18.数多の求婚者がいる婚約者と、自分の思いはかなわないと知っているわたし
ある人が言った、彼女はなんて優しいのだろう、と。
ある人が言った、彼女はまさに聖女なのだと。
それを聞きながらわたしは、内心で笑った。
彼女のそれの真実を知らないというのはこんなにも、滑稽なのかと。
彼女の優しさは平等だ。誰にでも優しいし、どんな身分の人間にも優しい。
しかしだから、彼女が自分を犠牲にしているかと言えば、そうでもないのだ。
わたしは昔の、自分本位な彼女を知っているから、こんな事が言えるのだろうけれども、彼女は実に優秀だ。そして辺りをよく見て動く。
そして自分の都合のいいように物事を動かす天才だった。
それは今でもそうなのだろう。とりあえず。
彼女の家は没落寸前だから、余計に彼女はいい男を捕まえて、自分の家をもう一度立派にしようと頑張ってるのだ。
そのために、彼女は自分本位だった人格を隠し、聖女のようにふるまうのだ。
その方が、男たちに受けがいいからである。
それをわたしは不貞だなんだと罵るわけもない。
この国では、結婚前の干渉は当たり前であり、女性が何人もの男性を家に通わせるなんて言うのは、一種のステータスである。
これが、男の家に迎え入れられたり、正式な妻、本妻だと認識されながらの事ならば、話は少し違うのかもしれないが、とりあえず、わたしも彼女もどちらも迷惑はしていない。
というよりも、わたしは彼女の手腕を高く評価している方だ。
何しろ自分の立ち回りが抜群にうまい。自分の敵を最小限にして、味方の数を最大限まで増やすやり方が、実にすばらしいと思うのだ。
そのためわたしは、彼女がどこまでやり通すのか興味があり、彼女に細々と援助をしている。
昔から舶来品を扱う商家の家の息子であるので、色々な物を贈る事に事欠かず、何しろ彼女の家で使われているとなれば、これは聖女の使っている品物、として評判がよくなりよく売れる。
彼女も物を大事に扱うが、それでも壊れた時にわたしからの援助で、みすぼらしい生活をしなくて済む。
どちらも迷惑をかけていないし、利益があるのだ。
しかしわたしは、彼女の家にできるだけ訪れないようにしている。
彼女は、わたしと一緒にいるとその、化けの皮がはがれやすいのだ。
おそらく幼馴染だった事が起因しているだろう。
何もかもを知っている昔からの知り合い、というのは、彼女でなくとも化けの皮がはがれる物である。
そのためわたしは、利益にならない事はしないつもりで、彼女の侍女たちには顔を合わせても、彼女自身には会わないようにしている。
気遣いの一種だと言いたいわたしだ。
そんなわたしであるのだが、今回ばかりはどうしようと本気で考えている案件が、出来てしまった。
何と彼女に、王族からの求婚が舞い込んできたというのだ。
驚くしかないが、彼女の噂を聞いて恋をしたのだろう、という事もすぐにわかる。
噂だけで恋に落ちる人間の、なんと多い事だろうか。
などと考えながらも、今回も彼女は難しい立場になるのだろう、と彼女を案じてしまう。
ただでさえ、色々な男性から恋を囁かれているのだ。恋文など降るようだとも侍女から聞いている。
そんな男たちの中で、誰が一番家を盛り立てていくにふさわしいか、で最近の彼女は悩んでいるとかいないとか。
無論わたしは放置状態だ。婚約者だから、確実に結婚できるわけでもない世間の難しさだ。
「会いに行ってみようか、ご機嫌をうかがいに」
などとわたしは呟いて、それから彼女に用意する、舶来品の珍しいガラスでできた器などを用意し、さっそく彼女の家に遊びに行くことを下男に伝え、先ぶれとして送った。
これで彼女がダメだと言ったら、日を改めるだけである。ちょうど彼女に使ってほしい、舶来品のガラスの器があるのだ。
とてもうつくしい青色をしており、それにいくつもの輪の形の飾りが付けられている。
こんなもの、実大陸の向こうでは日用品だ。わたしはそれを彼女に使ってほしかった。普通は交易船の持ってきた物など、自由にならないのだが、わたしのもち船が持ってきたので、わたしの自由になるものなのだ。
わたしは下男が、ぜひ来てほしいと侍女たちが教えてくれた事でにこにことしながら、彼女の家に向かった。
向かう途中で、何やらいろいろな牛車がいるなあと思ってもいたわけだが。
彼女の家の前から中の牛車を止める場所から、やたらに混んでいる。それも女性の使う形の牛車ではない、男車である。彼女がこんなに一度に男性を呼ぶなど、そうあるわけでもないのだが。
一体今回は何に巻き込まれてしまったのだろう、わたしの勇気と根性のある婚約者は。
などと思いつつ、侍女たちがほっとした顔でわたしを招いたので、わたしはその後に続いた。
男たちは誰もかれもが、見事な身分のやんごとなき人間たちである。
わたしの取引先の嫡男もいれば、衣装の色彩がやんごとなき人間だと知らせてくる、顔の知らない男性もいる。
そして何やら、皆ぴりぴりとしているようだが。
わたしはご機嫌伺いであり、遊びに来たわけなので、恋のさや当ては気にしなくていい、と思った矢先だ。
「では、これより、姫様への贈り物を皆であわせます。姫様が最も素晴らしいと思った贈り物を送った人間が姫様を正妻とすることができますので、誰もそれに異論を申し立てぬように」
わが親愛なる幼馴染は、いろいろとまた面白い事をし始めたようだ。
しかし。
わたしはこの場からそっと立ち去った方がいい、と思い始めていた。
