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15.美しい物が好きな婚約者様とみにくい獣のわたし

「あなたがわたくしの婚約者だなんて、ばからしいわ!」

嘲弄が響く。わたしはだまってそれを受ける。

驚きすぎて言葉も出ない、ああ、これは遠い過去。

遠くにあって近くにある、それは今でもくっきりと思い出せる過去である。

それともそこまで鮮やかに思い出せるものは、過去というのではなく現在というべきなのだろうか?

「あなたみたいなおぞましい姿の獣が、わたくしの婚約者だなんて! おじい様もとうとう耄碌なさったのね!」

究極の言葉の数々、そして痛々しいほどの音の数。

それらにわたしは何も言えないまま、何も表情に浮かべないまま立っていた。

「わたくしはきちんとした人間と結婚するのよ! 出て行きなさい、そこらの野良犬のような獣風情が!」

投げつけられたガラスの杯。額に当たって砕け散るガラスの破片が額に突き刺さり、苦悶の声をあげる。

その欠片の一つが瞳の中に飛び込み、そして眼球の角膜に突き刺さったのが分かった。

「ああああああっ!!」

苦悶の声は絶叫に変わり、わたしはその場を飛び出した。

痛みで死にそうになりながらも、何とか何とか、わたしは逃げ出したのだ。

どこへ、あてなどあるわけがなかった事だけが事実であり、わたしは何とかその屋敷を飛び出したのだ。




わたしと彼女の婚約は、古い古い盟約の一つであった。契約の一つと言ってもいいだろう物で、わたしは古来より彼女の家の誰かと縁を組む事になっていた。

わたしを捕えた始まりの誰か、もう顔を思い出す事も声を耳に蘇らせる事もかなわないその誰かが、わたしに枷をつけて首に焼き鏝を当てて刻印を刻み、わたしに言ったのだ。

言ったその声を思い出す事はないのだが、その文言は思い出せる、おそらく術の一部なのだろうと今では思う。

「この家を代々守れ。この家が栄えるようにその膨大な知識を与えよ。さすれば汝に永劫に花嫁を贈ろう」

それは生贄と言っていいだろう相手だろうに。

今ではそう思う事も出来るのだが、当時は喉の刻印が焼き付くように痛み、死ぬような思いをしていたから、か。

この痛みが消えるのならば、と盟約に誓ってしまったのを覚えている。

盟約として形を作り、わたしは家に縛られた。

その家のために長い長い生き方から得た知識を与え、家の者たちに助言を与えた。

託宣のように占いを行い、破滅の道をたどる前に何度も何度も、家を救ってきた。

花嫁はいつも、わたしを縛る庭園の奥深くの、人工の洞窟にやってきた。

わたしは彼女たちと会話をする事が楽しみで、彼女たちがわたしの毛皮の中で安らかに眠る事を喜びとしていた。

どの花嫁も、人間の基準では醜いと言われているだろう女性だった。

女性ではない時もあった。だがそれでも、わたしと寄り添ってくれる相手だ。

そして花嫁たちがいる時のみ、わたしの鈍痛は癒されたのだ。

おそらくこれも初めの誰かの策略なのだろう。

だがそれでも、わたしはその生き方に満足したのだ。

どうせ孤独に生きる身の上、そのさみしさが癒されるのだから問題などないと思ったのだ。

そうして百年、二百年。

いつの間にやら花嫁はいなくなり、わたしは洞窟で単身の思いを感じるようになった。

わたしは打ち捨てられたのだろう、と思った事もある。

盟約を忘れたのだろう、人間によくある話だ。

それゆえにわたしは、次に来た人間がいたならば、盟約の破棄を持ちかけようと決めたのだ。

そうしてまた数十年、の月日が流れた。

洞窟内から眺める外の景色はいつでも美しく、わたしは飽きる事もなかった。

そんな時の事だった。

やつれた男が現れ、わたしに話しかけてきたのは。

やつれた男は驚きながらもこう言った。

「実在していたのか」

「わたしを、なんだとおもっているのやら」

呆れて笑えば、男はわたしにこういった。

「我が一族を繁栄させる英知の獣、何時に花嫁を与えよう。そのかわりに我が一族を再び、栄華に導くのだ」

「承知」

わたしはそこでこう言った。

「花嫁を連れてくるといい、花嫁はここと母屋を行き来するのが習いだ」

「そ、それはできん! 可愛いあの子をこんな薄暗い湿気た所になど」

珍しい。可愛い子供をわたしの花嫁にするなどおかしな話だ。

普段は一族の鼻つまみ者だったり、異端者だったりが選ばれてきた。

どちらも了承のもと進む話だったと思ったのだが。

次代が流れたが故に変わったのだろう。

そんな事を思ってから、わたしはこう言った。

「しかしわたしはここに縛られて動けない、まさか形ばかりの、肩書だけの物だと思ったのか」

「違う。では、盟約の末裔として、汝がここから外に出る事を許可する」

するとわたしの手足にはまる、初代からの長年の鎖がぶちりと切れた。

「では、花嫁に会いに行こう」

決まっている事に、そう言えば、男はこう言った。

「まずは家の没落を防ぐための英知を与えたまえ」

男の眼の中から世界を覗き、わたしは助言を与えた。

「南に悪い空気が流れている、風向きを変えて作物は別の場所に植え替えるとよい。東に商売の相が吉と出ている、交易を進めるならば東に向かうといいだろう。北はどの場面にもふさわしくない、血の流れる相と破滅の神が下りてきている」

