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11.お嬢様命の婚約者と、明らかに放置されているわたし

「今日は一緒に出掛ける約束だったのに」

わたしの非難がましい声に、婚約者様が、言う。

「お嬢様が熱を出してしまわれたんだ。僕がいないと眠れないとおっしゃるから、側にいないといけないんだよ」

そう言っている婚約者様は、もう心がお嬢様のもとに向かっているのだろう。

わたしの顔など見やしない。

そんな彼の事は良く分かっているから、わたしはしぶしぶ頷いて、こう言った。

「それなら早く行ってください。お嬢様はお体が弱いから、眠らなければ風邪も治って下さらないわ。一緒に出掛ける事は、また今度にしましょう」

「ありがとう」

言いながらももはや、足も体もお嬢様の部屋に向かっている婚約者様。

わたしは彼に苦笑いをしながら、見えてもいないだろうけれど手を振って、自分の仕事に戻ったのだ。

お屋敷の休憩所に行けば、途端に声が響く。

「まあ、あなた今日は婚約者の彼とお出かけの予定じゃなかったの?」

「お嬢様が熱を出して彼と一緒にいたいとおっしゃったそうなの」

「彼も難儀だねえ、お嬢様に呼ばれてばかりで……あなたとの時間だって必要だろうに」

「わたしとの時間はいつでも取れるわ。それに熱を出された時のお嬢様の寝つきがよろしくないのは、皆知っているでしょう?」

そう、お嬢様は生まれつきお体が弱くて、そして幼馴染であり常に彼女の遊び相手として、側にいたわたしの婚約者様に絶大な信頼を寄せている。

その信頼や信用や、絆ははっきりいって、お互いの両親がお見合いで決めた、ぽっとでのわたしと婚約者様の絆やあれそれこれを、はるかに上回るものだとわたしは理解しているのだ。

「確かにお嬢様は、熱を出すと眠れないお方だけれども」

一緒に働いているメイドの友人が、呟くように言うから、わたしは返す。

「だから仕方がないわ。彼はお嬢様がいくらお美しく成長しても、安全だと言われるくらいの信用されているひとなんですもの」

心底わたしはそう思う。

わたしの婚約者様が、お嬢様にとって安全な男性で本当に良かった、と。

お嬢様のためにも、彼のためにも。

お嬢様は大変お美しい。わたしが見た女性の中で、一番美しいお嬢様だ。

そんなお嬢様に変な目が向けられるのは、このお屋敷の使用人ならよく知っている事だ。

そして、その変な目の馬鹿がお嬢様を誘拐しようと計画を立てる事も、皆知っている。

美しい見た目で、ちょっぴり我儘で、時々照れ隠しに物を投げつけるお嬢様だけれども、わたしはそんな性格の裏側から見えている、お嬢様の優しい部分が好きだ。

普段はわたしと婚約者様に気を使って、二人きりの時間ができるように取り計らってくれるのに、熱を出したり病気になったりすると、心細くなって幼馴染を呼んでしまう気持ちは、わたしも理解して差し上げたい部分だ。

