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17/24

17.ある日突然人格の変わった婚約者と、彼女が戻ってくると信じたいわたし

「あなたは攻略対象じゃないじゃない! 全然ゲームと違うわ!」

一体何がいけなかったのだろう。

全く分からないまま、わたしは婚約者がわたしに向かって嫌悪感丸出しの顔をするのを見ていた。

彼女が頭を打ったのは数日前で、わたしの目の前で落ちてきた木の枝に巻き込まれて倒れたのも知っていた。

意識不明の彼女は重傷者と言っていい状態で、わたしは一日に何度もお見舞いに来て、彼女が目覚めるのを待っていた。

そして一週間、ようやく彼女が目を覚ました時に居合わせたわたしは、そう言われたのだ。

一体何を言っているのか、まるで分らなかった。

ただ。

一つだけ決定的だったのは、わたしと彼女の間に深い溝が作り出された事、それだけだった。



ある程度の身分になれば、自分の結婚相手なんてものを自分で選ぶ、何て夢物語だ。

わたしはそうあるべきだと教育されてきていたし、家のためにも自分に吊りあった身分の相手でなければ、いらない苦労をすると知っていた。

特に、男子はそうだ。自分よりもはるかに高い身分の女性との結婚は、結局生活の違いや思考回路の違いで冷えきった仲になる。

低い身分だった場合も、やはり溝は出来る。

そのためわたしの結婚相手は父の友人の娘で、やはり似たような身分の少女だった。

母を亡くした彼女は、いつもふわふわと笑っている、気丈な子で。

わたしと一緒に外を駆け回る時だけ、一番輝くように笑ってくれる子だった。

彼女と結婚できることを、幸運だとわたしは思っていたというのに。

あの事故の後から、彼女はまるで別人になり果ててしまったのだ。



「遊びに来たよ、一緒に遊ぼう」

「いやよ、誰があなたみたいな人と遊ぶの? 私はもっと素敵な男の子と遊ぶのよ!」

そしていつかはもっと素敵な人たちと恋愛をするの、と言った。

どうして拒絶されるのだろう。

幼いわたしにはわからない事で、彼女はわたしを拒絶した。

今まで好きだった事も嫌いになった。

一緒に育ててきた芋虫も、彼女は悲鳴を上げて逃げ出した。

卵から孵したのに。

一緒になって逃げだした勉強にばかりに熱中して、わたしと会う事を避けた。

あんなに楽しかった二人の時間は、夢だったのだろうか。

わたしに父はこう言った。

頭を打ったせいで、彼女の中に別の人が来たみたいだな、と。

彼女は帰ってくるのだろうか、と聞けば、父はわたしの頭を撫でてどうだろうな、と言った。

帰ってきてほしい。何度も遊びに行った。拒絶されても、いろんなものをもっていって。

話しかけて、笑って、繰り返した。

どんなに罵詈雑言を吐き散らされても。

彼女はとうとうわたしを、扉の前から先に進めなくした。

使用人のなかでも、とりわけわたしを嫌う使用人や、新しい使用人がわたしを外に追い出したのだ。

余りの暴挙だったけれども、彼女の両親は何も言わないらしい。

いっそ婚約を破棄してほしい、と何度思ったか。

彼女が頭を打つ前に、時間を戻してほしい。一緒に笑った彼女を、返してくれ。

夜中に泣きながら唯一神に祈りをささげても、答えも救いもどこにもなかった。

わたしからの婚約破棄など、不名誉すぎてできやしない。申し出た方が捨てた側として、あまりよくない評判になるのだ。

どんな理由があろうとも、捨てられた方がかわいそう、そんな見方も多い。

むこうもこちらも、お互いの身分が似たり寄ったりであることそして、お互いが仲のいい友人である事から、婚約破棄など言い出せない。

友情が裏目に出たのだ。

そして十年。

わたしは彼女と会う事をあきらめず、毎年毎月、彼女のもとを訪れる。

彼女は十年ですっかり変わってしまったし、彼女は他人が見れば素晴らしい淑女になっているらしい。

使用人たちの中に忍ばせた面々が知らせてくれる。

彼女は他人への態度がよくできているのだろう。彼女の家に昔からいた使用人たちは、すっかり辞めてしまった。

誰もが不始末をしたのだという。彼らが、彼女らが、と思う面々も去って行った。

彼等の消息は知らない。

男女ともに学ぶ、そんないわゆるお見合いも兼ねた高等学校。そこから進路が決まっていく人々や、貴族として大人扱いされる前に少し、人間の縮図を学ぶ人々が集うそこにわたしたちは入学した。

彼女はそこで、数多の麗しく将来有望な男性たちと親しくなっている。

わたしはそれを見る事も出来ない。

面影のある彼女の微笑みは、いつでもわたしには向けられないのだ。

婚約者だから、彼女を止めなければならないとよく、注意される。

それも男性たちの婚約者たちに。

だがわたしに何ができるというのだろう。会いに行けば泥水をかけられる事に慣れ切ったわたしに。

出来る事など何もない。

なんて、思っていたのだ。少し前までは。




「意気地なし」

言い放ったのはぼさぼさ頭の、強い瞳をした娘だった。学校で一番の異端児。女性でありながら、女性を乗せない事で知られている龍……けっして竜ではない……を乗りこなす女性が言ったのだ。