「なんと、もっと明確な助言ではないのか!」

「自分の世界の事だ、よく分かっていなければおかしい」

男は唇を噛みしめた後にこう言った。

「わかった。では、その助言が当たっていた時に花嫁の所に案内しよう、しばしここで待て」

何百年ぶりの助言だ、信じるのも話半分なのだろう。

わたしは了承の意味を込めて瞳をおろした。





盟約が違えられると気付いたのは、その後数年後の事だった。

盟約が破られる時に感じるような不快感を覚え、わたしは洞窟を出た。

記憶の中以上に過剰な装飾の増えた屋敷を歩けば、だれもがわたしに腰を抜かした。

わたしは男が来客中だという事も無視をした。

わたしは男の肩に手をかけて問いかけた。

「盟約を無視していかんとする」

男は蒼白になり、来客にごまかしを言うとわたしを別の部屋に連れて行った。

「何の事だ」

「花嫁はいつ来るのやら、この屋敷の様子ならば持ち直したのだろうに」

「……それは」

口ごもった男、しかし男の背後が開き、可憐な少女が現れた。

「お父様、そちらの獣は何かしら」

男は彼女の父らしい。父は青ざめた後にこう言った。

「おじい様が決めた、お前の婚約者だよ。少し話をするといい」

そしてせかせかと逃げ出した。

おそらくこの男は、盟約の中にあるこの家の人間を傷つけないという誓いを知っているのだろう。

そして娘に糾弾されないように、逃げ出したのだ。

わたしは彼女と向き合った。そして笑いかけ、話しかけようとした時の事だったのだ。

嘲弄を浴びせられたのは。





逃げ出したわたしは、各地を転々と回っていった。

そして一つの、廃墟となった古城を見つけ、そこに単身暮らす事にした。

古城は掃除のし甲斐がある見事な場所であり、外見を古いまま、中を居心地が言いように改造していった。

わたしはそこで、日がな一日日を浴びて庭園で眠ったり、湖上の中を歩き回って過ごした。

満ち足りた生活であった。

あの契約は、最後の婚約者がわたしを捨てた事で破棄された。

完全な自由の中、わたしは暮らしている。




そこでわたしは、現れたわたしを魔物と考えて退治しようとする人間たちに、助言を与えて言った。

人間たちは驚きながらもそれを聞いたため、そのお礼のように作物が届けられたり、庭園に人間の子供が遊ぶようになった。

それを、人間と同じ大きさの獣になり、庭園の手入れをしながら眺める事も楽しくなった。





わたしのもとに、一人のうら若き乙女がやってきたのはそれから少し経った頃だった。

彼女はわたしを見つめると、その美しい薔薇色の頬を染めて、こう言った。

「あなたとつがいになる方法はあるのかしら、賢者の獣さま」

「では、百日わたしに、話をしなさい。あなたにそれだけの言葉が流れているのならば、つがいとなろう」

なぜ彼女が今ここで、わたしにつがいになりたいのかと疑問に思いながらもそう言った。

……彼女はわたしの片目を奪った彼女でしかない。匂いも姿も全く同じなのだから。