お嬢様にとって、彼は一番近くの存在であり、そして優しい兄のような相手だとも知っている。

お嬢様の生い立ちに色々と事情があるからだ。

お嬢様はこの家の当主様の長女であり、色々な責任を両肩に乗せていらした。

それなのに、ある年はやり病にかかってから、転がるように病弱になっていしまって、今ではこの屋敷を継ぐのは次女のお嬢様という事で意見が一致してしまっている。

そのため、お嬢様は言い方が悪いのだがスペア扱いなのだ。

待遇が悪いとか、そういう問題ではなくて。

お嬢様は素直になれない気質であるだけなので、旦那様も奥様もほかのお子様と同じように大事にしているけれども。

家を継げない長男長女の宿命だ。責任が無くなったお嬢様は、生きる意味を見失ってしまわれた。

当時を知っているメイド長は、その時の事をまさに反抗期、と言っていた。

想像できないわたし以下、メイド複数である。

しかしそんな時でも、わたしの婚約者様は常に彼女のための行動をとり、常に裏切らず、時に叱り時に導き、お嬢様のためにあり続けたのだ。

わたしだってふと思う。

こんな、心細い時にずっと一緒にいてくれた幼馴染を、家族以上に頼ってしまうのは当たり前だ、という風に。

そして婚約者様も、そんなお嬢様の事になるとべらぼうに甘いので、お嬢様が呼ぶとすぐに向かってしまうのだ。

忠犬の様と面と向かって言われても、彼はにこにこと笑っていうのだ。

「はい、お嬢様の害のない忠犬です!」

そのため、彼の屋敷でのあだ名は忠犬、という名誉なのか不名誉なのかいまいち判断に苦しむものである。

そんな彼とわたしの出会いは、前述したとおり両親の勧めてきた縁談である。

そこにドラマチックとか、ロマンチックとかいう物はない。

これっぱかりもないのだ。

そしてわたしも、この屋敷に働きに出て、お嬢様と婚約者様の、実の兄妹よりも兄妹らしい関係を見ているので、嫉妬も減ったくれもない。

ただ、少しだけ、そう、ほんの少しだけ、彼と出かける事が出来なくてすねるくらいだ。

わたしと婚約者様のお出かけは、五割でお嬢様の病気でつぶれるのである。

お嬢様は本当に病弱なお方なのだ。

死神が、お嬢様の美しさに恋い焦がれ、お嬢様を手に入れようと常に釜を砥いでいるからという噂まであるくらいだ。

「だから今日は、ゆっくり新聞を読む事にしたの。ここ最近の連載小説が、わたしはとても楽しみなのよ」

言いながら、ほかの働いている人たちの邪魔にならないように新聞を広げ、わたしは色々な記事を読み始めた。

断じて寂しいわけではないのである。




お嬢様にとってわたしの婚約者様は、いつでも頼れるお兄様のような相手である。

しかし、その関係がどこかぎくしゃくし始めた日付を、わたしははっきりと明言できるだろう。

その日付とはお嬢様に、三十人目の求婚者が現れたあの日である。

旦那様は、お嬢様にやって来る求婚者たちを軒並みぶちのめしていたのだけれども、その求婚者は旦那様に打ち勝ってしまったらしいのだ。

わたしは仕事が忙しく、その試合を見ていたメイドの友達に聞くだけだったけれども。

そんな武勇の求婚者様は、内々でお嬢様の婚約者という事になった。

世間的な発表は、パーティの季節にちょうどいい秋になるという。

そのため、内々というわけだ。

彼が隣国の名のある家の出身だというのも、それを後押しするものだっただろう。

そして彼は、お嬢様の所にほぼ毎日やってくるのである。

お嬢様が熱を出していても、お見舞いだと言って現れる。

そうすると、お嬢様のためにメイドたちに混ざって看病しているわたしの婚約者様との遭遇率もとても高くて、婚約者様は無礼だと顔を合わせるたびにぶちのめされているのだ。

頬を腫らして、それでもこの屋敷の使用人としての矜持、そしてお嬢様を思う心だけは負けないという誇りから、婚約者様は常に笑顔である。

それも、お嬢様の婚約者様……もはや婚約者様でゲシュタルトしそうなので、ここは殿下と呼ばせていただこう。身分が殿下と呼べる家柄だそうだし。

とにかく、婚約者様と殿下のぶつかり合いは顔を合わせるたびの事で、婚約者様の骨が折れないかわたしはひやひやしている今日この頃だ。

お嬢様は聡明なお方であり、幼馴染と婚約者のあいだのそう言ったぎすぎすとした空気を読めない人ではない。

そのため、最近では彼を呼ばないように、細心の注意を払っているのだ。

その過負荷のためか、お嬢様は最近とても食が細くて、眠れないから目の下に色の濃い隈ができてしまっていた。

屋敷の皆も、旦那様も奥様も、次女様も、当人たる婚約者様も頭を抱えている状態だ。

この状態で、婚約者様を領地の屋敷に手助けに行かせて遠ざけるのは、やっぱりお嬢様が遠い空の下の婚約者様を思ってしまいそうで、却下だそうだ。