「意気地のないだけだ。君は。君の足は二本ともついているのに、歩こうとしないで止まったままだ」

彼女の衣類は汚れきっている。どれも彼女の好む火の側にいるから煤塗れなのだ。

古来より炎を好む龍は、炎の匂いや煙のにおいがする人間を気にいるというが、彼女は龍の背に乗った後から炎の近くに寄るようになったらしい。

「だからどうしたらいい、何て言えるだろうか。彼女には近付けもしないんだから」

学校で、彼女の近くに行けば。上位貴族の男子たちが取り巻いていて、わたしを分不相応だと睨み付けるというのに。

わたしなど、話しかけるだけで無礼、と切り捨てそうな護衛たちに囲まれているのに。

彼女を咎める事の一つもかなわないだろう。

「いつまで止まったままでいるのさ」

睨み付けるような瞳。容赦のない間違いのない、強者の瞳の彼女は言う。

「十年だか、十三年だか、知らないけど。君は図体ばかり大きく育った人間なわけ?」

「君は何が言いたいんだい」

「龍の話になるけれど。手を見なよ」

突きつけられた両の掌は、傷痕だらけで火傷の痕だらけ、爪も割れた後が目立つ、女性にあるまじき手だった。

「ぼろぼろでしょ。龍に乗るってのは、手もぼろぼろ、足もぼろぼろになる事なんだ」

血の匂いを嫌う龍はだからこそ、女を乗せないのだと彼女は言う。

「それが何を意味していると思う?」

「それが龍に乗るという事なんだろう?」

「だから子供で馬鹿のままの奴はどうしようもないね。かみ砕こうか。立ち止まってぼろぼろになる事も、動いてぼろぼろになる事も、同じなんだよ」

「……」

「生きる事は傷つく事なんだよ。大事なのは、傷ついても誇らしくあれるかどうかなんだ」

彼女を乗せる、この世で最も神に近しい存在と同じような強い瞳で、彼女は言い切る。

「君はそれすら放棄してる。意気地なし。選ぶ事もしないで、いっそ自分が動けることにも気付けないでいるの? 君の中の時間は止まったままなの? それで生きていけると思っているの? そろそろ、歯車まわしなよ」

「……」

「傷つくのも嫌、行動するのも嫌? それで人が決めた事を嫌がって呪って人のせいにするの? 動きたくないから人任せにして、他人のせいにして、なんて全部自分で選んだ結果のくせして、他人に責任を押し付けて君、自分の事誇らしくなれる?」

突きつけられた、龍の鱗のゴミを削るやすり。

その先端の銀色を見つめて、わたしは言った。

「なれない」

「だったら、そろそろ呼吸してみなよ。歯車さび付いてて動き鈍くたって、動くんだったら救いようがあるよ」

傷つく事は恐れなければならない。自分の身を守るためにも、誰かを守るためにも。

だが。

「傷つく事がなければ、何も動いたりしない」

呟いた言葉のなかで、わたしはある決意を抱いた。

「龍乗り。……ありがとう」

「礼を言われるような、ためになる事言った覚えはないね」

「わたしがわたしを誇れるようになるためには、わたしが決めなければいけないんだ」

彼女の眼鏡に反射したわたしの顔は、見た事のないほど鮮やかな笑い方をしていた。

何年も笑ったためしがないと、そこで気付いた。

表情筋がこわばっていたからだ。





思えばわたしは、大掛かりな事や派手な事が本当は好きだった。

それらの好きな物を、子供の頃に「おきざり」にしていただけ、で。

ずっと好きだったし、やりたい事もあったのだ。

一つ一つを組み合わせて、舞台を作って。

狩場だって自分で作った。……虫のだが。

道具だって自分で作った物だ。有り合わせのものや、その辺にあった材料で。

今回の事をするために、わたしはそれらを思い出した。

動き出したらいろいろと、周りに言われたり、叱られたり、止められたりもしたが。

怒られたり軽蔑されたりもしたが。

ここ十年で一番、生きていると思えたのだ。

ああ、そして今日その舞台が仕上がる。

これから始まるのは、わたしの昔に別れを告げる大舞台だ。




「この場において、お前との婚約を破棄し、彼女と婚約をする!」

王太子殿下の言葉。崩れ落ちた彼の婚約者だった少女。殿下に抱き寄せられているのは、わたしの婚約者だ。

わたしはそこでぱちん、と指を鳴らした。

わたしの育てたあまたの蟲が、学校の創立何百年かを記念したパーティの照明を落とす。

真っ暗に変わる世界。明かりが二つ、わたしと殿下と彼女を照らした。

わたしは歩く。殿下も彼女も声を出さないことは分かっている。

「では、わたしの婚約者殿。ここで不貞なあなたとの婚約を破棄しましょう。十年、あなたに泥や毒を浴びせられたわたしが!」

照らされたわたしは仮面を脱ぐ。息をのむ人々。

わたしはその反応の理由を知っていたけれども、言葉は止めない。

「父上の友情を壊さないために、気を使う事ももうしなくていい。あなたは殿下と婚約するそうだから、あなたが行き遅れる心配もしなくていいのだから! 殿下、どうぞそちらの、美しい男を見れば誰彼構わず近寄る、浮気の心配で禿げてしまうかもしれない女性をめとってくださって構いませんよ」