わたしの舶来品は、はっきり言ってずるいはずだ。
それにわたしは、このやんごとなき将来有望な男性陣と争うつもりは毛頭なく、そして彼女がそちらの方が幸せならば、潔く身を引くのもいいと、思う位には。
……ああ、だまっているのはやめよう、彼女を愛しているのだ。
とにかく彼女が幸せな方が気分がよいし、彼女が幸せだと思う事でわたしがとても幸せな気分になる、というのもある。
「では、わたしはお先に失礼しましょうか」
小さな声で下男にそのことを伝えようとすれば、下男は目を大きくしてぶんぶんと首を振って言った。
「若様。それはあまりにも問題の多き事、もとをいえば若様がかの方の婚約者なのですから、ここはこのやんごとなき方々を、けちょんけちょんにしてしまいましょう」
無駄な対抗意識を持っているようだ。そんなもの、持っていてもしょうがないだろうに。
「物騒な事を言うでないよ、どう考えても、彼女の家を再興するにはわたしよりも彼らの方が……」
小さな声でのやり取りの間に、いつのまにやら退路はふさがれ、そして贈り物を合わせる……見せ合うある種の競技が始まった。
彼女は御簾の向こうでそれを見ているに違いなく、彼女の気配が感じ取れた。
誰を思っているのだろう、彼女は。
などと思っている間に進む贈り物の絢爛豪華な事。どれも美意識が高い事を感じさせるもので、わたしのただ珍しいだけの舶来品よりずっと、気合いが入っている。
珍しくて素晴らしいものだ、と言い切れない。
確かに船で持ってきた物は、どれもこれも珍しいだろう。何しろ海を渡ってまで届く品物は、並の苦労以上の苦労があるのだ。
割れ物などは特に。
しかし。
わたしが持ってきた物は、大陸の向こうでは日常使いの品物。
目の前のきらびやかな人間たちならば、いくつでも持っていそうな、そんな物だ。
わたしは目の前で、彼等に失笑されて終わるだろう。
彼女は贈り物を見ながら、何も言わない。
時折伸ばされる手が品物を受けとり、そして返していくのだけが御簾の向こうとのやり取りだ。
そんな中とうとうわたしだ。
わたしは布に包んだそれを差し出す。
こんな事になるとは思っていなかったため、そこそこ適当な、衝撃を緩和する事だけを考えた布でしかない。
みやびとは対極の物に、また失笑が漏れたような気がした。
その時だったのだ。
「それをこちらへ」
彼女が初めて声を発した。
男たちが動揺するのが、気配でも伝わる。彼女の声はひどく美しい。麗々しく、玉が転がる音に似ているのだ。
これだけの声の美女、と思うのも無理はないだろう。
だが。
彼女はまだ布に包まれたままのそれに、いう。
「包みは開けなくていいわ、わたくしに、はやく渡してちょうだい」
何かが彼女の琴線に触れたのだ。それがはっきりとわかった。
何かはわからなかったのだが。
御簾の向こうで彼女が包みを解く音が聞こえている。
その後の、小さな声も。
「ああ……」
それは何か感嘆のような物に近かった。わたしは彼女に、そこまでの物を持ってきていないというのに。
「これを……贈ってきたのはどなた?」
彼女が言う。侍女がわたしを示して言う。
「このかたの、正妻になりますわ」
どより、とどよめく声は信じがたいと言いたげだった。
しかし彼女は続ける。
「あら、あなた方は舶来の言葉を存じないのかしら?」
「舶来の、どの言葉でしょう」
「妻にささげるのは いつまででも使えるようなもの
愛するものに渡すのは 壊れてもいいけれど、壊れるのは惜しい物」
彼女が歌うように言うそれは、はっきり言えばだれでも知っている舶来の、歌の一つだった。
「ここでそれを持ち出してくださる、風流なお方が一番、わたくしには素晴らしいと思いますの」
誰も何も言えなかった。そんな頓智のようなものを、ここで求められていたとは思わなかったのだろう。
「では、皆さまお帰り下さいませ」
侍女が数人現れて、男たちを帰らせる。
誰もが負けを認めざるをえなかった。
ここで風流と頓智が一番聞いていたのが、偶然ながらわたしになってしまっていたから、だろう。
風流や雅を貴ぶ精神が当たり前の昨今、それに対する反論をするのは、醜い物になってしまうからだった。
「やあ、あなたがそんな事を言うとは思ってもみませんでしたよ」
「あら、あなたが一番そう言った頓智を聞かせてくれると思っていたのよ」
「でもそうしたら、あなたは家を盛り立てられるような男と結ばれる事はないよ」
「いいえ?」
几帳の向こうの彼女が、笑う声が聞こえた。
「だって、あの贈り物合わせを、陛下も影からご覧になっていたのだもの。陛下はあなたにとても興味を抱いていたし、感心なさっていたわ。あなたの事も、あなたの家の事も贔屓にしてくださるに違いないもの。そうして繁栄する未来が見えている男を、捕まえておくに越したことはないでしょう?」
「あなたはわたしに興味なんてないと思っていたよ」
「興味はないわ。だって興味って、気になるって事でしょう? わたくし、あなたは一番近い所にいる幼馴染だから、気になったりはしないもの。必ず、一番側にいるのだもの」
服の裾で口元を隠して、笑う彼女が想像できて、わたしは笑ってしまった。
「ならば、わたしはあなたのお眼鏡にかなったかな?」
「ええ、これから、馬車馬のように働かせてさしあげますわよ、旦那様?」
それを手伝うのも、良妻の務めですもの、と色々な事に頭を巡らせている彼女に問いかけた。
「そちらに回ってもいいだろうか?」