しかし彼女は微笑んだ。

「あなたみたいなきれいな獣の賢者様に、毎晩お話ができるなんて素敵だわ」

心底嬉しそうな声だったので、わたしは笑った。

心変わりも甚だしいものだと、思いながら。

彼女は毎晩話をした、飽きることなく、どんな話もした。物語も土地の話も旅の話もなんだって。

そうしているうちに、わたしはある事実に気が付いたのだが黙っていた。

そして九十九日目、彼女が語りだす時にその騒ぎが起きた。

「お嬢様を取り戻せ!」

「化け物なんか殺してしまえ!」

この周囲の土地の人間の声でも気配でも、ない物が城の周りに響き渡ったのだ。

彼女は真っ青になり、わたしに縋った。

「ちがうのです、あなたを害しに来たんじゃないの、信じて!」

「ええ、あなたがここにいるならば信じよう」

城の扉が押し破られる音がした。わたしは彼女に話をねだり、彼女は震えながら話を始めた。

一つの物語を。




知識の聖獣を捨てたとある名門の貴族がおり、貴族は瞬く間に没落していった。

捨てた跡取り娘は鞭うたれ捨てられ、愛した男から離されて、望まない結婚をした。

そして生まれた娘を虐げくるしめ、最後まで聖獣が己の家を捨てた事を呪い、自分は悪くないのだと喚き散らして失意の中死んだ。

生まれた娘は彼女と瓜二つであり、獣の心を取り戻すことを命じられて生きてきた。

そして美しく育った娘は、とある古城に住む知恵の獣の話を聞いてここにやってきた。

最初は命令されたから、だが。


「気付けば娘は、知恵の獣に心を惹かれておりました。誰よりも優しく強く、気高いその獣を心底美しく、離れがたいものだと思うようになったのです」


彼女はもう震えていなかった。彼女の話が誰と何を示しているのか、もうわかるだろう。

わたしは彼女懐に抱きしめて、そっとこう言った。


「わたしと新たな、一代限りの盟約を結びなさい。君のためだけの約定を一つ」


聞いた彼女は目を見開き、わたしに顔を寄せて囁いた。


「私の愛する獣様、私とどこまでも行きましょう」


それが誓いの言葉であり、わたしは鏡の中に彼女を連れて飛び込んだ。

間一髪のようにそこで、わたしたちのいた部屋の扉が開いた。

誰も見つからないために、途方に暮れる男たち。彼らが去ったのち、わたしはわたしを心配してきた周囲の村の人間たちの前に姿を現した。


「これから、ここの事を聞く人間がいたら、今から語る恐ろしい話を聞かせなさい」




……とある呪われた城があり、そこに入ると誰も戻ってこない。昼中に戻ってこない人間を探すと、鏡があり、鏡の向こうに戻ってこない人間が倒れている光景が映る。

その場所に行くと、その人間は目を回して熱を出し、あそこは恐ろしい主が暮らし、礼儀を守らなかったら恐ろしい夢を見せるのだ、と。



周囲の者たちはそれを守ってくれて、わたしは彼女と今日も、遊びに来た子供たちの近くでまどろんでいる。

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