そこにあるのは、わたしたち使用人たちの眼から見れば、純粋に慕い続けているお兄様が好きという感情に見えるのだが。

どうも、世間様はそうは思わないらしい。

その結果がこれである。

「……そこで頭を抱えていらっしゃらないで、お嬢様に対するお見舞いの言葉を考えたらいかがです?」

わたしは生垣の中に隠れるようにしている、殿下に溜息を吐きつつ問いかけた。

まさかわたしも、昼の見回りの途中で、殿下が生垣の中でうんうんうなっている状態を発見するとは思わなかった。

「それが出来れば苦労はしないんだ……!」

「お静かに」

わたしは彼と同じ目線に立つために、しゃがみ込んで忠告した。

「そんなに心配でしたら、お嬢様の様子を聞いて、面会が可能か聞いてからここに来ればよろしいのに」

「……」

「もしかして、お見舞いの時の言葉が思いつかないとおっしゃりますか?」

彼は不承不承と言った調子で頷いた。

何だこの人。

脳筋なのか。女性に対しての素敵な言葉の一つも思いつけない人種なのか。

と若干思ってしまいつつも、わたしは彼の悩みを聞く事にした。

「贈り物がわからない?」

「お見舞いでは、贈り物が慣例だと聞いているのだが、何を渡せば喜んでもらえるのかわからない」

「それこそ、この周辺の花屋で病弱な婚約者のお見舞いにいい花を、一本見繕ってもらえばよろしいのでは」

「一本では寂しくないのか」

「その、たった一本のために走り回れる方でなくては、お嬢様の婚約者として認められません」

胸を張ったわたしをみて、彼が言う。

「そうなのか」

「そうですよ」

彼はうんうんうなった後に、わたしに頭を下げてきた。

「参考になった、ありがとう。何かお礼になる事ができれば……」

「でしたら、わたしの婚約者様をぶちのめすのをおやめください」

「……?」

殿下は怪訝な顔をした後に、問いかけてきた。

「あなたの婚約者?」

「はい。お嬢様にお仕えしている赤毛の男性といえば、分かりますか」

「ああ、あの……」

と言った後、彼は声を潜めて言った。

「あの距離は、私でなくとも腹が立つと思うんだが」

「?」

あいにくわたしは、病気のお嬢様と婚約者様の様子を見た事が無いので、なんとも言えないのだが。

彼は大真面目に言っているようなので、覗きが出来れば一度だけやってみようと思った。

殿下はそのまま生垣の穴を抜けてどこかに去ってゆく。

おそらく花を選びに行ったのだろう。

それにしても、意味深な事を言う方だった。

そしてあの表情を見ると、お嬢様の事が本当に好きなのだろうか、と疑問を抱いてしまう物がある。

これは念を入れて調べなければならないのかもしれない。

一メイドのわたしだが、一メイドでも結構な事を調べようと思えばできるので、大丈夫だろう。




「病気の時のお嬢様と、あの人はどんな風にしているのですか?」

わたしの問いかけに、いつもお嬢様のお世話をしているメイドが口を濁した。

これは何かあるな、とピンとくる沈黙である。

「教えられない事が?」

慎重に問いかければ、友人は小声で言った。

「見ればわかるわ」

「……」

「見て、あなたが判断するべき事だと思うの」

友人は、他人の意見に左右されるなと言ってくれている。

つまり、他人の意見を聞くと、見えなくなるものがあると言っているのだ。

「ありがとう、それではお嬢様のご機嫌伺いにいくわ」

わたしは微笑んで、ほかの同僚にお願いして代わってもらった、お嬢様のご機嫌伺いに向かった。

そしてお嬢様の部屋の扉をきちんと叩き、開けて沈黙する。

「それでね……」

「うん、そうなんだ」

「でね……」

そこで繰り広げられていたのは、寝台の上のお嬢様の片手を大事そうにとって、お嬢様にこれ以上ないほど甘い顔と声を向けて、話を聞いている婚約者様と。

それはそれは幸せそうな顔をして、彼に相手をしてもらっているお嬢様だった。

これはいけない世界だ、とうといらしいわたしでもわかる世界だ。

二人きりの世界の状態である。

「……これは」

「大昔から、彼とお嬢様はこんな感じなんだよ」

こそっと隣の、年上のメイドに問いかければ、答えはそうきた。

うん、これは殿下が、殴り飛ばしたくなる二人の世界である。

だからと言って、暴力はよろしくないのだけれども。

「変かしら? あなたはこの屋敷に来たばかりだから、一般的幼馴染の世界が分かると思うのだけれども」

「……ちょっと親しすぎますよね」

わたしは色々とショックである。婚約者様は、わたしにあんな顔をしてくれた事なんて一度もない。

手だって握ってくれた事が無いのに!