「なっ」

「そして、殿下。あなたの婚約者がとてもやさしい女性だという事に最後まで気付けないあなたに、同情しますよ」

「何をいうのだ、彼女に非道な振る舞いを行い続けていたのだぞ」

「本当にそちらの女性を害そうとするならば、まず自分や周りの手を下す前に、家がつぶれていますからね。殿下、あなたはご自分の婚約者だった女性の家の強さも、彼女自身の強さも、頭の良さも、何も見ていらっしゃらない。それに。」

光はわたしに集中していて、誰もかれもがわたしの声を聞く。

「本当にそちらの女性が邪魔ならば。自分が手を下したなんてすぐに分かる、証拠の残る事なんてやりませんよ? すぐに殿下に泣きつくのだから」

言って、わたしは殿下の婚約者だった、公爵家令嬢に手を差し伸べる。

「先輩。あなたは今こそ声をあげてください」

「ええ」

令嬢が灯りの下で語る。己の無罪を。己がどれだけまっとうに、殿下に忠告をし、彼女にどんなまともな注意をしたか。

旗色が悪くなる殿下と彼女。場の世論は一気にわたしたちの味方に変わる。

灯りが元通りになったところで、わたしは踵を返した。

「お互い言いたい事は終わりましたし、こんな場所に長居しても面白みがありませんので、退出させていただきます。さようなら。殿下。浮気癖のあるもと婚約者殿」

言ったその時だ。

「なによ、……なによ! ゲームと全然違うじゃない! ここで悪役令嬢が断罪されて私はハッピーエンドになるのよ! いつでもいつでも、最初から邪魔をするあんたがバグだったのね!」

殿下からわたしに近付いた彼女。不思議とここまで近くなると、お互いの顔がよく見える。

遠目からでは、ずっと好きだった子供の頃の面影があったのに、近付くほど彼女の醜悪な場所が目立つ事に気付いた。

「さっさと消えなさいよ! 目ざわりね、あんたが邪魔するのよ! 消えなさい!」

もう、彼女が作り上げていた可憐で可愛らしく、頭がよく、そして誰にでも優しいマドンナはいない。

あるのは全てを覆された、悪事の暴露された人間だ。

「あんたなんて、私がお願いすればすぐに消せちゃうんだからね!」

おそらくはっぴーえんどなる物を覆された彼女は、頭に血が上っていた。

振り上げられた手。わたしはそれを受け止める。痛いが。

「おや、脅迫罪だね」

彼女の後ろから手が伸び、彼女を拘束するのは眼鏡の鳥の巣頭である。

「さすがに学校内でこう、どうどうと脅迫しているのは無視できないね。警邏―?」

「何するのよ、離しなさいよ!」

「それで離す馬鹿いないよ」

「彼女を放せ、痛がっているだろう!」

「いや、ここにいる脅迫罪の現行犯解放して、野放しにするの、王様になる人が。世も末だねー。あ、警邏、こいつ尋問。いまはっきり、そこの男の子脅したから」

逆転に次ぐ逆転。教師たちが騒ぎを聞きつけて飛び込んだあたりで、もう、全てが終わっているようなものだった。

殿下は立ち尽くしていた。





「いやあ、勘当されてよかったよ。君の手先の器用さ欲しかったんだよね」

「そのために色々と口を出したのか」

「いんや、もともと死んだ魚よりも淀んだ目をしていたから、気になってたんだ」

龍の爪の手入れをしながら言えば、妻が笑う。

「今はどうだろう」

妻はわたしの目を見て笑う。鳥の巣頭も、毎日梳かしてやればゆるくなみうつ見事な物になる。

眼鏡も、きちんとしたものを選べばとたんに、知的な印象が強くなるのだ。

「殿下けっきょくあの後、どうしたっけ」

「王太子のままだったが、上位貴族に馬鹿にされ続けて、自信を喪失してすぐに弟に位を譲ったような」

「君のもと婚約者は?」

「喚きすぎて、実家に戻ったけれども、結局同じくらいの貴族の男性とも結婚ができないまま、家庭教師になってどこかの、貴族に仕えているらしい」

「ああ、助べえな脂ぎった、いかにも嫌なおっさんにか」

「評判が落ちすぎて、愛人にもしてもらえないらしい」

「あそこで冷静になっていれば、まだましだったけれどね。……ああ、旦那。私そろそろ上がるから」

爪の手入れが終わった龍が彼女に視線をやる。

彼女はしっかりと体を覆う衣類を確認し、わたしに笑いかける。

「子供たちの夕飯よろしく。そうだ一つ、聞こうか」

彼女はとっておきの笑顔で笑うのだ。



「今の自分を誇れるかい?」




わたしの答えは……

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