藤しているようだった。ざわめきが広がるのは国王様の命令を聞かないから。この騎士の今までの事を聞いて居ればとてもあり得ない。高々兜をとるだけではないかという空気が流れ、そして。


「後悔なさいませぬように」


婚約者様は静かに告げた。普段は明るく朗らかな彼にそぐわない声で。

そして甲冑の金属の指で、兜の留め金を外し、ゆっくりと外した。

周囲の者どもが全てに等しく、息をのんだ。わたしも息をのんでしまったのが分かった。

焼き印、だった。彼の顔の半分には、焼き印が押されていたのだ。そのためにただれたのだろう皮膚が醜悪と言ってもいい形をしており、さらに酷い色になっていた。ただれた結果なのだろう瞼は垂れさがり、片側の目をおおい隠しそうになっていた。さらに彼の片側の髪は剃りあげられており、そこにも焼き印なのか入れ墨なのかが入っていた。

それがどういう物を意味するのか、なんて分からなかったけれどわたしは、息をのんでいた。


「それは何だ……?」


「以前、隣国との戦の際に捕虜になりましたことを覚えておいでの方はいますでしょうか。その時に奴隷船に売られ、神殿奴隷にされかけた際に、刻み込まれました」


普通はこのように醜悪な見た目にはなりませんので、私は焼き印に失敗したそうですよ。おかげでこの国に戻る事も出来ました、と笑った彼の声はいつも通りで、朗らかだった。

でもわたしは、後悔しそうになった。

兜を脱いだら、なんて軽々しく言っていた事に対してとてもとても。

朗らかな声の向こう側で、彼がこんな切ない目をしている事に気付かなかった事にも。


「おぞましい……!!」


叫んだのは王妃様だった。美しい物を愛していて、美しい物に取り囲まれてきた彼女は、この騎士の顔を受け入れられなかったようだった。

そしてそれは、貴族たちも同様だったらしく、彼に対して汚らわしいと言いたげな視線が飛び交う。


「陛下、このようなおぞましい男を、姫の護衛騎士になど任じてはいけません! 姫が侮辱される事になりましょう。他国の姫君の護衛騎士は見目麗しいと聞きます」


他国を引き合いに出した王妃様の方に、人々は流れ出す。

国王様は、真っ青になっているお姫様と、貴族たちを見やって、彼の叙任を先延ばしにする事にした。彼は何もなかった調子で兜をかぶり、下がった。

彼の仲間たちは皆、何も言えないままだった。だって彼がそんな物を背負っているなんて思ってもみなかったからだろう。

彼はいつも朗らかで楽しそうで、こんな仕打ちをされる理由がなかったのだから。




実家に戻ると、この事は誰もが知っている事になっていた。噂が飛ぶのは早い。そして父はわたしに、婚約を続けるかどうかを聞いてきた。


「なぜそのような事を?」


「女性は多少は、相手の見た目を気にするだろう」


「それは男性も同じ事でしょう」


「……お前は、彼の見た目を気にしないのか」


愚問だった。わたしにとっては愚問だったからこう言った。


「わたしと彼は、生涯変わらぬ友人ですから」


父は何も言わなかった。肩をすくめて、お前らしい言いようだと言いたげだった。

ふとわたしはそんな父を見て、あの物語の結末が気になった。久しぶりに探してみようと思って、その足で図書室に入った。

薄暗い図書室だったが、目的の本は遠い昔と似たような場所に配置されていた。

当然か。わたしが手を出した後に読む人間は、いなかっただろうから。

その物語は、幼い頃は特別に分厚く思えたのに、今見るとそこそこの厚さでしかない。

年月の修正がかかっているなと思いながら、わたしはそれをめくった。

めくっている間にふと、人の気配が増えたけれども、身内だと思って気にしていなかったわたしだったが、聞こえた声に驚いた。


「懐かしい物を読んでいるんだな」


「……」


婚約者様の名前を呼ぶと、彼はいつも通りに兜をかぶっていた。


「めくってくれよ、俺も中身が気になるんだ」


いつも通りの朗らかな調子で、わたしは彼と座り込んで、本をめくった。物語は長い間愛読されるにふさわしい、素晴らしい中身だった。語り方も展開も、登場人物も。

頁をめくる手は止まらずに、最後までめくり、わたしは何も言えなくなった。


呪われた騎士の呪いが解ける事はなく、彼は醜悪な怪物のまま、助けた王女に拒絶されて国を出る終わりだったのだ。

勧善懲悪、ではあるのに、騎士に救いはない。

だというのに騎士は、これでいいのだと幸せそうな事を言って国を去って行く。


「……泣いているのか」


わたしの目じりをぬぐう指は生身の物で、わたしはそちらを見やった。


「泣いているようですね」


「……あのさ」


婚約、取り消したっていいぞ、お前ならもっといい男と婚約ができる、とぽつりと言われたわたしは、首を振った。

振って、相手の体を抱きしめた。わたしよりも、婚約者様の方が泣き出しそうな声だったからだ。


「うるさいわ」


「……おい……」


「顔がなんなの。ずっと皆を気遣って顔を隠していたあなたよりも、良い男なんてどこにいるの。見た目だけであなたを理解したなんて言わないわ。わたしはあなたにもずいぶんと酷い事も言った。兜を脱げばなんて」


「見たってお前は変わりっこなかっただろうけどな」


言ってから彼は、一呼吸おいてこう言ってきた。


「俺は人を愛した事がない」


「ええ、知っているわ。騎士は愛を抱く事がないのでしょう。表向きには。仕える相手への忠誠だけ」


「うんまあそうだけど、俺は本当に愛し方がわかってなかった」


「ええ」


「でも」


彼がそっとわたしを抱き返してくる。


「お前と一緒にいたら、知るのかもしれない。だから」


置き去りにした愛し方を、教えてくれないか。

たどたどしい、弱々しい懇願に、わたしは頷いた。そう、わたしはずっと昔からこの婚約者様が好きだったのだ。

わたしをほうったらかしにして、騎士道精神を貫いてしまう馬鹿な男が、ずっと。

お姫様を守る騎士にあこがれる騎士が、ずっと。


「……なあ」


醜い俺でも、触れてもいいだろうか。問いかけにわたしは、彼の兜を外して、その目を見つめた。

恐ろしいとはやはり思わなかった。緊張はするけれども。彼の髪に指を通すと、彼もわたしの髪に指を通して、引き寄せた。

見た目に反して唇は、柔らかくて温かかった。




わたしはその後、護衛騎士を辞任した。お姫様がわたしと彼の婚約を破棄しようと裏工作をするから、すっぱり縁を切って見せたのだ。国王様はそんな勝手な娘に頭を抱えて、彼女を修道院に花嫁修業に出した。男と縁がない場所にいれば、ましになるだろうと判断しての事だったようだ。

そしてわたしは、お兄様とお嫁様を、彼と二人で支えている。わたしはお姫様に仕えたかった彼に、元お姫様のお嫁様を守らせている。浮気? まずないだろう。お嫁様はお兄様よりも強くて、変な真似をしたら急所を潰して不能にする、と笑う人だから。

わたしも彼も幸せだ。そして彼は最近、愛すると言う事を実感し始めているらしい。

それでも、せめて人前では膝の上に乗せようとしないでほしい。

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