「……あなたがこれを見たという事は、旦那さまに言っておくわ。きっと旦那様から直々にあなたにお話があると思うけれど」

「はい」

そして旦那様に聞かされたのは、予想外もいい所の話だった。

「娘と彼は、一時期婚約者だったのだよ」

頭の回線がおかしいかと思ったのだが、そうじゃないらしい。

「彼の家は没落してしまったから、婚約者でなくなったのだけれどね……そうか、娘と彼は今でもそういう心なのか……」

旦那様は溜息を吐いた後にこう言った。

「病弱な娘だ、隣国には旅に出られないか……」

それは内々で、殿下と決まっていた婚約を破棄するという事であった。

「申し訳ない事をしているが……ほかの男に心を奪われ続けている娘と結婚すれば、彼にとって後々火種になるだろう……おわびに家宝を受け取ってくれればいいのだが」

それにしても、と旦那様は小さな声で言う。

「娘が笑っていられるように、彼と一緒にいられるようにしたというのに……それが裏目に出てしまうとは」

何が起こるかわからない、と苦笑いした旦那様は、娘も大事だし、殿下の事も気遣っているし、婚約者様の事だって考えている、お人よしの表情をしていらっしゃった。

その話をこっそり進められた殿下は、意外とあっさり引いた。

「なんで引いたんです? お嬢様に求婚したというのに」

「私は、兄上の婚約者を探す旅をしているんだ」

「兄君の」

「美しく賢く、素晴らしい女性が一緒に来てくれる事を選んでくれたら、兄上の妻として連れて行くという密命を帯びていたんだ」

「いや、わたしに話している時点で終わりですよね」

「いや、良い収穫をした」

「へ?」

「この度思ったのだが……私一人では、女性の様々な機微に気付けない。ここは私に協力してくれる、女性が必要だと」

「今更ですか」

「これはと思った令嬢がいた町が、ここで初めてなんだ」

生垣の片隅でこそこそと会話しているわたしと殿下、何故こうなった。

と思いつつも、わたしは殿下との会話がちょっと楽しい。

婚約者様と違う、打った分返される会話は楽しいのだ。婚約者様は受け入れて飲み込んでしまわれるから。

「家宝をくださる、とここの当主様はおっしゃっているのだから、ついでに一人、使用人を引っ張って行っても何も言わないだろう」

「なんだかとても嫌な予感がしますが」

「君しかいない、兄上の花嫁選びの旅に同行してくれ!」

わたしは跪かれ、片手を取られて言われている。

外から見れば求婚されている状態である。

そしてそれの外野がとても多い。

旦那様の密偵たちの視線が痛いほどだ。彼もそれをわかっている。

逃げ場がない。

わたしは片手を頭にやり、言った。

「それ、選択の余地がありますか? ……でも、協力するのはやぶさかではありませんね」

何時か行ってみたかったんですよね、ここじゃない町、ここではない国に。

何時かの殿下と同じ、不承不承の顔で了承すれば、彼が頷いた。

「頼むぞ、一般的女性の意見が分かる御仁」





この後、都で殿下の兄君に相応しい女性を見つけた殿下とわたしは、何とか彼女を説得しようと思ったのだが、その時に殿下の兄弟が、兄君に相応しい女性を見つけ、兄君が恋仲になって婚約したために、殿下の故郷に戻る事になった。

一体誰が想像しただろう?

わたしが、殿下の一人だけの相棒として、殿下の宮で活躍する事になろうとは。

そして。

「いい加減に、私の求婚に答えてほしいのだが」

「保留しますね」

こんなやり取りが、日常茶飯事になるとは!



ああなんと人生は波乱万丈!

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